31 よい聴衆とは高額なチケット代を払い純粋に聴衆のひとりとして演奏会に出掛けるとき、私が気を付けることは「ケータイの電源をOFFにする」「軽く食事をしていく」「遅刻しない」の基本3原則である。 電子音というのはアコースティックサウンドの中で非常に目立つ。どんなに小さな音でも会場の隅々まで見事に通ってしまうから、静かな場面で突然ぴーぴー鳴りだしたりすると、しかもあろうことかそれが自分のバッグの中からだったりすると心臓が止まりそうになる。すぐOFFボタンを押そうと思うのだが、パニクっているから、やみくもにいろんなボタンを押しまくるものの音は鳴り続け、周り中から刺すような視線が。針のむしろに座りたくなかったら、ケータイの電源は必ず切っておく必要がある。 逆に作曲者、演奏者という主催者サイドから聴衆に望むことは、何よりも音楽を集中して聴いてほしいということだ。アコースティックライブに慣れていない人は、静寂の中の緊張に耐えられないから、ppになると一斉にガサガサ音をさせたり無理矢理咳をしたりする。全然悪意がないからよけい困る。それに加えてエネルギー有り余った子供がいたりすると、泣くは、しゃべるは、動き回るは・・もう無法地帯である。こういうタイプの雑音は、いやいやきた義理客が多い時、冠コンサートでチケットが無料の時、作品もしくは演奏が極度につまらない時、特に多く発生する。 しかし、一般招待演奏会やカジュアルなコンサートはある意味、クラシックを初体験してもらう意図があるわけで、少々の雑音は覚悟の上だろうし、核家族制の今、若い母親が演奏会にこようとすれば子供をつれてくるしかなく、親のしつけの甘さをしかるよりは演奏会に託児システムを付随させることのほうが建設的といえる。 しかし全体的に見れば、クラシックコンサートにくる日本の聴衆の態度は、かなり忍耐強く、誠実であるといえるだろう。外国からきた演奏家がみな誉めるのもわかる。 そういう優秀な聴衆の皆さんに更にお願いするとすれば、態度や表情や拍手に感情をあらわしてほしいということだ。失敗してしまった・・という演奏会では、ブーイングもせず、忍耐強く聴いて誠実な拍手を送ってくれる聴衆は涙がでるほどありがたい。しかし現金な話だが、自分でも素晴らしい初演になったという時にも同じようにきっちりした拍手がくると、冷たい無表情な対応に見えてしまうのだ。こんなにいい作品、もしくは演奏なのに、どうしてもっと熱狂してくれないのか、演奏の善し悪し全然わかってないのではないか?といぶかしく思っている演奏家は案外多いと思う。つまらなくても誠実な対応、よかったら表情いっぱいによかったという感情をあらわしてくれる聴衆こそ最高といえるだろう。 ちなみに昨年開催した「木下牧子作品展2」の時は、集中力のあるしかも積極的な聴衆、今年のサンクス・コンサートでは本当に暖かい聴衆に恵まれた。よい聴衆が作曲家を育てるというから、私もこれからかなり成長できそうだ。 2002.5.24 |