8 地下鉄の恐怖

 6月のオランダに半月くらい滞在したことがある。気ままな独り旅だが、現地駐在の友人夫妻が空港まで車で迎えに来てくれた。有名な「飾り窓」地帯に隣接するチャイナタウンで、おいしい中華料理をご馳走になりながら、アムステルダムに滞在する上の注意点などを教わる。私が宿泊するホテルはアムステルフェンという郊外にあるので、アムステルダムまではトラム(路電)か地下鉄で30分ほどかかるが、「地下鉄にだけは独りで乗ったら絶対だめだよ!あぶないからね。」と何度も念をおされる。ほかにもいろいろ注意されたのだが時差ボケのぼんやりした頭に記憶できたのはそれだけである。 

 翌朝起きてやることもないので、早速アムステルダムまで出かけることにした。フロントで聞くと、近くにトラムの発着所があり直通でアムステルダムまでいくという。何だ、簡単じゃないか、フンフン鼻歌を歌いながらトラムに乗り込む。オランダの人は外国人に慣れているらしく、私が乗ってもだれひとりまじまじ見たりしない。みんな郊外に住む中産階級といった感じの白人で、自転車を持ち込んでいる人もいる。陽がさんさんと差し込み、郊外ののどかな景色のなかをトラムがゆっくり流れていく。ああ平和。知らないうちに寝込んでいたらしい。

 ふと目覚めたとき、何だかわからぬが、私はぎょっとした。真っ暗なのである。どうしたのかとまわりを見回すと、路上を走っていたはずのトラムはいつの間にか、友人があれほど乗ってはいけないと言っていた地下鉄に早変わりし、おまけに乗客がみんな黒人に入れ替わっている。まっくら。あまりの見事な色彩の変化にぼうぜんとなる。私がトラムと思ったのはどうやら地下鉄の高架で、電車が地下に潜る前の駅で、乗客ががらっと入れ替わったらしい。駅が近づいてきた。アムステルダムの2〜3手前の駅らしい。不吉に薄暗いホームに、よく見ると麻薬の売人らしき目のするどい男たちが何人も立っている。全員が黒人だ。私は自分では人種差別のない人間だと思っている。白人も黒人も、好きでも嫌いでもない。理性ではそうだが、暗闇に屈強の黒人男性が大勢待ち受けているのは、かなりこわい。ひとりだけ乗っていた白人女性(あきらかにジャンキーと思われる)がふらふらとホームに降りると、くだんの男たちがわっと寄っていってなにか交渉をしている。
「いいヤクあるよ」と言っていたのかどうかはわからないが。私は生きた心地もせず、どうか無事アムステルダム駅につきますように、と神様に祈り続けたのだった。

2000.9.08