ヲ00年12月9日
批評家の責任 今日の音楽批評
シンポジウム

会場 東京ドイツ文化会館ホール

 「日本とドイツの音楽評論家を招き、実際に現代音楽作品の批評を展開し、議論をし、ひいては21世紀における批評家の役割について考える機会とする」目的で、東京ドイツ文化センター主催のシンポジウムが開催された。出席者は日本側から作曲家の近藤譲氏、批評家の長木誠司、丘山万里子、白石美雪、沼野雄司、龍村あや子、小沼純一の各氏、ドイツからエレオノーレ・ビューニング氏など批評家3名。8〜9日の2日間、午後1時から夜8時半までびっしりのスケジュールで、一人ずつの講演ありディスカッションあり、これが入場無料というのはお得だが、師走の平日に丸2日間やられても、まともな大人が全部に立ち会うのはまず不可能。せっかく今回のような面白い企画を立てるなら、誰を対象にしたシンポジウムかもっと考えて、効果的に人の集まる時間帯に開催すればいいのにとも思った。それにしてはなかなかの聴衆を集めてはいたが。  

 私は2日目の夕方時間があいたので出掛けてみた。批評家は日独とも、すでにやや疲労が色が濃く、「ドイツにおける音楽批評の現状」「今日の批評家の役割・責任とは」などの講演やディスカッションも、期待していたアグレッシブなものではなく、ああやっぱりどこも現状はきびしいのだな、とか、批評家も今や何を良しとするか拠り所を失って困惑しているのだなとかいったしみじみした内容なのだった。それはそれで、評評家の人間味が出ていて新鮮であったが。きっとスケジュールがハードすぎたのだろう。 

 それに引き替え、9日初登場の作曲家・近藤譲氏はその話術が抜群に魅力的で、主張にも説得力があり、お疲れ気味の批評家の皆さんのなかで目立ちまくり。
そもそも私は、長木誠司氏のユーモアと毒に満ちた音楽批評のファンなので、このシンポジウムにも興味を覚えたのだが、今回はどうも近藤譲氏の一人勝ちという感じであった。洗練された物腰と笑顔、堂々とした貫禄、明瞭でゆっくりした日本語、ユーモアを散りばめて聴衆を惹き付けながら、かなりキツイ主張も言いきる話術。いやあ感心しました。感心したあまり、帰りに氏のCD「おちこち」を思わず購入してしまった私である。他にも「横浜」など近藤ワールドを堪能できるCDがたくさん出ているし、「線の音楽」(朝日出版社)などの著述も多数。何気なく接してきた近藤氏のCDや本、もう一度読み直してみようっと。

 近藤氏にばかり感心してしまったが、今回のシンポジウムでは、同時通訳機がすべての座席においてあって、イヤホーンを付けると、日本人の講演ではドイツ語の同時通訳が、ドイツ人の講演では日本語の通訳が流れるようになっていたのにも感心した。以前(10年くらい前)やっぱりドイツ文化会館で開催された講習会では、ドイツ人講演者のよこに日本人通訳が座って、少し話すごとに日本語訳をはさんでいったのだが、通訳の声が小さい上に、内容が理解しにくくて、退屈してしまったのを覚えている。便利な時代になったものだ。