モンゴル旅行記
2012/09/03
  2012年8月4日から8日まで、モンゴル旅行に出かけました。
私は前から行ってみたかったのですが、かみさんの方が乗り気でなかったのです。それが急きょ出かけることになったのは数奇な顛末からです。手賀沼のほとりに布袋屋さんというお茶屋さんがあります。ここのおかみさんが、
モンゴルに学校を建てているという話を聞いたのです。子どもの「お嫁さん」がモンゴル女性だったのが縁だったとか。かみさんは話の成り行きから「ではその学校で絵本の読み聞かせをしましょう」ということになったのでした。
 
         
 
  その話があったのが6月頃。でもなかなか話が進みません。ようやく7月の中ごろに「8月の第二週には開校の目途がたった」と聞かされました。
そこで私たちもその日程に合わせてチケットを取りました。これが6月だったら半額近い料金だったのに、夏シーズン真っ盛りですからお高い旅行代でした。8月4日、成田線で成田へ、さらに空港線で成田空港へ行きました。受け付けはMIAT(ミアット)モンゴル国際航空です。
 
         
  モンゴルで困ることは昼夜の気温差が二十度もあって夜はセーターが必要なことなどいくつかありますが、何より困るのはベジタリアンである夫婦にとって「羊が主食」であるらしいことです。野菜?なにそれ、な世界らしい。だから日本から食糧を運ばなければなりません。乾燥野菜とかラーメンとかいろいろリュックに詰めました。そんな旅行者にとって機内食は気になります。
丸顔にロシア的なくっきりした目鼻立ちの、好みによっては美しいと思えるアテンダントが機内サービスを始めます。
 
 
         
 
  出された機内食はいたって普通。魚とビーフがありましたが、私たちは魚を選択。サラダにパンにサフランライスという質素な内容。でもエコノミー席はこんなもんですね。
今は国内線では消えてしまったビールもワインも飲み放題というサービスが懐かしく、かつ嬉しく感じます。
 
         
  サエンバエノー(こんにちわ)、バイラルラー(ありがとう)、にわか勉強したモンゴル語です。モンゴルってロシア文字だしロシア語使えるのかなあ?中国語は?ハウマッチは多少銭(ドゥシャオチェン)かスコーリカストーエトが使えそうな気がするけど。どっちにしろ中露語も片言だからあんまり意味ないかな、などと考えます。

さて、モンゴル旅行の準備はしてきたけど、海外旅行をするという緊張感がまるでありません。飛行時間5時間で、沖縄とかわらない。時差一時間。人種も同じ。言葉は通じないけど、まなんとかなるだろう、だからでしょう・・・私は馬に乗ることだけがちょっと緊張しそうだけど。
飛行機は遅れたもののたいした揺れもなく、窓からウランバートル郊外の大草原が見えてきました。
 
 
         
 
  飛行機内ですったもんだがあって、布袋屋さんと縁のあるDさんと出会いました。(これについては後に記載あり)ウランバートル・チンギスハーン国際空港でDさんの家族が待っていて、私たちにはガイドのTさんが待っていました。
Dさんは学校建設の現地責任者Bさんに電話しますが、なかなかつかまりません。かみさんはBさんに学校の建設現場へ案内してもらう約束なのです。
 
         
  ガイドのTさんにカメラを渡し、とりあえず一緒に写真を撮ってもらいます。Dさんは背が高い方なのに十センチ以上のハイヒールを履いています。当地の若い女性はみんなそういうスタイルです。左に並ぶ家族は母親と妹です。
ガイドのTさんはというと、痩せて背が高く、色が黒い青年・・・というにはちょっと老けた、でもまだオジサンにはなっていないハンサムと言っていい人でした。
彼の日本語はかなり確かで、いろいろ相談できました。とりあえず日本円をモンゴル通貨に両替し、ウォッカなどを仕入れました。それから目的地に向かいます。
 
 
         
 
  私たちが向かうのはウンドゥルドブ・ツーリストキャンプです。ここはウランバートルの南、ボクト国立公園内で、空港からウランバートルとは反対方向に40キロほど離れた所にあります。その位置関係は左の図の通りです。  
         
 
飛行機が一時間遅れだったのでこの時にはもう現地時間で午後八時過ぎになっていました。急いで国道を南へ向かいますが、しかし道がデコボコであちこちに大穴があり、慎重に走るしかありません。しかも時折道を牛や羊が横断します。(右写真)1時間で着く予定が倍かかってしまいました。
 
 
         
