14 締め切りほんの十年前まで、私は締め切りを必ず守る作曲家として通っていた。感心にも演奏会の半年前までには、ちゃんときれいな清書楽譜を委嘱団体に渡していたものだ。ああそれが近頃では、演奏会の一週間前にぎりぎり仕上げるのも珍しくない有様だ。でも言い訳するようだが、遅くなったのにはそれなりの理由がある。 だいたい、昔私が締め切り厳守だった時、演奏家が早くから譜面をじっくり見てくれたかというと、そんなこと全然ないんですね。プロの場合、特にオーケストラの場合は演奏会直前に2〜3度、しかも一回20分くらい合わせるだけ、現代音楽なんてどうせ聞いてもわからないんだから、本番が止まらずに終わればOKって感じの時も少なくない。事前にパート練習してくる人はほとんどいない気がする。それでは早く楽譜を渡したって意味ないではないか。 合唱団なら喜んでくれるかというとそうでもない。一度或る団体が、私と、遅筆で有名な作曲家との二人の作品を特集して演奏会を開いてくれたことがある。私の作品は前から出来上がっていて、その方の作品は例によって直前に出来てきたのだが、肝心の演奏の出来は、直前にできた遅筆氏の作品のほうが、はるかに緊張感のあるいい演奏となったのである。なんだか理不尽。 といって、それらが原因で私が締め切りに遅れるようになったわけではない。最も大きい理由は、以前より作曲量が格段に増えたという物理的要因。もう一つは、作曲する時の心構えが変わってしまったことによる。 一昨年、「高知県・合唱組曲『四万十川』を作る会」のためにオーケストラと合唱の作品を書いた時、演奏会当日に作品が仕上がるかどうか、というスリリングな気持ちを初めて味わった。予定通りでも厳しいスケジュールのところを、思いがけず腱鞘炎で全然指が動かなくなって、一ヶ月仕事の開始が遅れてしまったのだ。一時は途中で東南アジア方面への逃亡を考えたほどであったが、なんとか期限内(演奏会の8日前)に最終楽章のオーケストレーションを渡すことができた。その折、本当に追いつめられるとふだんより濃い脳波が出て、作品の質がかえって上がることを発見してしまったのだ。 その三ヶ月後三原剛さんのバリトンリサイタルのために歌曲集「へびとりのうた」を書いた時も、演奏会の5日前にやっと全曲そろう綱渡り的状況だったが、このときもやはり脳波の出がよくなって、今までにないタイプの面白い曲を書くことが出来た。そういう濃い脳波がでる、一種のトランス状態に入ると、ぎりぎりに追いつめられていても必ずいい曲ができるという妙な確信が湧いて来て、全然焦らないんですね。演奏家サイドからすると、とんでもない話だろうが。(高知県合唱連盟関係の方々、三原さん、どうもすみませんでした。)でも不思議なことに、作品だけでなく演奏の方も、切迫した状況での初演のほうが、緊張感のある質の高い演奏になるようなのだ。『四万十川』も『へびとりのうた』も、素晴らしい初演となったのだから間違いない。この2件で私の作曲に対する姿勢は変わってしまった。今まではスタミナもないことだし、確実に間に合うように余裕のあるスケジュールをたてる人間だったのに、ぎりぎりのスケジュールで自分を追い込むのが快感になってしまったようなのだ。3月末に作品展を開くが、当然作品はまだできていない。また直前までぎりぎりの状態が続くが、はたして今回もちゃんと、濃い脳波が出てきてくれるだろうか。 2001.2.5 |