*かみさんは、なにを好き好んで古色蒼然とした絵を集めているのか、とあざ笑います。でも、好きなんだからしょうがないのです。これらの絵には、昔からの人間の夢や、夜の闇の中に浮かんだ幻があります。それは美しいものも醜いものもありますが、どれも人間の憧れや恐怖を具現したものではないでしょうか。
さてここでは、象徴主義(symbolism)絵画の歴史という形でその変遷を述べてみたいと思います。希望としては、将来3D美術館を作りたいのですが、技術的また物理的な問題は山とあるようです。
======イギリス ====ドイツ ====フランス ====そのほか
古典派 フューズリ ―――フリードリヒ―― モロー―――― ウィールツ
――――――ブレイク ――――――――――――シャバンヌ
*これら古典派の影響と、古典復活運動(15世紀ルネサンスを理想とする運動、さらにゴシック・リバイバル)の影響を重ねて新しい美術運動が起きます。
=====ラスキン(美術理論) ==ナザレ派
―――――ラファエル前派―――――――――――――――――
*ラスキンの指導と援助のもと、若い画家たち(ロゼッティ、ミレイ、ハントら)が活躍を始めます。彼らは技術的には先輩のF.M.ブラウンやドイツのナザレ派に学んでいたと言われます。このラファエル前派にはたくさんの画家たちが影響されますが、全世界的な運動にはならずに終わります。この時期、フランスの印象派が一世を風靡するのです。
============================浮世絵
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第2次ラファエル前派
*ラファエル前派が衰退する中で、ロゼッティ派のモリス、バーン・ジョーンズらを中心に新しい運動体がうまれます。彼らの活動範囲は広く、次の世代の工芸運動につながります。特徴的なのは印象派と同様、日本の浮世絵から「美術の大衆化」というキーワードを学んだことでしょう。
アーツ&クラフト運動
*ロゼッティの影響を離れたモリスが自分の理想とする「美術の大衆化」「生活の芸術化」を目指して起こしたのが美術と工芸運動(art & craft movement)です。これは中世のギルド社会の生活と作品を理想とした中世復活運動とルーツを同じくするものでもあります。
この時期、イギリスは産業資本主義にひた走っており、そのひずみがあちこちに生まれていました。モリスの運動は近代のグロテスクな「モノ」作りに抵抗する運動でもあり、人間回復の運動でもありました。従ってそれは当時の社会主義運動ともシンクロナイズするものでした。
美術的な側面で言えば彼らは、高級な絵本創りを始めたり織物・壁紙・ステンドグラス・家具などを創りますが、絵本の功績が大きいかと思います。
グラスゴー派
*モリスたちとは多少違う次元で工芸運動を始めたのがグラスゴー派です。マッキントッシュ、マクドナルド姉妹を中心とするこの派の人達は中世主義よりは近代主義的です。この派とモリス派とともに次世代のアールヌーボーで世界的な影響を与えます。
アールヌーボー
*アールヌーボーとは言うまでも無く「新芸術」というフランス語です。この名前は各地でそれぞれの呼び名で呼ばれます。(ドイツ=ユーゲント・シュティルなど)
内容もそれぞれで、統一的な主義というものではありません。しかし、この名で語られる多くのグループと作家が輩出し、一つの時代を築きます。
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ドイツ ====フランス==== ベルギー ====ロシア ==その他
分離派 ―――ナビ派 ―――レ・ヴァン派 ――青薔薇 ――分割派
――――――ポン・タヴァン派 ――11人会 ―――芸術世界派
――――――薔薇十字会
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分離派 (sezessionゼツェッション、ウィーン派・ミュンヘン派など)
*この一派は偉大なドイツの幻想絵画家アーノルド・ベックリンなどの影響のもと、退屈なアカデミズムと「分離」する意味をこめて起こった運動と結成されたグループです。
ミュンヘンで指導的だったのはシュトゥックで、クレー、カンディンスキーらが集まりました。ベルリンではマックス・クリンガー、ウィーンではクリムト、ヴォルプスヴェーデ(北ブレーメン)ではフォーゲラーを中心にグループがつくられます。
イギリスと関係が深く、より精密でリアルで魅惑的な、あるいは悪夢のような映像を提供しました。
ウィーンのクリムトの弟子にはエゴン・シーレ、ココシュカがおり、現代の「ウィーン幻想派」へとゆるやかにつづいています。
ナビ派(le nabis)
*ゴーガンの影響のもと、自らを次世代の「預言者(ナビ)」と呼んだグループ。ヘブライ神秘主義の色濃いが後期印象派との区別は難しい。
モーリス・ドニ、ポール・ランソン、ピエール・ボナールらが集まり、後にフェリックス・ヴァロットン、ロートレックらが参加した。
これとは別にゴーガンのいたポン・タヴァンに出掛けたエミール・ベルナールやアルベール・オーリエらにゴーガンを含めてポン・タヴァン派と呼びます。
フランスの画壇で象徴主義の一大集結場となったのが薔薇十字会(les
salons de la rose-croix)で、ジョセフィン・ペラダンが指導しました。セオン、ポアンらフランス人の他、各地から多彩な人物が参加しましたが、特にデルヴィルやレ・ヴァン派などベルギー系が多かったといいます。
レ・ヴァン派(le vingt 20人会)
*イギリスの直接的な影響を受けたのがベルギーの画家たちで、最初は分割派のスーラのもとにこの「20人会」を結成しましたが、クノップフがリードするようになるとロゼッティ的なエロチシズムが充満します。アンソール、トゥーロップ、ロップスなど重要な画家たちが集まり、ブリュッセルは象徴主義の国際センターのような様相を見せます。
20人会の影響のもとに11人会(エルフ)が生まれ、他の重要な画家、クリンガー、ホフマンらが集まりました。こちらの特徴は額縁と絵を一体のものとして構成する方法です。
青薔薇(golubaya roza)
*ロシアで象徴主義運動ののろしをあげたのはペテルブルグで、ミハイル・ヴルーベリらの「芸術世界(ミール・イスクーストヴァ)」派でした。この影響を受けてモスクワで活動を始めたのが「青い薔薇」グループでクズネツォフ、リャブリンスキー、マトヴェーエフなどの名前があがります。
カンディンスキー、シャガールらはこの流れから出て来ます。
分割主義派(divisionismo)
*スーラやシニャックらが始めた「分割主義」(デバイデニズム)は世界を光の粒子で表現しようというもので、この哲学自体は世界を光の差異で現そうとする印象派と同様にモダニズムというべきものです。ところが、この技法がイタリアでは神秘主義と結び付き、新たな象徴主義の一派となります。代表的な画家はセガンティーニで、今では世紀末を代表する重要な画家の一人とみなされています。他にプレヴィアッティ、ノメリーニなどがこの派に属しています。