26 サード・ポジション

 先日ある食事の席で先輩作曲家N氏の新作の話になった。氏の大ヒット作品集「白いうた 青いうた」を、今度はヴァイオリン・ソングブックとして出版、CDもリリースしヴァイオリン界をも席巻しようという計画らしい。何でもN先生は昔、本格的にヴァイオリンを習っていらしたとのこと。そこで思わず「私も昔ヴァイオリン習ってたんですよ」と口走ったら回りの反応はとても疑わしげ。N先生も「じゃビブラートできる?サード・ポジションは?」なんておっしゃる。うーん、かなり見くびられてしまったようだが、ビブラートだってサード・ポジションだって楽勝です!じゃ今弾いて見ろといわれても困るが・・。とにかく昔ヴァイオリンを習っていたのは正真正銘の事実である。

 小学校の時の音楽専任T先生が私の才能をすごく評価してくださって、ヴァイオリンを無料で教えてあげるとおっしゃったのが発端。先生は「まっこちゃん(私のこと)はどういう寄り道をしようが最後はかならず音楽に戻る子だから、最初から音楽の道を進ませてあげなさい」と私の親に言ってくださった方で、恩人である。もっともT先生が評価しておられたのは私のピアノの才能で(当時は作曲の影も形もなし)、ピアニスト志望の者にヴァイオリン教えるっていうのも(それも十代になって)変わった発想だが私のほうも好奇心を抑えきれず、習い始めたのだった。

 2年くらい習っただろうか、基本にはうるさかったが遊び心いっぱいで、いつも洒落た小品などを弾かせてもらって実に楽しいレッスンだった。めきめき上達した(たしか鈴木教本の10巻は終えたと思う)私に、先生は当時60万もするヴァイオリンを貸してくださり、今度はもっとえらい先生を紹介してくださることになった。N響(今でいう)のコンサート・マスターをしておられたという真面目そうな老先生で、こじんまりした、しかし高級そうなご自宅に毎週伺うことになった。

 老先生のレッスンはとても厳格で、ひたすら教則本にそって一曲ずつ仕上げていくというもの。曲も教え方も、子供にとっては全く面白味がなく、まるで労役のようなレッスンだった。それまで元気に膨らんでいた私のやる気は、オーブンから出したスフレのように一気に萎んでしまったのである。するとヴァイオリンをあごにはさんで立つという行為そのものが面倒になってきた。ヴァイオリンなんて固いものを、なぜあごに挟んで弾かなくてはならないのか?どうしていつも立って弾かなくてはいけないのか?どうしてこんなにつまらない教則本やらなくてはならないのか?と、一挙に反抗心がもたげて私は練習する気をなくした。練習しないままレッスンに出掛けるからおこられる。おこられるからレッスンに出掛けるのがイヤになるという悪循環で、よく妹を使いに出したものだ。「おねえちゃんは今日熱をだしたので行けません」。

 このころの記憶はほとんどない(人間の記憶装置ってつくづく上手くできていて、いやなこと都合悪いことの記憶はすぐ喪失する)のだが、のちにレッスンをやめるときもたしか妹を使いに出した気がする。「おねえちゃんはピアノが忙しくなったのでやめます。」何というひどい姉とやさしい妹だろうか。それにしても老先生からすれば、どうしようもない生徒だったにちがいない。今ごろ反省しても間に合わないが、本当に悪いことをしてしまった。

 恩師T先生のせっかくのご厚意も無にして、老先生のレッスンをやめてしまった私だが、数年でもヴァイオリンをきちんと習ったことは、その後案外役に立ち、高校でも大学でも副科でヴァイオリンを専攻した折には、練習しなくてもそこそこいい成績とれたし、その後オーケストラ曲など書くときもヴァイオリン奏法の基本が身に付いていることは随分役だったように思う。T先生には感謝あるのみ。

 それにしても教育って本当にむずかしいものだと思う。同じ楽器でも教え方次第で楽しくなったり、触るのもイヤになったりする。甘やかして楽しませるだけでは上達しないが、いくら基本が大切と言っても、嫌いにさせてしまったらおしまいだ。覚えるべき基本は徹底的にたたき込む一方で、子供のやる気を引き出し、楽しませ、考えさせ、自主性を引き出す。そういう先生が一人でも増えることを祈りたい。

2001.12.28