〔 キミ 〕










「42点。あげる。」
「いらない。」
とたんに天地の冷たい鋭い視線がに向けられる。
あの表情に言葉がつくなら、「僕のあげるモノがいらないって言うの?」だ。
「・・・・もらう。」

沈黙の後でがそう言って右手を差し出すと、天地は天使のほほ笑みでユナの手にカップケーキをのせた。
かじり食べられたカップケーキ。
手でちぎられたわけでないそこに、は口をつけた。
こんな間接キスを喜ぶなんて、どうかしてる。
が、一口かじりついたは、すぐに顔をしかめた。

「どうやったらこんなにまずく出来るの?こんなの30点台で充分!」
「聞かせてあげたいよ、それ。センパイがたに。」
まだ手に2つカップケーキをのせたままで、天地が笑う。
その横には袋に入れられたカップケーキが、まだ5個は入っている。
すかさずが反撃した。

「翔太が直接言ったらいいよ。その目でその言葉で。」
できるものならやってごらん、とは言い放つ。
天地はそんなに肩をすくめて見せた。

「冗談。僕は天使のような後輩、天地翔太だよ?そんなこと、言うキャラじゃないでしょ?」
猫なで声で天地が言った。

つい数か月前までは、にもその口調で話していた天地。
だが、ひょんなことから天地の悪魔属性を知ってしまったに、二人きりのときはもうその口調で話すことはない。
今日だって帰り支度万全だったに、突然天地からメールがきたのだ。
「おいでよ」とだけ。


密会の場所はいつも同じだ。
が天地の本性を知ってしまった場所、生徒が普段よりつかない資料室。
当然鍵がかかっている部屋なのだが、ちゃっかり天地は鍵を入手していた。

そこではある日、今までのイメージとはまるで違う天地を知った。





***






「天地くんて、それが本性?」

それまでまるで接点がなかった二人。
けれどの学年で、誰にも優しいフェミニスト天地翔太は女子に大人気だった。
天地は学年のアイドル的存在で、の周りにも熱を上げているクラスメイトは多かった。

アイドル・天地翔太に興味がなかったが知ってしまった、本当の天地翔太。
それはにとってなんだか新鮮で、逆に好感が持てるほうだった。
ほわわんと笑っている顔よりも、皮肉屋で毒舌で鋭利な目つきをしているほうが似合っていると思った。


一方の天地は、弱みを握られた側のほうにいるにもかかわらず、に容赦なかった。
本性を隠すことは無理と悟ると、資料室にを引っ張りこみ、壁に押しつけた。

「何でこんなトコ通るかな。好奇心は身を滅ぼすよ?」
「本当にソレが本性なんだね。いいんじゃない?私好きだな。」
が平然とそう返すと、さすがに天地も一瞬驚いた顔を見せた。
けれどすぐにその端正な顔を歪ませた。

「こんなことされても、まだ笑ってられる?」
言うが早いか天地はの両手を貝殻のように握りしめ、自分の身体ごとの身体をさらに壁に押しつけた。
密着した状態の中で、反抗もさせずに唇を奪いとる。
運動部の上を行く練習量の応援団に所属している天地は、見た目よりも華奢じゃない。
ひとしきりの唇を楽しんだ天地は、少し悲しげに目を伏せて、唇を離した。

「・・・・悲しいことがあったの?」
あんな行為を受けたあとなのに、その表情を見たは思わずそう言っていた。
その言葉に、天地がびくっと身体を震わせた。
は天地の頬に手を伸ばした。
天地はの手をはねのけた。


「なんのつもりだよ!僕はあんなことしたのに。お前ばかじゃないの?!」

叫ぶ天地の目に、うっすら涙が浮かんでいた。
あんなことをされたのに、は天地より冷静だった。
荒れた資料室を、ぐるりと見回す。
棚から資料が落ちている、というより叩きつけられている。
立てかけられていた長い筒状の物は、ばらばらに床に散らばっている。
廊下で聴いた罵声は、この行為とともに発せられたのだろう。