 
  ウンドゥルドブ・キャンプに着いたのは予定から3時間遅れの午後11時でした。周囲はすでに真っ暗。さすがに疲れて、食欲もありませんでしたが、出されたので半分ほど食べました。大きな野菜餃子でした。
外は満点の星なのに眺めている余裕はありません。ゲルに案内され、かみさんはすぐベッドに潜り込み、私は眠れないのでウォッカを飲みました。その途中にオーナーと娘(五歳くらい)がストーブに石炭を入れにやってきました。そして火を焚き、私に親指を立てて「OK」のサインをしました。私は「サンキュー、バイラルラー」と答えました。
 
         
  強い風の吹く寒い夜だったけどさすがにストーブは行きすぎで、夜中に暑くて何度か目が覚めました。毛布をはぎとってタオルケットだけで寝ました。そして五時前に目覚めて外に出てみます。ゲルの外はもう朝、遠くに馬の群れが通ります。風は涼しいを通り過ぎて寒いくらいです。  
 
         
 
  キャンプ場のレストランです。GOBIとはゴビ砂漠、MONはモンゴルを意味しているようです。このウンドゥルドブはゴビ砂漠の入り口になるらしい。
建物はかなり古びていて、夏だけ使っているようであちこち傷んでいます。それでもモンゴルの郊外にしては一応の設備は整っています。ウッドデッキにはコスモスが揺れていました。このレストランで出される料理は「羊の丸焼き」ではなく、質素だけどベジタリアンでも食べられる野菜炒めなどの料理でした。
 
         
  レストランを挟んで両側にゲルがあり、写真手前のゲルが私たちの宿です。構造的には遊牧民が使っているものと同じものですが、地盤はセメントで固めてあり、防水シートを巻きつけてあります。基本的に夏用なので外側のマットは一枚しか使ってありません。実用のゲルは冬には羊の毛で作ったマットを数枚重ねてかぶせるそうです。  
 
         
 
  ゲルの入り口。囲いや屋根は組み立て式ですが、ドアは作りつけです。かなり歪みが出ていて、ちゃんと閉めるにはコツがいります。昼間は開け放して紐で結えます。そうしないと風でドカーンと閉ってしまいます。
また、ワンルームでドア一枚ですぐ部屋ですからノックなしで開けられるとギョッとしてしまいます。
 
         
  ゲルの中はかなり広く、大人用のベッドを二つとテーブルに椅子を置いてもまだ広い空間が残ります。基本的にゲルの中は土足ですが、サンダルが用意されています。またゲルの中には裸電球が一個あるだけ、ただし両方のベッドの上にスタンドが用意されています。  
 
         
 
  ゲルの天井には円形の窓があり、半分がビニールでカバーしてあります。晴れた日にはここから陽光が差し込み、電気はいらないくらい明るいのです。窓の一部にはストーブの煙突が通っており、雨の日にはここから雨が流れ込んできます。ただ、ストーブの火を消すほどではないようです。

写真には写っていませんが、真ん中にはロープで風除けのコンクリートブロックが釣り下げてあります。
またこれはゲルの構造が分かるアングルなのでよく見てください。周囲の壁を格子状の板材が囲んでいます。天井の円形材を二本の柱が支え、円形材と壁の格子を数十本の赤い梁が繋いでいます。
 
         
  ゲルの中から外を見たところ。向かいのゲルには中国人のバイクツーリストが宿泊していました。バイクは形が古いレトロなものですが、荷物がいっぱい積めて丈夫そうでした。
バイクの向こうには馬の群れが見えます。モンゴルならではの風景です。
 
 
         
 
 
キャンプから南のゴビ砂漠の方向を眺めます。地平線までゆるやかな段丘が続いていて、数千キロが一望です。北海道でもこれほどの眺望はないでしょう。地球の中央に立っていると実感します。
下段左はレストランから左側の眺め、下段右はレストラン右側の眺め。キャンプは広いスペースを含めて低い柵に囲まれています。低くても牛や馬は入ってきません。
 
         
 
 
 
         
  海外旅行恒例の経済会議を行います。手持ちの現金とこれから必要な経費を考えて、二人で分けます。空港で両替したのは日本円で一万円。それが十七万トグリクになりました。これはかなりの円高レートのようです。缶ビールが700トグリク(40円)だったので、日本の4分の1くらいの物価だと感じます。これなら手持ちの現金でなんとかなりそうです。
ただ問題なのはモンゴル紙幣で、100・200・500・1000・2000・5000・10000と種類が多いのに、洋数字が片面の片方にしか書いてありません。サイズは少しずつ違いますが一目でいくらか分からないのです。実際、買い物のたびに大騒ぎでした。
 
 
         
