気まぐれ絵日記2 

あや探』山形林間学校報告

 「椎名誠とあやしい探検隊」をご存知? 昔は男ばかりで、僻地や離島に出かけて酒を飲んで騒ぐ、という集団でした。

 現在もやっぱり男ばかりで、でもサラリーマンたちがいなくなり、かわりになにかの専門家たちが集まって来て、やっぱり僻地や離島に出かけて酒を飲んで騒いでいるという集団です。

 この「あや探」のメンバーが講師になって、各自の専門分野の教室を開くというのが「やまがた林間学校」なのです。今年で7年目だとか言ってました。私は、別にコネがあるわけでもなく、電車のつり広告を見て応募したのです。

 本来、この時期は海外旅行に行くことにしているのですが、(と言っても、まだ1度カナダに行っただけ・・・)ボロ家を買ったので、貧乏になったもんですから、国内旅行に切り替えたわけです。

 かみさんの意見で、よさそうな2つの教室に応募しました。それが、@椎名A沢野という本命と対抗。私は「こりゃ、無理だよ〜」と言いました。

注・沢野ひとしさんは椎名さんの本のイラストを描いている通称ワニ目の絵師です。

 それが5月ぐらいのことで、忘れたころに合格通知がきました。本命には落ち、対抗の沢野さんのところでした。

   *   *   *

*バンガローからの眺め

 820日、7時半に家を出て、上野から東北新幹線で米沢に向かいました。米沢でバスに乗り換え、小国町・横根キャンプ場へ。そこで遅い昼食。ちとしょぼい牛丼です。

 そのあとテント組はテントを張り、バンガロー組はバンガローで休みます。・・・このバンガローというのが、ベッド・バス・トイレ・電話もある立派なキャビンで、シュラフを始め、大荷物を抱えてきたのが馬鹿みたいでした。(必ず持参、と書いてあった)

キャビンではリピーターのKさんといっしょで、隣のキャビンから女の子たちがたくさんやってきました。ついでにサーノさん(沢野さんの愛称)もやってきました。サーノさんは女の子たちと冗談話を交わしています。私がギターを弾くことを話すと、サーノさんは「じゃ、ぼくのギター弾いてよ」とのこと。

 喜んで本館の方へ行くと、マーチンのすごいギターで、こんなの弾いていいのか、と心配になります。ブルースハープ・プレイヤーのアリさん(松田幸一さん)と少し音あわせなどやります。アリさんは関西なまりで、初対面とはおもえないほど気さくで人懐こくて面白い人でした。アリさんというニックネームは、谷村新司さんのお姉さんが「黒くて小さくてチョコマカしてるから」とつけたそうです。

 

夕刻、バーベキューが始まりました。火をおこすところからやるのですが、若い女性が多いのでライター一つありません。すったもんだしながら、なんとか炭に炎が上がり、肉と野菜を網焼きにしました。火力が弱いせいで、肉は食えますが、野菜は駄目。鉄板に替えて、ヤキソバにしました。私の班にはアリさんがいて、関西風のヤキソバ制作の技を見せてくれました。参加者の78割が若い女性なので、キャーキャーと黄色い歓声があがるのが華やかに感じられます。

*米沢牛は実は小国牛だという

日が暮れて、大テントでのミーティングとミニコンサートが始まりました。小国のマタギさんたちの昔話と昭和15年の熊狩りのフィルムの上映があります。それからミニコンサート。最初にサーノさんとアリさんの合奏、それから私がギターを受け取って、ほとんど即興の演奏をしました。あとは参加者を含めての合奏や遊びが続きました。

 10時ころになって、明日の雪渓探索が朝早いというので、解散となりました。

なんだ、これだけかよ〜と思いながらキャビンに帰ると、現・元の女子高生トリオを含む数人の女性たちがやって来て宴会が始まりました。かみさんがくすねて来た角の大ビンをビールで割りながら飲みます。ビールは豊富でした。

 1時ころまでワイワイ言いながら飲んでいましたが、同室している小学生もいたので、適当に切り上げて、第一日目が終わりました。

   *   *   *

 

二日目は5時半に起床、朝食のあとバスで飯豊山へ向かいます。登山口へついたのは8時半くらいで、それからゆうに4時間は苦難の登山が続きました。

 最初は整備されたゆるい坂道を登るのですが、やがて瓦礫と水でグジャグジャになった川沿いの急坂を四つんばいになって登ることになりました。左側は崖で、下には白い水が渦を巻いています。きついだけではなく、一歩間違えば転落して命を落としかねない危険がいっぱいの山道です。事実、中学生が転落しかけたようで、泥だらけになっていました。女性が大半を占める一行は何度も立ち往生、休憩、後列待ちで時間をつぶしました。

