〔 時雨の恋 〕





人気のなくなってきた校舎から、はうかがうように外を見た。
しとしとと静かな音をたてながら、優しく雨が降っている。
夕方から降り出したこの雨は、どうやら止む様子はない。
校舎の外へ手を差し出すと、の手がしっとり濡れた。

「あーあ・・・・・。」
濡れた手を数回にぎにぎとくり返し、は恨めしげにうつむいた。

梅雨のこの時期に傘を忘れるなんて、致命傷だ。
図書室でついお気に入りの本を読みふけってしまったため、帰る時間も遅くなった。
こんな時間では、友達も校舎には残っていないだろう。

駅までの距離はけっこうある。
走って駅まで行ったとしても、制服はびしょ濡れ。
不快な思いをして電車に乗ることになる。

「でもここにいたって、どーしょもないよね。」
は降り止まない雨に、諦めたように空を見上げた。


「おい。」

唐突に声をかけられたのは、そのときだった。
声に驚き、身体をビクンと跳ね上がらせたは、恐る恐る振り返った。

「何をしているんだ。そんなところでいつまでも。」
立っていたのはイザーク・ジュールだった。
放課後だというのに、学ランの詰襟まできっちりとホックをしめている。
と同じく本が好きなようで、同じ図書室の常連としての認識はあったが、話したことはなかった。

「えーっと、・・・あまやどり?」
初めての会話に、少し緊張しながらは答えた。
傘を忘れたと直球で言うことができずに、少し照れ笑いを浮かべた。

「何だそれは。帰るんじゃないのか?」
少しあきれたように言われて、は「あはは」と乾いた笑いをもらした。

「ジュール君は今帰り? 今日はいなかったよね、図書室。」
が言うと、イザークはとても驚いた顔を見せた。
「俺のことを知っているのか?」

イザークの言葉に、次はの方があきれた顔を見せる。
「知らない人のほうがめずらしいよ。」

イザークはテストで毎回学年トップをとる秀才だ。
くわえてその容姿は、冷たさを感じさせつつも見る者を惹きつける。
この学校の女子生徒で、イザークを知らない子なんていない。
かくいうも、淡い想いをもってイザークをみていた。

「でもジュール君は私なんて知らないね。私―――」
。だろう? よく図書室にいる。」

今度はがポカンとする番だった。
顔見知り、ではあったが、名前を知られているとは思わなかった。
なにせ会話をするのは今日が初めてなのだから。


「止む気配はない、な。」
ほうけたままのに、イザークはさらりと話題を変えた。
「え?・・あ、うん。そうだねぇ・・・・。」
はあわててイザークに話を合わせた。

「仕方ない。」
言うが早いか、イザークは学ランのボタンをはずし始めた。
初めて見るイザークのYシャツ姿に、の心臓がドキリと音をたてる。

「走れるか? 。」
いきなり名前を呼び捨てにされると、の鼓動はますます速くなる。
赤い顔をただひとつ、縦に振ることしかできなかった。

「悪いな。俺も傘がない。」
イザークの言葉が、耳のすぐ近くで聞こえた。
イザークがの肩を抱いて、学ランを二人の頭の上に羽織らせる。

「いくぞ。」
肩に添えられたイザークの手にグッと力がこもり、二人は雨の中へ駆け出した。

走りながらは、イザークのぬくもりを身体に感じていた。
触れている部分が、あたたかい。
それがイザークの体温だと思うと、恥ずかしさにますます顔が火照ってくる。
近くはないと思っていた駅までの距離は、今日に限ってとても短く感じた。



バサバサとすっかり濡れてしまった学ランを振っているイザークを、はためらいがちに見ていた。
イザークと、イザークの学ランに守られたは、ほとんど雨に濡れていなかった。
は思い出したように自分のカバンを探り、ハンドタオルをイザークに差し出す。

「ジュール君、これ使って?」
「大したことじゃないぞ。」
差し出されたタオルを受け取らずに、イザークはそのまま学ランを着た。
それでも引き下がるわけにいかず、はイザークの手に直接タオルを渡した。
「いいから使って。ジュール君にカゼなんてひかれたら嫌だもん。」

の態度に、イザークも今度は黙ってタオルを受け取った。
受け取りながらも何かに思い当たり、イザークは眉をひそめた。
「それなら、その“ジュール君”っていうのはやめてくれ。」
「えぇ? だって他になんて・・・?」
「“イザーク”」

絶対ムリ。
は瞬間にそう思ってしまった。
話したその日に呼び捨てられるほど、の心臓は強くない。

けれど、イザークの目はそれ以外の何も許さない、という目だった。
「えと・・・・・。」
がその目に困り果て、視線をウロチョロとさまよわせた。
イザークはそんなを見て、フッと笑った。

「いつも俺より先に、俺と同じ本を借りているが気になっていた。
 俺がなんとも想ってない女を、こんな風に送ると思うか?」
は目を丸くしてイザークを見上げた。

が好きだ。」

イザークの言葉に、の頭がぼおっとなる。
「私・・・を、・・・イザークが・・・・?」
の口から自然に流れ出た自分の名前に、イザークは満足そうに笑った。

そのイザークの表情に、の鼓動はこれ以上ないほど跳ね上がった。
それがどうしてなのか、考えなくても理由はひとつ。

「私・・・・・、イザークのことが・・・・・・。」
の答えを聞いて、イザークは自分の学ランが濡れていることも忘れ、を抱きしめていた。


時雨のなかで、二つの想いが大きく動き出した。



   「イザークのことが、大好きです。」





     back


【あとがき】
 一万hit、本当にありがとうございました!
 今回のテーマは「学ラン」と「ドキドキ」。
 初々しい恋の夢を目指しました。・・・目指しただけになってます・・・。
 フリー配布としますので、気に入ってくださいましたらドウゾお持ち帰りください。