「ばらしたきゃ、ばらせばいいよ。どうせ学園のアイドルは佐伯さんがいるんだし、僕のことなんて気にすることもないだろうから。」
ひねた様子で言う天地に、はまた笑ってしまう。
「だからそんなことわざわざ言わないったら。子供じゃないんだから。」
がそう言うと、天地はむすっとした顔を見せて黙ってしまった。

「誰にも秘密にしたいなら、私が話を聞いてあげる。だから、私には本当の天地くんでいいからね。」
散らばった本を棚に戻しながらが言った。




***





が天地にそう言ったのは、もしかして興味本位だったのかもしれない。
他人の知らない、自分しか知らないことに優越感を持っていたかったのかもしれない。
けれどこうして二人の秘密は始まって、今日まで続いている。

あれから、天地が荒れていたあの日、何があったのかを聞いた。
天地には好意を寄せている先輩がいて、でもどうやらその先輩には他に想う人がいたらしい。
その先輩は、天地の裏の顔をのように知っていて認めてくれた、初めての人だったという。

「最初から知ってたんだけどね、先輩に好きな人がいるってことなんてさ。」
あとから天地がそう言ったことがあった。
「じゃああの日、どうしてあんなに荒れたの?」
は聞いたけれど、返ってきたのは「忘れた」という一言だけだった。

最初はそうして天地の素の顔を知って、たわいのない話をするだけだった。
さん」だった呼び名が、いつからか「」に変わった。
それにならうように「天地くん」だった呼び名が「翔太」に変わった。


そんな頃くらいだったと、は思う。
自分が天地といて、以前とは違う気持ちを感じ始めたのは。

楽しく話をしている中に、別の感情が混ざる。
天地の顔を、時々直視できなくなる。
今までは普通に笑ったり、つつき合ったりできたのに。
「ねぇ」と呼ぶとき、天地の制服の袖をつかむことですら、簡単にできない。



「先輩、ほんっとにおとぼけさんだよね。」
密会中に、天地にかかってきたあの先輩からの電話。
そう言って嬉しそうに笑う天地の顔を、は見ていられなかった。

胸が苦しくて、痛くて、泣いてしまいそうだった。
そして天地もまた電話の間、笑顔の間にふっとさみしげな表情を見せる。

それを見たはわかった。
自分は天地と一緒だと。

「私、翔太が好きなんだ。」
思わず口に出てしまった言葉は、けれど天地には届かなかった。


天地はまだ先輩と電話で話していて、目線は空中を行ったり来たり。
の顔を見てはいない。

笑顔で話をしてるかと思えば、聞き手にまわると切なそうに顔をゆがめたりしている。

には天地の気持ちが、すごくよくわかった。
きっと自分も、天地と同じ顔をしているはずだから。



***



自分と同じだと思うとまた天地の存在を近く感じて、は今日も隣で電話している天地を見ていた。
やがて電話を切った天地は、自分を見ているに気がつく。

「なに?」
なんだか盗み聞きされていたみたいで気分が悪い。
天地が少しをにらみながら言った。

「なんでもないよ。翔太、いい顔してたね。」
、からかうな。」
ふてくされたようにそう言うと、天地はの頭をこつん、と小突いた。

「先輩のお馬鹿さん加減にあきれてただけだから。」
「ふぅん。」
「もうその話はいいから。続き、また古文から。」
天地は一度閉じた古文の教科書をもう一度広げた。

最近ではテスト前にこうしてここで二人きりの勉強会をすることも少なくない。
頭のいい天地の勉強法につき合っているうちに、の順位も中間から上位へとあがってきた。
「古文は私のほうが得意だもんね。翔太に教えられる唯一教科。」
「はいはい。先生面はいいから。」


二人で一つの教科書をのぞきこんだとき、天地の携帯がまた鳴った。
不思議そうに携帯を取り出した天地は、着信相手の名前を見て驚いた。
「先輩?」
と天地の目が合った。

