「せっかくの日に雨では、残念ですね。」
「そんなこと、ありません。」
は笑顔を浮かべると、そう言った。
遠い記憶のあの日、雨の日を選んできた彼も、きっと同じように思っていたに違いない。
「では、お時間までもうしばらくありますのでお待ちくださいね。」
そう言って仕度を整えてくれた彼女が出て行くと、は部屋に一人になった。
「ねぇ、ハイネくん。私に伝えたかったのよね。・・・雨で。」
は立ちあがり窓に手をかけた。
白いベールがふわりと揺れた。
しとしととやわらかく音を立てて雨が降っている。
ハイネの最後の想いが、に降っている。
「ありがとう。ハイネくん。」
〔 最初ノ想イ・最後ノ願イ 〕
ハイネとは、恋人同士だった。
少なくとも、婚姻統制が布かれるあの日までは。
ハイネとの遺伝子レベルでは、子供の出生確率がなかった。
出生確率が一定以上なければ、婚姻が国に認められない。
これがプラントの法律だった。
事実婚に考えを切り替えようとしても、子が望めないとわかりきっている中では難しい。
反発を伴いながらも婚姻統制は、いつしか「しかたのないこと」と、世間では認識されていった。
ハイネと最後に会ったのは、雨の日だった。
別れを告げてからすぐに、ハイネからに会いにきてくれた。
雨の日に、傘もささずに、たたずんでいたあの姿。
オレンジの髪から零れる滴が、とてもキレイだったことを覚えている。
けど、それももう何年も前の話。
には一年前、データ上もっともふさわしいとされる相手が通知された。
嫌味のない、優しい人。
少し、ハイネに似ている気がした。
それがの彼に対する第一印象だった。
周りの友人たちも、同じようにこの制度で結婚していった。
に拒める理由なんてなかった。
両人合意のもと、半年後には婚約が正式に決まった。
それからは、本当にあっという間だった。
ハイネへの気持ちだけが、取り残されてる。
そう思う余裕さえ、には残っていなかった。
けれど、どうしても思い出に変えることができなかった。
ハイネへの想いはいつまでも、の心にあった。
***
「。」
遠くのほうで彼がを呼んだ。
彼は本当に目がいい。
にはまだ輝く金髪が、なんとか判別できるくらいだ。
「ミゲル。」
も彼の名を呼んだ。
今日がミゲルとの結婚式の、最後の打ち合わせの日だった。
「なんだかあっという間だったな。」
「そうだね。もう、一週間後なんだね。」
打ち合わせを終えた二人は、ミゲルの運転する車に乗っていた。
国のコンピューターによって、データで結ばれた二人。
それでも恋人として、一年間付き合ってきた。
その気持ちも、嘘じゃない。
けれど―――。
改まって迫ってくるその時間に、ついにの心が耐え切れなくなって悲鳴をあげた。
ぽろっと流れ出てしまった、予期せぬ涙。
それに気づかないほど、ミゲルは鈍い男ではなかった。
どちらかと言うと鋭い感性を持っていた彼は、の心の中に残っている想いに前から気付いていた。
「今日、俺にちょーっと時間くれる?」
そう言うとの答えを聞かずに、の家とは違う方向へ車を走らせた。
「ごめん・・・なさい・・・。ミゲル。」
しばらく走る車に乗って、気持ちの落ち着いてきたは車を降りるなりミゲルに謝った。
ミゲルは車外に出てタバコを一本ふかす。
白い煙とともに、大きく息を吐き出したミゲルはそのままドアにもたれかかった。
「。いつ言おうか、ずっと俺も悩んでた。」
まじめな顔でそう言ってから、ミゲルは「そりゃ」と小さく声を出して、のところへ歩いてきた。
ミゲルと同じようにドアにもたれていたは、顔をあげてミゲルを見た。
「ミゲル?」
ミゲルはの手を引いた。
「ちょっと歩こうぜ。」
ミゲルに手を引かれ、は歩いた。
夜の風が、優しく髪をすり抜けていく。
不意にミゲルが口を開いた。
「。お前、俺に誰か重ねてるだろ。」
ミゲルの言葉に、は言葉につまる。
そんな自覚はなかった。
でもそう言われてしまえば、そうだったのかもしれない。
ミゲルの中に、どこかハイネに似た部分を探そうとしていたのかもしれない。
「・・・ごめんなさい、私―――。」
「仕方ないよなぁ。」
の言葉をさえぎって、ミゲルが笑って言った。
「付き合ってた男だろー?法律が理由で別れたってやつ?。」
「・・・うん。」
ミゲルがあまりにもあっさりと言うものだから、思わずはうなずいていた。
「カワイソウだよな、俺たちの世代って。自由恋愛禁止って、ことだろ?」
「恋愛はできるけど・・・認められないんじゃ同じことだよね。」
「子供ができることが幸せってことじゃないだろうけど、それで国が滅びるとなれば話は別ってことなんだろうな。」
