ケイト・グリーナウェイ

Kate Greenaway

(1846-1901)

 

子どもを描いた挿絵画家で、他の追随を許さないほど独占的な人気のある画家。ラファエル前派伝説の掉尾(とうび)を飾る人でもある。

「パンチ」誌などに木版画家を描いていた父ジョン・グリーナウェイのもとで自らも画家を志す。南ケンジントン美術学校で学ぶとともに画家アルフォンス・レグロスに師事した。

1871年からグリーティング・カードの制作を始め、好評を博す。1877年、出版業者で版画技師でもあったエドマンド・エヴァンズと知り合い、ギフト用の絵本の制作を始める。これが大当たりを取り、中でも1883年から続いた「暦」シリーズは彼女の名を一気に高めた。グリーナウェイは経済的に大きなものを得ることが出来たが、これ以後、無数の彼女の模倣者たちが現れることになった。グリーナウェイの絵が誰にも親しく感じられるのは、その亜流たちの絵が氾濫したために見慣れているような気がするからである。

グリーナウェイは水彩で下絵を描き、それをエヴァンズが版に彫るという過程を取ったようだが、現在のオフセット印刷と同じ原理の「色石版」の発明がそれを可能にした。

 

1882年、美術評論家ジョン・ラスキンと知り合い、生涯の友となった。ラスキンによって彼女はその絵画的な力量を高め、1888年に代表作「ハーメルンの笛吹き」を発表することができた。一方ラスキンは「たかが女子ども相手のお菓子画家にいれあげて」という批難の声を浴びた。

彼らの間に男女関係を認める研究者もいるが、ラスキンの異常な少女趣味から考えるとありえない気がする。

1900年1月にラスキンが死ぬと、翌年グリーナウェイもあとを追うように世を去った。

「柵の上の子どもたち」(1878?)

「マザー・グース」タイトル(?)

「窓の下」(?)

「ハメルンの笛ふき」(1888)

 

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