 私たちは12班ある中の第2班で、先頭に近いので比較的余裕がありましたが、後列になるにしたがって統制は乱れ勝ちになるようでした。私はアリさんと冗談を言い合いながら登っていましたが、やがて坂がきつくなるに従って口をきくのも億劫になってきました。途中にある谷川で顔を洗い、水を飲むのが本当に救いに思えます。「寝てればよかった・・・」と愚痴が出始めます。

 昼を大きく回って、腹の皮が背中にくっ付きそうになる頃、視界が開けて以前に雪渓があった場所に着きました。暖冬だったために、今年は雪渓ははるか山上に留まっているということです。岩だらけですが、大きな清流が流れ景色のいいその場所で昼食休憩になりました。握り飯2個と魚肉ソーセージという粗末な昼食でしたが、うまかったことは言うまでもありません。(総じてこの旅の食事はお粗末だった……予算の関係とはいえ、舌のおごった今時の若い人々がよく我慢できたものだと思う

 食事のあと、若い者はさらに上の雪渓のある場所に行くといいます。私たちは昼寝とスケッチのコースを取りました。汗が引いてくると空気は冷たく、風は寒い。上着を着込みます。ユミ子は日傘をさした下で昼寝し、私は一枚だけスケッチしました。

 午後2時ごろに下山を開始。下りはずっと早く、2時間くらいで出発地点へ戻ることが出来ました。

*雪渓のあった岩場でサーノさんと

バスで横根キャンプ場に戻り、一休みすると夕食の準備が始まりました。メニューは「沢野式カレー」。要約すると水やルーを使わないグリーンカレーということらしいのです。大テントの下、大鍋を並べて玉ねぎ切りから始めますが、なんと7人いる若い女性の誰一人としてむき方を知らない。私が見本を見せ、手分けして野菜を刻みます。ここでもアリさんが蘊蓄を披露し、玉ねぎいためが肝心だと三○分もかけてせっせといためました。

 あたりはだんだん暗くなり、試行錯誤の上、カレーらしきものが出来上がった頃にはすっかり暗くなっていました。ワイワイキャーキャー騒ぎながら食事が始まります。あちこちでカレーの交換会が行われ(と言っても「カレーくださ〜い」と貰ってくるだけ)お互いの出来を比べ合います。うちの班の出来はいい方だったろう……と思います。

食事のあと、キャンプファイアーを囲んだ交流会になりました。組まれた井桁が小さいのがちょっと気になります。めいめい松明を持ち、儀式を行ったあと、井桁に火を付けます。それからパーティーゲームをいくつかやりました。じゃんけんゲームでうちの班の無口な女の子が勝ち、スタッフジャンパーを貰いました。

 続いてアリさんの野外コンサート。音響設備が貧弱なのが気の毒だった。でも、クラシックからラテン、ブルースまで芸域の広さには感心しました。コンサートのあとは

おぐによ〜い〜と〜こ、

 よいとこお〜ぐ〜に〜♪

という「小国音頭」が延々と続く宴会モードになりました。しかし、やっぱりというか、11時くらいになると心配していたキャンプファイヤーが消えてしまった。しかたなくパーティーは終わり。しかしあちこちに居残り組があって、話しを続けています。

 私とアリさん、その他数名で燃え残りのたき火のそばで、えんえんとナツメロのシングアウトをやります。すると、けっこう周りに人が集まってきました。そのまま午前三時までフォーク、ロック、歌謡曲、童謡からデタラメな即興の歌まで歌いつくしました。

 それが解散してからも、大テントの下にいた沢野さんのグループに合流してしばらく話していました。さすがにそれが最終夜更かしグループだったらしいです。

*マーチンを弾くアリさん

   *   *   *

 三日目はさすがにみんな疲れているようで、朝が遅かった。でも一応七時には起き出して大テントに行くと、餅つきが始まっていました。「つかないと食べさせない」と言うので杵を握ります。何度かついたことはありましたが、なかなかうまくいきません。朝食はつきたて餅の雑煮でした。これはさすがにうまく、かみさんは何度もおかわりしていました。

少し休憩して、昼は人工流水で岩魚のつかみ取りをやります。かみさんは一発でつかんで喝采を浴びましたが、私は三〜四度失敗しました。取った岩魚に竹串を刺し、炭火で焼きます。これとソーメンが昼食でした。昼食のあとに閉校式があり、めいめい終了証書を貰います。それからいよいよ最終段階、バスで蔵王スキー場の全体パーティー会場へ向かいました。