一人や二人、子供を作らなくても国は滅びることはない。
が、もともと人口の少ないコーディネーターだ。
それに遺伝子障害によってさらに出生率が下がるとなっては死活問題。
国が滅びる。
数字となって現れたデータを否定することはできない。
現実を突きつけられてしまっては、感情論では通じない。
「それが理由で別れた男、そんなに俺に似てイイオトコだった?」
いたずらっぽく笑うミゲルに、思わずにも笑顔がこぼれる。
「そんなところが、とてもよく似てる。」
「そっか。―――悪い。」
とたんに顔を曇らせて、ミゲルがぼそっとつぶやいた。
「嫌いになったわけでもないのに、別れるなんて辛いよな。
それも、国とか法律とか、俺たちに取ったら理不尽な理由でさ。」
「ハイネくんは、そんなの認めないって最初は言ってた。でも・・・やっぱり私には無理だった。」
「別れを切り出したのはから?」
「うん。『もう会いにこないで』って、言っちゃった。―――まだ好きだったのに。」
「俺と婚約した理由は?」
「ぇえっ?!」
「データで選ばれた相手だから?子供が望めるから?」
ミゲルの問いに、はなんと答えたらいいのか答えを探した。
確かに答えはあるはずなのに、なかなかうまく言葉にできなかった。
出会いのきっかけは、婚姻統制のデータが最良と判断されたからだ。
普通に出会って、恋をして、婚約したのとは違う。
最初からそれが前提の出会いだった。
けれどそれは用意されていただけの出会いだっただろうか。
こうしてミゲルと婚約して、結婚式も間近で、その先二人で生きていく。
それを決められたのは、ただ子供を産めるからという理由だけ?
出会いは一年前。
結ばれることを前提とした出会い。
漠然とが思ったのは、「この人と結婚するんだなぁ」ということ。
そして会うことを重ねていくたびに「この人でよかった」。
そう思っていた。
出会いの形がどうであれ、一年分の思い出の中に生まれてきた想い。
それは真実。
「私、ミゲルが好き。」
意識せずの口から漏れた言葉。
その言葉にミゲルは一瞬驚き、けれどすぐに目を細めて笑った。
も思わず口にしてしまってから、口にしてしまった自分に驚いた。
が顔をあげると、ミゲルと目が合った。
「私・・・」
慌てて言葉を取り繕おうと、次の言葉を捜すが出てこない。
「大丈夫。」
ミゲルの落ち着いた声が近づいてきて、そのままはすっぽりとミゲルに抱きしめられた。
「なんか俺、涙出そう。」
優しくミゲルに抱きしめられたまま、は降ってくるミゲルの声を聞いていた。
「初めての心が聞けた。初めてに触れた気がする。そう思ったら身体が触れ合うだけで涙が出そうだ。」
ミゲルの言葉に、の心にも熱いものがこみあげてくる。
とても優しい気持ちになれる。
「ミゲル。」
抱きすくめられていたミゲルの身体から顔をあげてがミゲルを見る。
ミゲルの表情が、とても柔らかかった。
「出会いの形はどうであれ、俺は一年でに恋をした。俺もが好きだぜ。」
そのあとに交わしたキスが、二人のファーストキスだった。
「の過去があって、今のがいる。今のをつくったのがハイネなら、俺はハイネにすら感謝するよ。」
***
ねぇ、ハイネくん。
私が最後に願ったこと、勝手に願ったことだけどもう反故にするね。
『思い出の中で愛していてほしい。』
なんて、私が願えることじゃなかった。
あのときから、きっとハイネくんは前を向いて歩いているよね。
ハイネくんは強いから、きっともう私は思い出になってる。
ハイネくん。
私はとても弱かったから、ハイネくんのことがずっと忘れられなかった。
自分から別れを切り出したくせにね。
ハイネくん。
ハイネくんを思い出にしてくれたのは、ミゲルだったよ。
国から、強制的に選ばれたはずの相手。
でもミゲルは、私の気持ちを大切にしてくれた。
忘れられないことを、一言も責めなかったの。
そんなミゲルだったから私、きっと結婚する決心をしたんだと思う。
あとから言えることだけど。
ハイネくん。
この先に続く未来で、もしも、もう一度会えたなら伝えたいことがある。
「大切な思い出をたくさん、ありがとう。」
本当は最後に、ハイネくんに伝えておけばよかった。
***
ミゲルがその金色の髪に負けないほどの笑顔を浮かべていた。
もその笑顔に、同じような笑顔を返す。
「カミサマとハイネに誓ってやる。は俺が大切にするってな。」
END
【あとがき】
ミゲルが寛大な男になりました。
当然中の人つながりで書いたものです。
ハイネがダメでもミゲルはOKだったのですね。
中の人の遺伝子は同じなんですが。(笑)