41 インフルエンザ

  前回タフになりたい、と書いた直後にこういう話題になるのも情けないが、新春早々ディープなインフルエンザで苦しんだ私である。インフルエンザというと普通の風邪と混同しがちだが、それよりずっと重症化しやすい恐ろしいウイルスである。特に幼児、高齢者がかかると死に至る確率の高い危険な病気である。だから「風邪お大事に」ではなくぜひ「インフルエンザお大事に」といっていただきたい。そこのところ違いは大きいのである。インフルエンザ特有の症状をインターネットで調べたところ、「高熱」と「筋肉、関節痛」が最も大きい特徴らしい。そういえば十年くらい前にも凄く辛い風邪にかかって10日ほど寝込んだことがあったが、あれもインフルエンザだったのか。

 忘れもしない11年前、2月に東京都アンサンブルコンテスト(合唱)の審査をした。3日連続の審査の一日目、ボイストレーナーのU先生がおっしゃるには「今風邪を引いているが今回の風邪はとりわけ症状が重くて苦しい。でも誰かに移せば直るというから
今回審査員のどなたかに移して楽になりたい」とのこと。何だかいやーな予感がしたのだが、予感どおり風邪を移されたのは私であった。三日目の昼くらいからものすごく気分が悪くなってきて、今まで経験したことのないミシミシという痛みが身体中を走り、頭は呆然となって審査どころではなくなってきた。何とか気力で審査を終えたが、三日目の審査の記憶は朦朧として、どの演奏も天国で天使たちが歌っているようだった。すべては夢の中。あれでよく最後まで採点出来たものである。たぶん既にかなり高熱を発していたのだと思う。そのくせお昼に食通のM先生が「ナントカ屋のお弁当はこれじゃなくて菊の型に抜いたナントカ弁当でないといやだ」とおっしゃったとか、お弁当と一緒に、ホタテ缶と大根の千切りをマヨネーズであえたものが出て、それがとてもおいしかったとか、妙なことを実に鮮明に覚えているのが不思議だ。

 コンテスト終了後、同居人が車で迎えに来てくれるまで、裏口横のソファにうずくまって待ったあの気分の悪さと心細さは今でもはっきり覚えている。車で連れ帰ってもらって、それから丁度一週間寝込んだのだった。1〜2日目はとにかく全身の体の節々がめりめりと音を立てるような痛みに襲われるのだが、このあたりの初期症状が実は一番辛い。高熱が出きったあとは徐々に回復していくのであるが、風邪より快復に時間がかかるし、日頃食いしん坊の私が全く食欲をなくす。普通の風邪くらいでは食欲を無くさない私が食欲を無くした時はインフルエンザなのである。その時も2〜3日絶食状態になったのを心配した同居人が、珍しくスーパーへ買い出しに出掛けて雑炊を作ってくれたのはいいのだが、ただでさえ食欲がないというのに、彼が作ってくれたのは「牡蠣雑炊」であった。何時間もかけて台所でごそごそやっていた彼がもってきてくれた土鍋。フタを勢いよくとった時に顔を直撃したあの「もわっ」と生臭いうっとおしい匂いは今だに忘れられない。ありがたいと感謝はしつつも、匂いだけで「食べたくない」と布団をかぶってしまった私に、彼はかなり気分を害したらしい。本当に申し訳ないことをしたが・・でもやっぱり食欲のない人間には、「牡蠣」よりオレンジかリンゴでも切っていただきたい。

 と、いろんな記憶が蘇るが、今回も11年前とほぼ同じ症状が出た。全身を巨人に少しずつ押しつぶされていくような全身筋肉関節痛は、前回よりさらに辛かった。こういう症状になると、自分がいかに痛みや苦しみに弱いかがわかる。拷問なんて受けたら即自白してしまうと思うので、私に重要機密などはけっして漏らさないで頂きたいと思う。高熱も前回よりひどかった。何といっても最高体温39.9度を記録したのである。平熱が36.3度、かなりの風邪でも37度を出たことのない私にとって、これは当分自慢の種になりそうな記録である。もっとも、熱に苦しんでいた時はかなり深刻な思いだった。

 今からほぼ四半世紀前に私が東京芸大の最終面接を受けたとき、面接官のおひとりに有名な作曲家矢代秋雄先生がいらしたのだが、入学した時には既にお亡くなりになったあとだった。面接官をなさったあとに引かれた風邪(たぶんインフルエンザ)がもとで40度の高熱が三日続き、その高熱のために心臓がやられて急逝なさったのである。先生のお亡くなりになった年齢は今の私と同じ。39度の熱が三日続いたときには、自分も矢代先生と同じ運命?とかなり心細い心境になったものだ。あの有能な作曲家がだめで、私が生き残るというのも申し訳ない感じだが、せっかく立ち直ったからには、これから一日一日を大切に、有意義に過ごしたいものだ。さしあたって今年からインフルエンザの予防接種を受けようっと。

 余談だが、後日、久しぶりにボイストレーナーのU先生にお会いしたら「いやあ、十年前のコンクールでは木下さんに風邪うつされて参ったよ。」ですと。話が逆です!

2002.1.22