質問11 木下作品はサブコンには難しすぎるか?

 僕は某大学合唱団の副指揮者で、次の定演で1ステージ受け持つことになったのですが
「うたよ!」をやりたかったのに、「木下牧子の曲は難しいから止めたほうが…」と言われてしまい断念しました。楽譜を見ていると、リズムもそんなに難解なものでもないし、いまいち腑に落ちないのですが・・。多くの合唱人に親しまれている筈の木下作品がなぜそんなにサブコンから引き離されているのか。私には少々理解に苦しむ物があります。「木下牧子は曲集をする方が組曲を仕上げるより大変だ」というのが却下の理由でした。
 なぜこの様にビギナーの指揮者には木下作品は敬遠されてしまうのか、何か思われる所がありましたら教えてください。

大阪府 F.K.

解答
 ええ!そうなんですか?それは知らなかった。「うたよ!」とか「地平線のかなたへ」とか、ずいぶん大学合唱団の定演のサブ・ステージで取り上げられていますけどねえ。
 とはいえ、その先輩の言いたい事もよくわかります。シンプルな作品ほど音楽性がもろに出てしまうので、まだ指揮法にも、団員を統率するにも慣れていない副指揮者が譜面の簡単さにつられて選ぶと痛い目をみる、という親心なのでしょう。

 「地平線のかなたへ」は、シンプルなりにいろいろ動きがあるので、まだまとめやすいのですが、「うたよ!」は見事にシンプルなうえフレーズが長いので、曲をまとめるのにかなりのエネルギーを要します。副指揮者にかぎらず、合唱の世界ではフレーズ感覚が希薄な(というか、ほとんどない事が多い)ため、感情をこめようと思うと、指揮が大振りになって異常に間延びしてしまうんですね。日本語がシラブルで分断されやすい言語であるのも、それに拍車をかけています。

 フレーズを維持するには緊張感の持続が必要で、大勢の声をタテに揃えつつ、緊張感を保って積極的な横の流れを作っていくことは、精神的にも体力的にもほんとうに大変な作業です。でも、その大変な作業こそが音楽を作るということです。間が持たないからといって、フレーズを歌わせるタイプの曲を敬遠し、余白のないびっしり音だらけの曲ばかり演奏するのでは、永久にフレージングは身に付かないし、そういう演奏は音楽ではなくソルフェージュでしかありません。あ、いけない、おもわず熱くなって厳しい口調になってしまいました。

 まあ、そんなわけで、「うたよ!」など、音取りに時間のかからない曲でこそ、フレージング、日本語のデイクション(詩の内容を話し合うなんてコトでなく、メロデイーの流れを分断せずに、いかに効果的に言葉を乗せるか、といった具体的なこと)などを試行錯誤していただきたいと思います。失敗したって失うモノはなにもない若いうちに、是非いろいろトライしてください。サブ・コン大いに結構、って私が言ってもだめか。

2000.10.17