2025.01.27
第22回RCSサステイナビリティ評価研究会にOnLineで参加した。なかなか楽しい話。
・周瑋生(立命館大学政策科学部教授)「サステイナビリティ評価と政策工学の創成」、中国の物理工学畑から立命館大学で社会システム的な持続可能性研究をして、今年退官となった人。「政策工学」を提唱・実践している。中国浙江省の浦江という街でリサイクルシステムを導入して美しい街を再生させた、という話が印象に残った。
・黒沼善博(大林組)「VUCA(volatility,uncertainty,complexity,ambiguity) 時代の持続可能な企業行動(3)」、PDCA(plan-do-check-act-)サイクルでは VUCA 時代には間に合わないので、OODA(observe-orient-decide-act-) が提唱されている。物理の用語では世界のシステムが相転移状況になってきてカオス化している、ということだろう。マクロな因果関係が追えなくなっているから、仮説としての因果関係そのものの認識を絶えず見直さなくてはならない。
・酒井達雄(立命館大学総合科学技術研究機構 上席研究員)「愛知県新城プロジェクト(1)」、三河の新城市はこの人の出身地で、過疎化が進行しているので、盛り返すための計画を立てた。てんこ盛りのアイデアが面白い。市の担当者が明日来て打ち合わせるらしい。
自然科学では研究成果は論文という形で後世に残り、総説や書物という形で専門家の外に拡がっていく。研究者個人の心に立ち入ることは稀であり、その心に科学としての意味は与えられない。しかし、こういう社会科学の分野では、価値のかなりの部分が研究者個人の心に残されているのではないだろうか?つまり、他の人では代替できないような何か、経験値としか言いようのないものがある。だから、個人の権威というものが結構信頼性に関わるのだが、その一方で、研究者の残した言葉が次の研究者に引き継がれて意味を変容・進化させていく。だから、科学の体系としては、積み上げていくというよりは、引き継いでいく、という感じになる。言い方を変えれば、適用範囲を広げていくというよりは、環境・歴史の変化に対応していく、という感じだろうか?自然科学と芸術との間に位置づけられるのかもしれない。