 
  夕べ、朝食の時間を8:30と言っておいたので時間が余ります。ウッドデッキで景色を眺めながら時間をつぶしていると、馬たちがやってきてキャンプのすぐ外の草を食べています。黒や白や茶色やいろんな馬がいます。  
         
  やっと朝食になりました。基本はパンとお茶です。中国製のポットに紅茶が入っています。あとでコーヒーが入ったグラスポットが来ました。皿にはバター・チーズ・ジャムが載せてあって、それをパンにつけて食べます。パンは小さめ・固めの食パンです。
私たちは基本的に一日二食なのでパンは控えめにし、カップにインスタントみそ汁を入れて紅茶でといて飲みました。ガイドのTさんによると日本人でそうする客はたくさんいるようです。
 
 
         
 
 
モンゴルというと「草の海」というイメージですが、このウンドゥルドブなりボクト国立公園は瓦礫の大地で、その上に低い草が生えている状態です。ゴビ砂漠に近いせいかもしれません。低い草を食べる動物たちも大変で、一日中食べているのも仕方ないようです。丘を歩いていると時々動物の骨を見つけます。Tガイドさんによると、動物が死んでも穴には埋めないそうです。狼が始末してくれるとか。ブルル・・・
 
         
  そんな砂漠の大地にもいろんな花々が咲いています。桔梗科の青い花が多いようです。白い花も多く、たまにピンクの花があるとホッとなごみます。  
 
         
 
 
午前10:30、乗馬体験が始まります。この前にひと悶着あるのですが、それは馬は来たもののインストラクターが来なかったこと。Tガイドさんはぶつぶつ言いながら自分の鞍を持ってきて私を馬に乗せました。彼は五歳から馬に乗っていて、インストラクター免許もあるのでした。
乗馬にはいろんな儀式、姿勢や動きの基礎講座があって、乗るまでが大変・・というイメージがありましたが、いきなり「乗ってください」と言われ、それから五十分間の遠出に出かけたというスパルタぶりです。「モンゴルで馬に乗る」という私の目的がすぐ達成できて嬉しかったけど焦ったなあ・・・
 
         
  実際馬に乗って分かったことは、上下動があるのは当然として、横揺れがあるということです。騎乗していると、前後上下に加えて左右の揺れがあるのです。つまりダッチロール。それに加えて馬の蹄がネズミ穴に落ちるショックもあります。それを膝で吸収するのです。そんな状態を続けると体はパンパンです。
最初の五分で体が極度の緊張にさらされます。ガッチガチになって全身が痛くなります。それから徐々に緊張が解けて、ニ十分くらいで体が柔らかくなります。乗馬を楽しめるのはやっとそれからです。モンゴル馬は小さいですが、これは特に小さかったようです。
 
 
         
 
 
         
 
  一方、かみさんはやっと連絡がついて迎えに来たBさんの車で建設中の「T学校」へ出かけました。8/8にはできているはずでしたが、例年にない大雨が続いたので工事が遅れに遅れた、という話でした。
学校は丸太作りの豪快な建物です。(左)周囲はウランバートル郊外では珍しい林の中で、時々盗伐されるという話でした。(左下)学校本体の他に寄宿舎、来客用のゲルも建設工事中でした。(右下)
 
         
 
 
 
         
  寄宿舎の中の現地責任者Bさん。(中央)元日本の留学生で日本語はペラペラ、自分をボッシェ(ドラム缶)と呼んでくれ、と言います。この人とは布袋屋さんで一度会っています。右はその弟さんでやはり名古屋大学の留学生。空港でいっしょだったDさんは同じ名大生で彼の婚約者です。後方はBさんの妊娠中の妻です。
寄宿舎は12〜16歳が対象だと聞きましたが、ベッドのサイズがちょっと小さいかも?
 
 
         
 
  Bさんに送られて帰ってきたかみさんと一緒に撮影。Bさんは一見ギャングみたいですが、サングラスは近眼かくしで中身はジェントルマンです。ただし、大陸的であまり細かいことは気にしません。それが困ることもありますが・・・
かなりの政治家で、ジャイカ(国際協力機構)や日本大使館に顔がきくようです。
 
         
 
二日目の午後、二頭目の馬が来ました。前の白馬より一回り大きいやつです。前のが125ccならこれは400ccという感じでしょうか。ただ、大きくて乗りやすいのはいいのですが、鞍が粗雑なもので尾てい骨をこすり、二時間乗ったら皮がむけて死ぬほど痛くなりました。
私の馬のタテガミが短いのに注目。これは去勢された雄馬の印だそうです。
 
 
         
 
 
