Q. 木下さんのアカペラ曲は純正律で?それとも平均率で?

 木下先生のアカペラ曲のように、調性を特定できない不思議なハーモニーで書かれた曲を歌う場合、純正律で演奏することを期待(想定)されていますか?それとも、平均律でよいのでしょうか?(福岡県民 )

A. 「純正律」はたしかに自然倍音だけの響きですから美しいです。小・中学生のときから純正律で歌わせることには私も賛成です。転調のない、なるべくシンプルな和声構造の曲で、自然倍音の美しい響きを小さいうちに体験しておくと、その後、いつも倍音の多い美しい響きを追求する耳と姿勢が出来ます。これは実に大切なことです。
 でもそんなに響きの美しい純正律がなぜ12平均率に主役を奪われてしまったんでしょう。
それは欠点も多いからです。ひとことでいうと転調できないからですね。転調どころか同一調性内でさえ、副三和音や借用和音では響きが濁ってしまうわけで、いってみればI度とIV度とV度の主要三和音だけで構成される曲でしか効力を発揮できない、じつに「制約だらけの」「融通の利かない」音律なのです。だから鍵盤楽器を主体に考えたら全く訳立たずだし、アカペラ合唱のようにピッチの微調整が可能な編成でさえ、調性のはっきりしない曲や無調の曲を全部純正律で正確に歌うなんて理論上不可能だし無意味です。

 では全部きっちり12平均率で歌うべきか。
そんな必要もありません。いい耳は本能的に「よりハモるピッチ」を探すわけで、転調だらけの曲でも、しっかりと調性が定まるポイントで純正律の響きに収れんするのは、ある意味当たり前のことです。だってアカペラならピッチの微調整が可能なのだから、わざわざよりハモリの悪いピッチに落ち着く必要ないでしょう。

 だから、要所要所和音がきっちり決まる所では純正律の響きで、進行上調性がぼけたり無調になるところは12平均率で正確に取る、というのが私のアカペラ作品を歌うとき、というか近・現代の作品を歌うとき大切だと思います。要するに「ポイントポイントで最もハモる響きを見つけだす感度のいい耳と柔軟な姿勢」が大切でしょう。

 余談ですがピアニストは12平均率でしか音程をとれないか、というとそんなこと全然なくて、私の知る限り、日本で数少ない純正律系の優秀な合唱団の指導者はほとんど鍵盤楽器出身の方です。要するに大切なのは感度のいい耳なのです。

2004.11.17