 

会場に程近い旅館に荷物を預け、そろってゲレンデへと近づくと「制帽」をかぶった行列が目につきだしました。帽子のツバの色がそれぞれ違います。あと、祭りのグループはハッピを着ているし、山伏は白装束です。我々も一応山登りの格好をしているのだから、それと分かるかもしれません。

 会場に入ると、ゲレンデの斜面が客席で、ゲート側に舞台があります。会場には、スイカやコーン、酒におでんなどの屋台が並び食い放題ということでした。ただし、あまり高そうなものはありません。とりあえず、いくつか貰ってきて飲み食いしながら開会を待ちます。

*卒業パーティ会場

やがて光が点され、卒業式の始まりです。舞台の司会は木村晋介弁護士と嵐山光三郎氏でした。木村さんはいきなり真室川音頭を歌い出しました。二人の掛け合いはプロの漫才師並みに面白い。開会の挨拶をした椎名さんが

「開会します」

とだけ言ったのをさんざんにこき下ろして、「しょうがないね、芸はないのかね」「あの男、原稿ばっかり書いていたそうじゃないか?」と手厳しい。アリさんはいきなりブルースハープを演奏しましたが、これにも、「一番地味なやつが一番派手なことをするね」などと茶化します。野田知祐さんや風間深司さんなど他の講師も二人にかかるとボロクソでした。

私はすぐ前に陣取っている「羽黒山山伏修行」のメンバーの中から、インターネットの椎名ファンクラブを通じて知り合ったYさんを探しました。「Yさんいますか」と怒鳴るとみんなが揃って前列に立っている小柄な女性を指差しました。彼女は教室を代表して舞台挨拶をしたほどですから、リーダーないしアイドル的な存在だったようです。少ししか話せませんでしたが、言葉の端々に山伏修行の過酷さが推測できました。朝は三時半に起き、一日一食、それも飯と御新香だけ、山伏の行はしっかりやらされたと言うのです。「ぼくら、三時まで飲んでましたよ」と言うと、「うらやましいです〜」と心底からの声でした。

 しかし、式の終わりにビールかけをやって異常に盛り上がっていたのは彼らで、その体験が他よりはるかに濃いものだったこともよく分かりました。

*講師の面々と木村・嵐山両氏

その後、体験発表や民謡や踊りが披露され、夜空を飾る花火とともに卒業式が終了したのは、早めの九時ころだったでしょう。私は旅館に引き上げ、温泉に浸かってのんびりしました。

 それから私の部屋にぞくぞくと女性たちが集まり出しました。リピーターのKさんが招集したのです。十畳くらいの部屋はたちまち人でうまりました。それぞれが酒を調達していましたが、小国町からついてきたB青年は缶ビールひとケース抱えていました。

 それから私が絵を描いてみせたり、女の子たちが心理テストごっこをしたり、それが恋愛談義に発展したり、にぎやかな飲み会がえんえん続き、最後は元高校生グループの一人が暴れ出してお開きになりました。

 

午前二時、私は再度温泉に入りに行きましたが、そこでもう一つドラマがありました。ロビーの休憩所で自販機のビールを飲みながら話しているのは小国町のB青年と可愛目の女の子二人。私も、「やあ、みんな寝ちゃったね〜」と言いながら割り込みました。青年は山形市内の親戚のうちに泊るというのですが、タクシーを待たせたまま動こうとしません。どうやら、二人の女性のうち、どちらかに気があるらしいのです。グラマーな方とお茶目な方、どちらなのかと考えていましたが、そのうちタクシーの運転手がしびれをきらして呼びに来ました。名残惜しそうに帰って行くB青年。……あとで聞くと、小国町の青年はグラマーな子の方に去年からせっせと特産物など送っていたらしい。しかし、なんとその子はもう、この秋に結婚が決まっているのでした。彼女、言うつもりでいて結局、最後までその事は口に出来なかったようです。なんとも気の毒な話です。(小国の人でこれを読んでいる人いないかな?……教えない方が幸せかも……)

   *   *   *

短いが充実した三日間を終わり、めいめいチェックアウトしてバス停に下り、送迎バスで駅に向かいます。私とかみさんは土産物屋をぶらぶらし、山形城址を見物し、ゆっくりと帰京しました。山形、本当に人情篤い土地で、自然豊かです。来年とは言いませんが、再来年あたりにでも、また来たいと思います。

気まぐれ絵日記1「傷だらけの猫生」

(トップに戻る)