29 ほめる

 ホームページを開いて何よりうれしかったのは、掲示板で皆さんの感想を直に読めることだった。もっとはっきりいえば面と向かって誉めていただけることだった。「木下さんの曲が好きでよく歌っている」とか「演奏会よかった!」とかお世辞でもいいから努力に対して暖かいねぎらいの言葉が帰ってくると本当にうれしい。人間誉められるとがんばろうという底力が湧いてくるものだ。そのせいかホームページを始めてから、何だか以前より意欲的に活動するようになった気がする。

 日常で他人から誉められることは哀しいかな、あまりない。まわりの音楽編集者とかCDディレクターといった人々はクールでポーカーフェイスの人が多く(もちろん熱く誉めてくれる人も中にはいるが)、かなりの自信作を聴かせても「ふーん」という反応しか帰ってこなかったりする。プロだから音楽にうるさいのは当然だし仕事でいちいち感動していたら身が持たないということもあるだろうが、口が減るわけじゃなし、もうすこし芝居っ気たっぷりに誉めていただけるとうれしい。

 思えば音楽教育の場でも、あまり「誉める先生」にお目にかかることはなかった。大学の音楽教育は基本的に師匠と弟子のマンツーマン関係だが、ふだんのレッスンで師匠が弟子を誉めることは滅多にない。勿論愛情を持って接して下さるのだが、その愛は作品へのシビアな批評という形を取ることが多い。作曲の個人レッスンでは、批評が皮肉という変化球となって炸裂することも多いが、弟子たる者そんなことでいちいち傷ついていては身が持たないから、神妙な顔をして聞き流すか、言葉の遊戯としての皮肉を楽しむしかない。大学ではまだいいが、作曲家の同人会などになると今度はお酒を飲みながら延々とお互いの作品をこきおろし合うことになる。もちろん悪口ではなく、あくまで相互批評なのだが、そうやって酷評し合うことで才能が磨かれるならともかく、ほとんどの場合いじけたり落ち込んだりするばかりで不毛である。批評されるのは、評論家からだけで充分という気がする。

 こういう環境に身を置きながらも、私には学生時代に力強く誉められた記憶がある。誉めて下さったのは日本人教官ではなく、客演指揮者として東京芸大においでになっていたドイツ人のカール・ビュンテ先生とカナダ人ビクター・フェルドブリル先生のお二人だった。特に、学内試験で選ばれてオーケストラ作品が演奏されたとき、つかつか近づいてきたビュンテ先生が「君には才能がある」と目をみてはっきり断言してくださった記憶は今までどれだけ私の支えになったかわからない。将来の見通しもなく、長いスランプに際限なく落ち込んでいた時、先生の言葉を思い出すたびに「大丈夫、私には才能がある」と気力が湧いてきたものだ。「誉める」ことは、相手に自信を与え、本来の才能以上の力をも引き出してしまう魔法なのだ。

 ただ、その魔法もけっして万能なわけではない。精神的に落ち込んだり自信喪失している人間に使えば大きい成果が上がるが、いい気になったり傲慢になったりしている者にはかえって「酷評」で喝をいれたほうが起爆剤になってよかったりする。飴とムチの配分が難しいところだが、少なくとも日本の教育では、特に音楽教育では全体的にもうすこし誉めることに比重をおいてもよいのではないだろうか。

2002.3.19