「じゃあな。も、元気で。」
ギターを背負ったハリーが、そう言っての横を通り過ぎた。










[ 初めて触れた日に ]









「俺の夢は、歌。ずっと歌っていれりゃいいけど、それだけってわけにはいかねーよなぁ。」
いつもの音楽室でギターを鳴らしながらハリーが言った。

2月も後半になって、3年生はほとんど授業がない。
大学入試がちらほら始まり、授業は自分のペースで勉強ができるよう、ほとんど自習になっていた。
そんな中ハリーも「俺の自習はギター」と公言して、1・2年生が授業のない時間はこうして音楽室で音楽活動をしていた。

もそのハリーの隣に座りこんで、同じように壁に寄りかかりながらハリーの音を聞いていた。
「いつか、すっげーでっかいとこで歌いてぇ。」


音楽室に日が差しこんでいる。
外に出れば風はまだ冷たい。
けれど、こうして教室の中で太陽の光をあびていると温かくて、もうすぐ春だなぁと思う。
「あったかいねぇ。」

がそういうと、ハリーが少し拗ねた顔をした。
、俺の話聞いてんのかよ。」
「聞いてるよ?」
ハリー、何言ってるの?というほど不思議な顔をしてが答えた。

「全っ然、会話がかみ合ってねぇんだよ。」
「そうかなー?」
に自覚がないままだったので、ハリーはあきらめてまたギターを鳴らしだした。



「春がきたら・・・・。」
が目を閉じて、音に身体を揺らしながら言った。
「ん?」
「春がきたら、もうこの場所にはいられないんだね。」
「だな・・・。」
ハリーのギターのメロディが、少し悲しげに響いた。

「だからさ、どんどん大きいところで歌うんだよ。」
がぱちっと目を開けた。
「『ライブハウス武道館へようこそ!』って。」
両手を広げて、が伝説のバンドをマネて言った。

「春がきて、もう卒業なんだもん。ちゃんと時間が流れてる。だから、今の時間はこの先の大きな場所で歌ってるハリーに続いてるんだよ。」
ね?と、がハリーを見てほほ笑んだ。
ハリーがかみ合わないと言っていた会話が、ちゃんと繋がっていた。
ハリーもニッ、と笑みを漏らして、気合を入れて次のフレーズを奏でた。

「さすが、オレ専属のマネージャーだよ。」
ハリーのギターの音が、気持ちいいほどに伸びて響く。
迷いのないまっすぐな音は、これからハリーが進んでいく道の象徴だった。







***






卒業後、ハリーはバンド活動に専念するためネイに就職。
は一流大学へ進学した。
野外ライブをやったときに関係機関を走り回ったことで、世の中には知らないと損することが多いと感じたからだ。
何度か申請に行く中で、最初は怖いと感じたはばたき市役所の職員ともすっかり顔見知りになってしまった。
高校生のバンドがマネージャー?と、最初は馬鹿にされたものだったけれど、今は違う。
担当者の中には興味を持ってくれて、わざわざライブに足を運んでくれる人もいた。
そのまますっかり固定ファンになってくれて、が申請に行くと「次も行く」と言ってくれた。


ライブハウスだけでなく、野外でライブを行ったことで着実に新規のファンを増やしていったReD:Cro'z。
高校を卒業して、メンバーが音楽活動に専念できるようになった分、その実力もあがった。
「初めてのワンマン!」と意気込んだライブから、数年後。
インディーズシーンにおけるReD:Cro'zの名前は、常に上位にあがってきていた。


そんな日々を過ぎても、とハリーはずっと一緒にいけるのだと信じていた。
疑いもなく、道は寄り添ってひとつだと。


高校時代から二人の関係に明確な名前があったわけじゃない。
卒業してからも、その関係に特別な名前はないままだった。
それでもハリーが「オレ専属マネージャー」と公言するように、ハリーにとっては自然と隣にいられる人だった。



けれど今日、二人は違う道を選ぶ。




***





「じゃあね。」
「行ってくるよ。」
ちゃん、今までいろいろありがとう。」

ReD:Cro'zのメンバーは、に次々言葉をかけて電車に乗りこんで行く。
最後にイノがに声をかけると、ハリーの肩をひとつ叩いて先に電車に乗りこんだ。
はばたき市始発の特急電車は、発車まであと10分。
バンドのメンバーはこれで空港まで行って、そこから東京へ飛ぶ。