「ごめん、もう一回。」
再開したばかりの勉強を中断することに断りを入れて、天地は電話に出た。
「もしもし?どうしたの?」
電話に出た天地の顔がこわばる。

「どうし・・たの、先輩。なに泣いてるの?」
天地が困ったような顔をして、に目線を向けた。
は電話の内容にどんな顔をしていいかわからず、同じように困った顔でいた。

しばらく天地は相づちを打つだけで、には二人がどんな話をしているのか聴こえなかった。
やがて天地が、前とは違う声でぴしゃっと言った。
「だめだよ、先輩。ちゃんとそれ、あの人に言わないと。」

こうしての目の前で、天地が先輩と電話をすることはめずらしくない。
けれどは、こんな厳しい声で先輩と話す天地は見たことがなかった。
少し意外に感じながら、は天地を見ていた。

「僕は先輩の話が聞けるだけ。助言はできるけどね。でも、それだけだよ。
 それで先輩がどうするかは、先輩が決めなくちゃ。今僕に言ったことを、先輩があの人に言わないとダメなんじゃない?」
そう言い切った天地は、電話口の向こうの様子を探るようにそのあとは黙って耳を傾けていた。
また何度か相づちを打ったところで、天地が笑った。

「うん、そうだよ。僕だって好きな人がいるからね。」

天地の言葉に、会話の外にいたはずのは衝撃を受けた。
先輩の背中を押してるように聞こえていたけど、いよいよ天地も限界なのだと思った。
すがすがしく聞こえた今の言葉は、もう自分の想いを隠す必要がないから。
この先に続く言葉が、には容易に想像できる。

『先輩が好きだよ。』

言っていないはずの天地の声が、耳の奥で聞こえた気がした。
いたたまれなくなって、は部屋を飛び出した。





だから。
まさか、追いかけてくるなんて思ってもいなかった。








「ちょっと!急にどこ行くんだよ?!」
部屋から少しも離れていない場所で、は天地につかまった。
それだけ迷いもなく、を追いかけてきてくれたということなのに、今のにはそれがわからなかった。

「告白・・・!」
「え?」
「告白聞いてるのなんて、無粋かなって・・・・思っただけ。」

の言葉に、天地は目を丸くした。
本音を隠したままで、は言った。

「チャンスだね、翔太。先輩の恋、うまくいってないみたいじゃない?つけこんだりするの卑怯、とか、いまさら言わないでしょ?」
「・・・うん。言わない。」

がひとつ、息を飲みこんだ。
「それなら、―――」

が言い終わらないうちに、天地はの右腕をつかんだ。
そのままぐいぐい引っ張って、元いた部屋に入るとぴしゃりとドアを閉めた。


「僕としたことが鍵をかけることも忘れた。この場所のことは、誰にも知られたくないんだ。」
「・・・・そう。」
「好きな人と会うための、大切な場所なんだ。」

と天地の目が合う。

「居心地よくなきゃ、呼びつけたりしないよ。はずっと、・・・・ここにいればいいんだよ。」
最後の言葉は少し照れくさそうに、天地が言った。
「・・・しょー・・た・・?」

「先輩のほかに、本当の僕を見てくれる人がいるなんて考えもしなかった。
 あんな事故みたいなキスをしたあとでも、変わらないでいてくれる人がいるなんてね。」


事故みたいな、無理やりのキス。
あれから触れることなんてなかった。

怖かったから。
いつからか、怖くなったから。

僕を、僕としてみてくれる人を、失いたくなかったから。
あんな酷いことをした、僕だったから。








「好き。。」











最後に耳元で翔太が私に囁いた。

「ねぇ、つけこんでみたんだけど。いまさら嫌いとか言わないよね?」





   END


【あとがき】
  先輩の電話は、「頼むよ耐えられないんだ」直後。
  天地は親友でしたが、親友条件のセカンドキスはなかった設定で。