21 正義とは

 最近、傍若無人な若者に注意を与えた大人が、逆恨みにあって殴られたり殺されたりする事件が相次いでいる。「電車で殴り殺されないために」などという鼎談も読んだことがあるし、その手の記事は新聞や雑誌でいやというほど目にしていたが、それでもこれらは滅多にない特殊なケース、自分の世界とは関係ないことと甘く見ていた。
ところが!2日前、そういう現場を実際に目撃してしまった。

 急にPCが壊れてしまった日の夜、私は池袋に走ってPowerBookG4を購入し、その大箱を抱えてバスの最後部座席のすみに腰を下ろした。一番後ろの座席は他より一段高くなっているので、バス内での出来事を観察するのに最適だ。

 2列ほど前に大学生風の若者がいて、2人掛けいすの通路側に少しふんぞり返り気味に足を投げ出して座り、携帯でしゃべっている。窓際の席はあいている。だんだん人が乗ってきて、5人掛けの最後部座席には、私のほか、ちょっと太めの熱血漢風青年、定年後と思われる初老の男性。やさしくて気のよさそうな中年男性が陣取った。

 もうすぐバスが出発という時、重量感のある年輩の女性が乗ってきて、若者の横の空席を見つけた。足を投げ出している若者に「すみません、通してください」と声をかけたが、彼は全然知らん顔で携帯のボタンを押している。女性はもう一度同じことをもっと大きな声で言ったが、彼またまた完全シカト。周りの人間はみんな腹を立てて、その若者を睨みつけていたのだが、我慢できずに一人のサラリーマンが彼に注意した。「足をどけてこの人を通してあげなさい」すると若者は大声で「うるせえんだよ、おまえに関係ないんだよ」とサラリーマンを威嚇。あまりにステレオタイプな展開となっていったのだった。それでもなおサラリーマンが注意すると、若者立ち上がってさらに罵倒&威嚇。ついにもみ合いとなった。若者ふてぶてしい態度の割に腕力弱く、サラリーマンのほうが攻勢となった。 しかも今回まわりがだまっていず、最後部座席の熱血漢と初老と中年は若者に向かってそろって、「おまえが悪い!」「暴力ふるったらただじゃおかないぞ」「俺が代わりに相手になってやる」などと威勢のいい台詞をはいてサラリーマンに加勢し、若者は窮地に。完全傍観者の私はわくわくしながらその展開を眺めていた。「正義の勝利!」「大人よ団結せよ、暴力許すな!」などのスローガンが頭に浮かんだりしたのだったが・・。結末は非常に苦いものであった。

 若者が携帯で警察に通報したのである。加害者であるはずの若者が、サラリーマンの正当防衛ともいえる行為を暴力として訴えるとは・・。若者は交番の前で強引にバスを止めさせ、交番に逃げ込んでしまったのだ。バスに乗り込んできた警察官に、例の熱血漢と初老と中年が中心となって、悪いのはあの若者の方で、サラリーマンは全然悪くない、と訴えた。サラリーマンにも「あなたは悪くないのだからバスを降りる必要ない」とみんなで説得したのだが。私でさえ、あと一時間くらい待ってもいいから、あの若者に謝罪させるべきだ、と思ったというのに。訴えが出た以上、一通り取り調べは必要なのだそうな。サラリーマンも、他の乗客に迷惑をかけたくないと思ったのか、自分でバスを降り、交番にいってしまった。

 なんだか実に後味の悪い幕切れだった。そういえば最近、犯罪者の人権ばかり守られて、被害者のプライバシーがずたずたにされたり、凶悪な殺人事件を起こした側がしゃあしゃあと出版社を訴えたり、割り切れないことが多い。戦後の自由教育は、真に自由を得る教育でなく、権利を主張するだけの自己中心主義を作り出しただけだったのではないか。このままでは正義漢は殴られるか、殺されるか、訴えられるか、しかなくなってしまうではないか。などと悲観論に走る私であった。

2001.7.17