この日、途中で遊牧民のゲルを訪問するという日程が入りました。キャンプのそばにいる遊牧民を訪ねます。乗ってきた馬をしばる杭はないので、どうするのかと思っていると、Tさんは一頭の馬の脚を縛ります。すると馬はおとなしく動かないのです。さすが遊牧民出身ですね。馬はどんな炎天下でも半日くらいは立っているそうです。
 
         
  訪ねたゲルには子どもがいました。男の子と女の子の二人だそうですが、ゲルの内外には数人の子どもたちが遊んでおり、どれがこのゲルの子なのかわかりません。一緒に記念撮影してデジカメで見せると、ワイワイ騒いで喜びます。
遊牧民は訪ねてくる客を決して断らず、誰でも歓迎するという習慣というか不文律があるそうで、Tさんも他人のゲルなのに自宅のようにくつろぎます。これは驚いた習慣ですね。でも、うちの田舎でも昔はそうだったような・・・
 
 
         
 
  ゲルで最初にふるまわれるのが馬乳酒。実は酒ではなく、革袋の中で発酵させたヨーグルトです。これがすごく酸っぱく、とても一口では飲めません。大きなマグカップを持て余します。同じものを酸っぱいものが好きなかみさんはあっという間に飲みほしていました。
奥に見えるのはチベット仏教に近いモンゴル仏教の仏壇です。でもTさんに言わせると遊牧民の本当の宗教はシャーマニズムだとか。
 
         
  この日、ゲルの夫婦は馬乳しぼりをやるそうです。仔馬が集められ、ロープに並んで縛られています。母馬がやってきて授乳しようとするのを、横からかすめ取るのだそうです。ちょっと気の毒な気がします。
この時、大粒の雨が降ってきました。たちまち空は暗くなり、景色は雨に煙ります。その中でも乳搾りは続いていました。私たちはあわててキャンプに引き上げました。
 
 
         
 
 
 
         
 
  しばらくして雨が上がりました。西の空を見ると大きな虹が・・・「スーホの白い馬」という絵本でモンゴルの虹を低く巨大なものに描いていて、絵本としての誇張だろうと思っていましたが、実際に低く巨大な(日本で見るものの五倍はある)ものでした。
私とかみさんは虹のかかる丘に登ることにしました。
 
         
  遠くから見ると緑の丘も、実際は動物のフンまみれの山です。大きな牛のフンはよけられますが、大小のフンがびっしり落ちているので全部よけることは出来ません。なるべく踏まないように歩くだけです。見る場所が高くなると高原の景色はどんどん雄大になります。見下ろすと山羊の群れがこちらへ登って来ます。
やがて追いつかれました。(左下)大きなヤギは子牛ほどもあり、太い角をガキンガキンと突き合ってじゃれています。引率していたのはまだ少年のような男性でした。
私たちはさらに高い山に登り、遠く湾曲する地平線を見下ろします。(右下)
 
 
         
 
 
 
         
 
  キャンプに別れを告げ、ウランバートルへ向かいます。ウランバートルの中心市街は南北を山に挟まれた東西に細長い形をしています。せいぜいわが町我孫子市と同じくらいの市街ですが、そこに240万市民の3分の1、80万人が住んでいるというのですから大変です。この日も道路は大渋滞でした。日程的には「市内観光」となっていますが、とても車で移動したくありません。  
         
  かろうじてスラバートル広場にある国会議事堂を横目に見て(右写真)、ノミンデパート(国営・・だけど田舎のデパート)で土産物を買いました。
私達の泊まる日系資本「フラワーホテル」は街の東に(上地図右囲み)、食事するレストランは駅前(左下囲み)で、いちいち往復するのが大変で、渋滞はもうこりごりでした。
観光らしい観光としては中心寺院「ガンダン寺」参りがありました。
 
 
         
 
 
 
         
 
 
 
         
 
  上下7枚は全てガンダン寺です。左上と右下にある塔が大仏殿で、左の観世音像が安置してあります。ガイドのTさんに「着飾ったクシャトリア像が本尊って珍しいですね」と言うと、「実は元の大仏は社会主義時代に破壊されてしまって、これは民主化後に造られものです」とのことでした。
これで写真は終わりですが、実はこの日はかみさんがカメラを持っていて彼女は街の風景なんかに興味がないのでほとんど撮影しなかったのでした。
 
         
 
 
 
         
  さて、モンゴル旅行記終了です。でも、馬に乗るという目的を果たした私に比べて「絵本を読む」というかみさんの目的は果たされていません。心配した食の問題もそんなに障害ではなさそうだし、いずれ時期を見て「T学校」を再訪しようね、と話し合っているところです。その時には直接Tさんにガイドを頼み、もっと快適な旅にしたいと思います。そのためにTさんとは現在メール交換しています。  
         
 
戻る/トップに戻る