会津を歩く


斎藤一が眠る寺・阿弥陀寺です。鶴ヶ城から移設されたという御三階という古い塔がありますが、その説明文しか写真に収められませんでした(爆)

斎藤一は晩年藤田五郎としてこの会津で生涯を終えたそうです。木陰の下にひっそりとたたずんでいます。

こちらが藤田家のお墓です。奥さんやその子孫たちの名前も刻まれてありました。

境内には戊辰戦争で敗れた賊軍と呼ばれた戦没者たちの供養塔もあります。

斎藤一のお墓から少し離れたところに土方が近藤の遺髪を埋葬したとされる天寧寺があります。

境内の山道を数分登っていった場所にひっそりと佇む近藤勇と土方歳三のお墓です。とても静かな山の中腹にあって神聖な気持ちになりました…

近藤さんの墓石の脇には辞世の句が彫られた石もありました…

近藤さんの墓石には亡くなった日付も刻まれてあります…(合掌)

京都見廻組として新撰組と共に活躍した佐々木只三郎さんのお墓です。

会津武家屋敷内にあり、佐々木さんの墓石の隣には戊辰戦争の戦没者供養塔も建てられてありました。

こちらが佐々木只三郎さんのお墓です。言い伝えでは、坂本竜馬を斬った男とされています。

会津武家屋敷から数分歩くと会津藩主松平家の廟があります。この矢印では『すぐ』と書いてありますが…

この門をくぐってけっこう『すぐ』かと思いきや!数日前に降った台風の大雨の影響もありその道のりはかなり困難を極めたものに…。結局20分くらいかかってしまいました。たどり着くまで本当に大変でした(^-^; でも、晴れていたとしてもあの山道は『すぐ』では無理です(爆)

困難極めた山道をひたすら登った頂上にひっそりと第9代松平容保さんのお墓が佇んでおりました…。この山には容保さんのほかにも歴代の会津藩主松平家の方々のお墓も並んでいます。

木々に囲まれてひっそりと眠る松平容保公(合掌)

土方に代わり新撰組の指揮を執った斎藤一たちが戦った場所。
ほとんどの隊士が戦死し、一時は斎藤も戦死という報が流れたそうです。
 
今は銀行となっているこちらは土方が傷を癒したとされる清水屋旅館跡です。
傷は思いのほか深く、近くの東山温泉で療養したと伝えられているとか…。