51 大地讃頌

 知っている合唱曲を一曲だけあげよ、といわれたら、たぶんこの曲の名が一番多く上がるのではないだろうか。中学の教科書にも載っていて、技術的には音域低め、曲も短く誰でも歌えるが、曲調は堂々と品格のあるクラシック的味わい。式典などで歌い上げるのにぴったりの名曲だ。この曲を巡ってひと月前に新聞記事が載った。

以下はasahi.com(03/24 21:07)からの抜粋引用

 東芝EMIは24日、ジャズバンド「PE'Z(ペズ)」のシングル「大地讃頌」と同曲を含むアルバム「極月−KIWAMARIZUKI」を出荷停止にしたと発表した。この曲をめぐっては作曲者の佐藤眞東京芸術大教授が2月に、編曲権と同一性保持権を侵害しているとして販売停止の仮処分を東京地裁に申請していた。

 要するにあの合唱曲「大地讃頌」を、インストルメンタル・バンド「PE'Z」が金管楽器を多用し独自の味付けでカバー。それを作曲者佐藤氏が認めず、販売停止申請を出した訳ですね。東芝EMI側は最初「演奏家の自由と独自の芸術性を否定するもの。特に即興を根幹とするジャズの存在にかかわる」と最初は真っ向から争う姿勢でいたものの、演奏者のPE'Zサイドが請求内容を全面的に認めたため、東芝EMI側も同意、佐藤氏側も訴えを取り下げた、とのこと。

 訴えを起こした佐藤氏の自作品の格調を守りたいお気持ちも、「大地讃頌」リスペクトの思いで演奏したのに作曲家を怒らせてしまったPE'Zの無念も、お金をかけてCDリリースしたレコード会社のそりゃないよ的立場もそれぞれよ〜くわかる。私は、PE'Zが「大地讃頌」リリース直後にラジオ出演したのをたまたま聞き、彼らが元曲への熱い思いを語るのを、かなり好感を持って聞いた。もしこれを佐藤氏がお聞きだったら状況は変わっていたかも。しかし次に流れてきた演奏を聴いたときの奇妙な脱力感も忘れがたい。ふえ〜、これが「大地讃頌」か・・。佐藤氏のおっしゃる「荘重な曲のイメージを著しく損ね」っていうお気持ちもわからないではない。

 最近はポピュラー全盛で、曲の大きな要素はメロディーとコード進行だけ、みたいな風潮が強いが、クラシック系の作品においては、メロディーは要素のひとつでしかなく、構成こそが重要である。メロディが全編通して流れることはまれで(歌曲を除いて)、主旋律と対旋律とのからみ、第一主題と第二主題の対比、声部の受け渡し、転調を伴う変奏と展開、移り変わるリズム、独創的なオーケストレーション、それらすべてが緩急、強弱を伴い混然と一楽曲を作り上げる。すべての要素が揃ってはじめて作品として意味を持つのだ。

 そういう作法で書かれたクラシック系作品から、わかりやすいメロディラインだけを取り出して別の味付けをしたり、もっと悪いのはそれに勝手な歌詞をつけて二回繰り返して新曲として発表するやり方は、元曲作曲者からすると、ショックのあまり卒倒して泡を吹くほど乱暴な行為である。組曲「惑星」の作曲者ホルストが、自作品の勝手なアレンジを厳禁していたのは有名な話で、それは作曲家からすれば当然の主張といえるだろう。最近著作権が切れたのか、「惑星」のなかの一曲「木星」のメロディをもろに使った「ジュピター」(題もそのまんま)という曲が大ヒットしたが・・。

 だから今回のPE'Zのケースも、クラシック系現代音楽作曲家(う〜ん矛盾に満ちた言い回し)佐藤眞氏にとっては許し難い行為だったに違いない。だがポピュラー界の音楽認識からすれば「侵害」にはあたらないのだろう。レコード会社側は「PE'ZはJASRACの正式な手続きを踏んだ上で「大地讃頌」を演奏したのであり、別 の曲に改変したのではない。楽曲の演奏にアレンジが加わるのは当然。演奏者にも演奏の自由がある」といっている。ひとつ問題があったとすれば、作曲者に事前に許可を求めなかったことだろうか。クラシック系作曲界では、こうした場合、作曲者が存命なら必ず本人に直接許可を求めるのが常識だ。知名度でも金銭面でも殆ど報われないのに、コツコツと複雑なクラシック系現代音楽?を書き続ける人間にとって、大切なのはJASRACから送られる小金などではないのである。「作品の尊厳!」これこそ死守すべき一大事。そういう誇り高き人種だから許可が降りない危険もあるが、少なくとも制作してしまったCDのリリース差し止めを食らうような事態にはならずにすむ。

 もっともクラシック系作曲家の作品でもメロディ主体のシンプルな「歌曲」なら、他者がアレンジを行っても全くOKという場合もある。メロディが最初から最後までしっかり通っており、伴奏はそれに淡々と寄り添う形のシンプルな作品なら、クラシック系の曲でも合唱、歌曲、器楽ソロ、オケ、ポップス調どういう形にもアレンジが効いて、しかもオリジナルの味をそれなりにキープできるかもしれない。そういうメロディー主体の曲なら、知名度が高ければ高いものほど、元曲とまったく異なるコード付や楽器編成にしても「侵害」感はなく、それどころかオリジナル・メロディの生命力とアレンジの新鮮さが際立つこともある。要するに作品の形態によってそれぞれ対応も変わるのが当たり前で、アレンジの出来によっても評価は大きく分かれることになる。

 今回佐藤氏側が裁判に持ち込もうとまでしたのは、クラシック系作品の芸術的価値や著作権を軽んじ、どこからでもおいしいメロディだけちゃっかり取り込もうとする、最近のポピュラー音楽界のルーズな姿勢に対して一石を投じるおつもりだったのだろう。

 もっとも今回東芝EMIが対決姿勢を打ち出したのに対し、「PE'Z」側は最後まで「大地讃頌」という楽曲と作曲家の佐藤氏に対して大きい敬意を払っていたのが心を打つ。彼らにしてみれば、「おいしいメロディだけ利用する」ような薄っぺらい思いでは全くなく、自分たちが敬愛してきた曲をより多くの人に聴いてもらいたい純粋な思いが高じてアルバムに加えたに違いない。彼らが演奏に託したそういう曲への熱い思いが肝心の作曲者には全然伝わらなかった訳で、それを思うとちょっと切ない気持ちになる。このくらいのことでへこまず、「PE'Z」の皆さんには今後も活発な演奏活動を続けてほしいものである。

2004.4.24