35 音楽を志す

 木下さんはなにがきっかけで音楽を志したんですか?という質問をよくいただく。ピアノ科から作曲科へ意識転換したきっかけは「ひとりごと」の23話「きっかけ」に書いたので今回は触れないが、おおもとの音楽を志したきっかけねえ。何だろう。なんだかわからないが、物心ついたときからピアニストになる、と決めていた私だ。

 私の子供の頃は、一般家庭にアップライトピアノが爆発的に普及した時期で、住環境は今よりかなり悪かったほずだが、そんなこと物ともせず、みんな黒々と大きいピアノを小さな家に置いていた。特にうちは一戸建てでなく、公務員用の集合住宅に住んでいたので、あちこちの家からピアノが聴こえてきてもう大騒ぎ。何といってもピアノがあるのは一種のステイタスだったから、みんな窓際にピアノを置いて、窓をあけて練習する(今だったら騒音公害で訴えられてしまいそうだ)。どこのうちにピアノがあって、どこの子供が上手いか、手に取るようにわかるのだ。

 そういう環境だから当然私もソレを弾いてみたくてたまらなった。親にねだってまずオルガンを買ってもらい、ピアノのレッスンに通いだしたのだが、子供心にも先生の所で弾くピアノのタッチと家のオルガンのタッチが違うのが面白くない。そのうちどうやら私の音感がいいらしいと親が気付いて、一年後には奮発してアップライトピアノを買ってくれたのだが、その時のうれしさ!今でもはっきり思い出すことが出来る。

 ピアノ、楽しかったですね。いわゆる初見能力は最初からかなりあったので、とにかく遊び感覚で新しい曲を弾きまくる、というのが私のピアノの弾き方だった。体の運動神経はそれほどいいとも思えないのに、指だけはものすごく回ったから、ほとんど練習しなくても課題で与えられた曲は弾けたし、暗譜もことさら努力しなくても弾いているだけで自然に覚えてしまって(うわー、なんかイヤミ。でも事実なので)。だから残りの時間はひたすら新しい楽譜を初見して遊んでいた。そんな風だからピアノは大好きな遊び道具で、好きなことを続けたいというごく自然な心理からピアニストを目指したのだが、器用なのをいいことに一日の練習時間は1時間半だけ。音楽とピアノは大好きだが、一曲を黙々と練習するのは嫌いなのだった。この貧弱な練習時間は、プロを目指して音楽高校に入学しても変わらなかった。

 もちろん、こういうピアノの弾き方は、演奏家を目指す人にとって正しい練習法とは到底言えない。器用さは、使い方を間違えると演奏家の成長を妨げることになりかねないのだ。回りを見ても、しっかりと演奏家としての地位を築いている人は、どちらかというと不器用な人のほうが多かったりする。時間をかけてじっくり楽譜に向かい、あるべき音を探り、表現を試行錯誤する。そういう音楽の熟成にはある程度時間がかかるものなのだ。中途半端な器用さが、実は音楽の熟成に必要な時間まで省いてしまうことになりがちだ。音楽に促成栽培なし!だから演奏家を志す人に不可欠な条件の第一は、「ちょっとくらい不器用でもいいから、とにかく練習が好きであること」と私は思う。(かなり不器用だと・・それはそれで問題が。)

 もっとも私の初見練習法もまんざら無意味ではなかった。いろいろな時代の曲に数多く接して短時間に構成を把握する練習は、作曲の基礎力を身につけるうえで実に効果的なトレーニングだったように思う。とりわけ感覚派の私には理論書を読むよりずっと自然に体内に深く浸透する方法だったといえる。作曲家となった今考えると、その練習法は大正解だったのかもしれない。

2002.8.26