何もないのに、ハリーは足元のコンクリートを靴でトントンつついていた。
はその電車が走っていく線路の先を見ていた。


二人の関係に、名前はない。
それがハリーが東京へ出て、がはばたき市に残る理由だ。




沈黙。

けれど、その沈黙の中でハリーとは会話をしていた。
初めて出逢った高校生の頃。
マネージャーを始めるきっかけになったビラ配り。
二人きりのカラオケライブ。
全校生徒の前で歌った、クリスマスパーティーのライブ。
臨海公園での野外ライブ。
ワンマンライブ。
インディーズチャートデビュー。


全部一緒だった。
その思い出の中に、いつもハリーとがいた。
が笑う。

「いつも一緒だったね、ハリー。」
「おう。」
ハリーが顔をあげた。


の髪を、さあっと風が吹きあげて通る。
が左手で髪をおさえた。
が抑えた手のちょうど上のところに、どこから飛んできたのか桜の花びらが舞い降りた。

「桜。」
それを見たハリーが手を伸ばす。
「ん?」
が首をかしげ、ハリーが桜の花びらを摘み取った。

そのときハリーの人差し指がの耳に触れた。
ハリーの心臓がずくん、と音をたてた。
がくすぐったそうに目を閉じて笑った。



。」
ハリーの右手が、を抱き寄せる。
高校時代から背が伸びたハリーの右腕は、ちょうどの頭の後ろにまわる。
ぐっと引き寄せられて、の顔がハリーの右肩におさまった。

。」
ハリーの息が、の耳にかかる。
の肩が震えた。



「・・・見てろよ、俺、ぜってーに・・・・!」
言葉にならないハリーの背中を、の手が優しく撫でた。
「うん。見てる。」

ハリーの身体がから離れた。
少し涙ぐんだ目を右腕でごしごしするものだから、目元が赤くなってしまっている。
そんなハリーを見て、はまた笑った。


「ハリー!」
が右手を高くあげた。
ハリーはそののてのひらを、思いっきりパーンと叩いた。
「いってらっしゃい!」
「おう。」
それはいつも、ステージに出ていくハリーとが交わしていた、はじまりの合図。

「じゃあな。も、元気で。」
違ったのは、そのあとに別れの言葉があったこと。
ギターを背負ったハリーが、そう言っての横を通り過ぎた。



ハリーが電車に飛び乗った。
タイミングを合わせたように、ハリーの背中でドアが閉まった。
くるり、とドア越しに振り返る。
が右手をグーにして、空に突きあげた。
ハリーは同じように手をグーにして、電車のドアをドン、と叩いた。


電車は走り出す。
二人の距離が離れる。






の姿が完全に見えなくなったとき、ハリーはずるずるとそこへ座りこんだ。
握りしめた右手を、左手で包みこむように大切にてのひらを重ねた。

ハリーの手の中には、一枚の桜の花びらがあった。
別れの最後にの髪を飾った、桜の花びらが。


「・・・・・・言えねぇよ・・・・!」
ハリーはまた花びらを握りしめ、胸元に抱き寄せた。

「一緒にこい・・・!・・・・・っ」








***




遠ざかる電車。
電車が完全に視界から消えて、はその場にヘタ、と座りこんだ。
張ってきた気の糸が、一気に切れた。

「・・・・・言えないよ・・・・っ」
最後まで笑顔で、涙を見せなかったのはの意地。
やっと今それから解放されたは、ぽたぽた涙をこぼした。


「一緒にいたい・・・っ、ハリー・・・!」













同じ心がすれ違う。
二人の関係がどんな名前だったら、一緒にいられたのだろう。





想いを振り切るように、電車は空港へ向かって走り続ける。








   END


【あとがき】
  ハリーとの恋愛は、切なさとの狭間。
  夢があることが重荷になる恋愛。でも夢を重荷には思いたくない。
  そんな矛盾が生まれる恋愛が、ハリーとの運命の先にある気がする。