49 引越し

 「人間というのは大別するとだいたい二つにわかれる。つまり引越しの好きな人間と嫌いな人間である。」というのは村上春樹さんの文章だが、私の場合は間違いなく前者である。引越し好き以前にものぐさなので実際の回数は大したことない(親元から独立後4回だけ)が、潜在的にいつでも引っ越したいと思っている。

 引越しが好きな理由は、生活環境を一新できる、溜まった不要物を堂々と大量処分できる、時間とお金をかけて完成させたインテリアをご破算して、新しい状況のもと、再び一から作り直す楽しみを味わえる、などなど。「退屈病」の私にとっては、すべてをリセットできる引越しの爽快感は、ちょっと他では味わえないものだ。

 という訳で、12年住んだ場所を離れ、前々から目をつけていたK寺に引っ越してきた私である。12年前の引越しは楽勝イメージだったので、今回も高をくくっていたのだが、無数の段ボール箱に囲まれて、開けても開けてもきりがなく、寒いし疲れるし、手は荒れるし、もう泣きそうでした。私の読みは全く甘かった。

 何といっても前の家に収納場所をたくさん作ったのがまずかった。収納場所が多い分どんどん物が増えてしまい、制御不能に。おまけにMac関連の機材と本の著しい増殖!大して読書家とも思えないのに、本と書かれたずっしり重い段ボール箱がいったい何箱あったやら。特に詩や短編小説は音楽のテキスト目的が主で、中に一行でもいい所があったらその場で必ず購入するポリシーなので(純文学系の詩集は出会ったときに買っておかないと、刷り数が極端に少ないので、もう二度と書店ではお目にかかれない)、際限なく増えていってしまう。

 しかし明けない夜はない。何とか段ボール箱の中身はすべて開けて整とん、箱は畳んで回収してもらい、粗大ゴミを出し、カーテンをかけ、額や花を飾り、ようやく部屋らしくなってきた。それというのも頼りになる友人達と、引っ越し・電気・ガス・水道など各方面のプロのおかげ。すべては収まるところに収まり心底やれやれ。
 アート引越センターいい仕事してくれました。引っ越しはてきぱき無駄なく、丁寧で破損もなし。車の査定、本の買い取りなどは業者を紹介してくれるし、引っ越し時の照明の取り付け、取り外し、引っ越し後の段ボール引き取りもやってくれるので、非常に便利。お勧めです。

 さて新しい環境であるが、ロケーションは最高。大小売店多数、レストラン豊富、美容室無数、それに、これこそ私が引っ越しを決めた理由だが、ベランダが公園に面しているのだ。見渡す限り武蔵野の林と湖のように大きい池。この眺望のためなら、家賃は高くとも、がんばって強く生きていこう。

 しかし人生良いことばかりではない。今度のマンション、実は築35年なので構造がとてもオールドファッションなのだ。建った当時はかなりの優良物件だったらしいが、何事も進歩の著しい昨今、35年の月日は残酷です。特に水回りが・・。部屋面積は充分広いのに、水回りだけ不釣り合いに狭くて貧相。しかも構造があまり旧式で、お風呂場を新式にしたくてもユニットバスが入らない。つまり根本改装ができないのだ。う〜む、バス・ルームにうるさい私がこんなちっちゃいお風呂に入る羽目になるとは。それに北の部屋は窓がちゃんと閉まっていてもどこからかス〜ス〜と風が通って、・・寒い。

 しかしそんなのどうでもよいことで、古くて骨格のしっかりした物件には別の楽しみがある。今は新建材を多用するので、古くなったら取り替えるしかないが、昔の住宅には鉄や木がたっぷり使われているので、これらは一見古びてみすぼらしくても、ペンキを塗るだけで新品同様に蘇る。これは新鮮だった。くすんでさびた所のさびを取ってオフホワイトのペンキを塗るだけで、明るいイメージになるし、戸や柱などで色の剥げてしまった所に同色のペンキを塗ってやるだけで、一挙に重厚な雰囲気が蘇る。

 もうひとつ見直したのが「ふすま」と「障子」と「押入れ」。前の部屋は徹底的にフローリングにこだわったから全室洋間だったが、今回は賃貸だからふすまで仕切られたり仕事部屋に障子がはめ込んであったりする。それが意外にいいのだ。最近はふすまも白い無地なのでインテリア的には問題ないし、フレクシブルで便利。ドアのように開閉に場所をとらないのが素晴らしい。それに「障子」ってなんと斬新なデザインだろう。お布団や毛布には押入の奥行がありがたいし・・、しっかり日本再評価しました。

 前回フローリングにこだわった私が、今回は南の2部屋のしきりを取り払ってカーペットを敷き詰めた。ごく普通の絨毯をフリーカットで部屋の形ぴったりに切ってもらって置いただけだが、敷き込みと変わらない広々としたスペースになって大満足。まめに掃除しなくてはいけないが、ふかふか暖かい感触はフローリングでは味わえない良さだ。価値観て経験によってどんどん変化するものだ。この世に「絶対」なんてものは存在しないのだなと実感した次第。

 ここに何年住むかは自分でも全く予想つかないが、当分はわくわく暮らせそうだ。

2004.2.3