20 微笑む

 2年ほど前、児童合唱作品のレコーディングに立ち会ったことがある。そのとき演奏を担当してくれたのはN児童合唱団だったが、スタジオに入ってこどもたちに軽い挨拶をしたら、みんなにこやかでとてもいい雰囲気。にこやかといっても、「共産主義国でマス・ゲームをやる子供たちの満面の笑み」みたいな人工的なものでなく、ごく自然で暖かい微笑みだ。そしてわたしの言葉を集中して聞いてくれる。最近の子供達には珍しい品の良さだ。「あれれ。N児童合唱団とは初顔合わせのはずなのに、どうしてみんなこんなに好意的なんだろう。好かれること何かやったかな?それとも曲を気に入ってくれたのかな?」と、うれしくも狐につままれたような心境だったのだが。

 休憩時間に指導のM先生とお話して理由がわかった。M先生によれば、「公の場では微笑む」ことを子供達にしっかりしつけておられるとのこと。ヨーロッパのちゃんとした家庭では、子供たちに「公の場で微笑む」ようしつけるのは常識なのだそうだ。

 そうだったのか。日本人はシャイだからみんな無表情なのだと思っていたが、そうではなかったのだ。パブリックな場で微笑むというしつけを受けたことがないだけだったのか。何も芸能人のように歯を全部見せて笑う必要はなく、ちょっと口角をあげて優しい気持ちになればいいことなのだが、今になって急に微笑もうとしても日頃筋肉を使い慣れてないのでなかなかうまくいかない。子供の頃のしつけって大切です。

 特に合唱などで舞台に立つとき、「微笑む」ことが自然にできるのはとても意味があるかもしれない。なにしろ私が最初に中学の合唱コンクールを審査したときの印象は、みんなやけに無表情だなという驚きだったから。演奏は上手いし、一生懸命なのもわかるのだが、ステージでの表情が一様に暗いのだ。日頃から微笑むのに慣れていないところに緊張が加わって表情が凍り付いてしまうのだろう。でも凍り付いた表情で明るい音色を出すのは難しく、それは演奏にも影響を及ぼしてしまうはずだ。ステージに出るとき「微笑む」だけで、その後の音楽も随分豊かになるのではないだろうか。

 もっとも今の時代、勘違いな人が多いので、ちょっとにっこりしただけで誤解を与えてしまう恐れもある。ベルギーの美術館のカフェテラスでお茶を飲んでいたとき(私は旅行にいっても、名所旧跡巡りをやらず、うだうだお茶を飲んでいることが多い)、ヨーロッパ系白人と思われる若い女性がやってきた。私と目が合うとちらっと微笑んで着席し本を読み出したが、そこにアメリカ人と思われる若い男性登場。くだんの女性はその男性にも微笑みかけてから本に目を戻したのだが、男性はあきらかに別の意味に取ったらしく、しばらく女性のことを見ながらそわそわした挙げ句、女性のとなりに席を移して話しかけ始めたのだ。少々おたくっぽい雰囲気(これは万国共通です)のその男は、ねちねちと誘いの言葉をかけているらしく、女性はとても迷惑そうで、あとにははっきり拒絶の姿勢を見せ始めていた。途中で席をたってしまったので結末まで見届けていないが、誰にでも微笑みかけるのは危険という、いい例だろう。

 誤解を受けない程度に、「人前で微笑む」という習慣を身につけたいものだ。

2001.6.28