イワン・ビリビン
Ivan Bilibin(1876-1942)
 
ラッカム、デュラックなどと肩を並べる20世紀初頭の最も影響力のあるイラストレーターの一人。正式な名前はイヴァン・ヤコヴレーヴィチ・ビリビン(Иван Яковлевич Билибин)。
ロシアのサンクトペテルブルク郊外に生れる。ペテルブルグ大学で法律を学ぶが、法律家には向かないことを自覚して美術学校に転校。ロシア美術界の大家イリヤ・レーピンに師事した後、ミュンヘンに留学し、沸き起こる新時代の美術(ユーゲント・シュティル)に触れた。
帰国後、『ミール・イスクーストヴァ(芸術世界)』誌に参加、スラヴの神話や民話に強い霊感を受けた作品を創り始め、1899年からロシア民話をベースにした斬新な絵本全八巻を発表して、名声を掴んだ。
彼の絵本作品はロシアの民族的意匠とアールヌーヴォー的な装飾や構図を融和させたもので、ロシア国立印刷所の最高の技術による鮮やかな多色石版が用いられていた。彼はまた1906年にパリで公演したディアギレフ率いるロシア・バレエ団の舞台・衣装デザインを担当し、ロシア芸術界に新風を吹き込むとともにヨーロッパ社会に「ロシアの衝撃」をもたらした。
1905年革命の間は、革命に関する戯画を描いていた。1902年から1904年にかけてロシア北部を遍歴し、古い木造建築やロシアの伝承に魅了される。その成果を研究論文『ロシア北部の民間芸術』(1904)として発表。一方で、日本の浮世絵からも大きな影響を受けた。
1917年、ロシア革命に相容れないものを感じてソ連を脱出。カイロとアレクサンドリアに短期間逗留した後、1925年にパリに定住した。同地では、私邸やロシア正教会の装飾職人として働いた。しかしながら故郷への憧れはつのる一方で、1936年にソ連大使館の模様替えを終えると、ソヴィェト・ロシアに帰国した。1941年までソ連美術アカデミーで教鞭を執りつつ、国民的英雄叙事詩『ブイリーナ』の絵本化に取り組んだが未完に終わっている。
ビリビンの絵本は現在もさかんに出版されている。しかし、ビリビン自身は初期の作品を「ロシア民族文化としては不十分」として否定的だったらしい。後半生はその信念に基づいて精密で装飾的な「イコン」の再現を目指していたが、道半ばに倒れた。レニングラード攻防戦の真っ最中だった。
 
「マリヤ・モレーブナ」より
「うるわしのワシリーサ」(1902)より
「うるわしのワシリーサ」(1902)より
プーシキン「黄金のにわとり」(1910)より
「うるわしのワシリーサ」(1902)より魔女バーバ・ヤガ
ロシア昔話から
リストにもどる/表紙にもどる/トップにもどる