質問43 「愛する歌」にまつわるエピソード

 演奏会で聴いた「さびしいかしの木」に一目ぼれ(一目聴き?)して、早速楽譜を取り寄せ勉強しております。(曲集「愛する歌」の中では)「さびしいかしの木」と「誰かか小さなベルをおす」がお気にいりです。どういういきさつでこの歌詞とめぐりあったのでしょう?エピソード等ございましたら、お聞かせくださいませ。

 sola 静岡県

解答 

 solaさんのリクエストは「さびしいカシの木」のエピソードとのことですが、少し枠を広げて、曲集「愛する歌」にまつわるお話を・・。

 プロフィールの欄にも書いたとおり、私は都立芸術高校ピアノ科を卒業後、一浪して作曲科に転向したので、一浪中はかなり集中的にいろいろ作曲技法を勉強しました。和声、対位法、フーガやソナタ形式による作曲、初歩管弦楽法など、とにかく作曲家としての基礎となる厳格な様式をみっちり勉強する毎日で、それだけではあまりに窮屈なので、受験勉強のほかに自分の純粋な楽しみのための曲を書きたくなってきたのです

 何気なく立ち寄った本屋さんに、やなせたかしさんの「愛する歌」第二集が置いてあり、ぱらぱらめくると可愛らしいイラストとともに、ストーリー性のある素敵な詩がたくさん入っている。即座に購入して勉強の合間に少しずつ「うた」をつけて楽しみました。

 全部で11〜12曲は書いたでしょうか。書いたら演奏を聴きたくなって、それらを二部合唱に直し、小学校の恩師T先生のところに持っていきました。受験勉強で大忙しのあの時期、よくそんなことをしている暇があったと思うけれど、とにかく「授業で歌って下さい」と売り込みにいった私。後にも先にも、ああいう自作品の売り込みはやったことがありません。T先生は「よく来た!」と歓迎してくださったものの、結局授業で取りあげては下さらず、そのまま楽譜はお蔵入り・・。

 再び日の目をみたのは大学院修了から5年後の'88年。編集者Iさんから「教育音楽」(音楽之友社)の付録楽譜に一曲載せたいというお話があって、久しぶりに「愛する歌」の存在を思い出し、引き出しの奥からごそごそ出して見てみたのですが・・。やはり浪人時代の作品ですから習作レベルも多く、十数曲中、質がいいと思われた「地球の仲間」「ロマンチストの豚」「ひばり」の三曲だけ残し、あとは全部破棄してしまいました。

 詩集「愛する歌」第2・第4集から、新たに「ユレル」「犬が自分のシッポをみて歌う歌」「さびしいカシの木」などを作曲、やなせたかしさんにお手紙を書いて、その時すでに絶版になっていた「愛する歌」1・3・5集もコピーしていただき(大忙しのやなせ氏によくそんな面倒なことお願いしたものです)7年かけて全10曲書き上げました。あんな可愛らしい曲集に20年もの歳月を費していたとは!

 「教育音楽」小学版'88年11月号に最初の曲「地球の仲間」が掲載されるやいなや大人気・・ということは全くなく、ほとんど反応なしで始まった連載でしたが、その後徐々に人気を上げ、ということも全然なく、全十曲連載し終わっても、評判いいんだか悪いんだかわからぬまま。それでも編集I氏は曲集にまとめようと言ってくださり、'95年にやなせたかしさん直々の可愛いイラスト付で晴れがましく出版されたのですが、ここでも楽譜の売れ行きはいまひとつ。

 同年、こんどは自作歌曲作品のコンサートを開いたのですが、企画から本番まで3ヶ月という短い準備期間だったこともあり、曲がたりない。窮余の一策として、「愛する歌」の歌曲版を加えることにしました。ところが埋め草のつもりだったこの曲集を、練習の段階でまず歌い手の今関智子さんが気に入ってくださり、声楽家は「涅槃」のような大作も歌いたがるが、こういう小曲集も必ず気に入るはずだから、合唱譜だけでなく歌曲譜も絶対出版するべきだ、と強く勧めてくださったのです。はたしてコンサートでも「愛する歌」は大人気で、それをきっかけに一年後には歌曲版(「木下牧子歌曲集 晩夏・愛する歌」)が出版され、歌曲版の人気と連動してじわじわと合唱バージョンの認知度も高まっていったのでした。

 ちなみに、今や「愛する歌」は多くの合唱団に演奏される人気曲集となり、「ロマンチストの豚」「さびしいカシの木」のアカペラ版も浸透しつつあります。何事も最後まであきらめてはいけないんですねえ。

2004.3.16