2023.12.02

      『言語の本質』今井むつみ+秋田喜美(岩波新書)の前半は「オノマトペ」の話である。オノマトペは言語と言えるのかという風な話に始まって、結局の処、それは言語への導入の役割を果たしている、という処に落ち着いて、それでは言語とは何か、という問題になってから、ちょっと面白くなった。

第5章
    動詞枠づけ言語(verb-framed language)と 衛星枠づけ言語(satelite-framed language)。レナード・タルミー(1990年代)。移動の方向を動詞で表すか、前置詞で表すか?という観点からの分類である。日本語、アルタイ語系、ロマンス語系が前者で、英語、ドイツ語、ゲルマン語系が後者。移動の様態を表すとき、前者では副詞的な補助語を使うが、後者では動詞そのものが様態を含んでいるから多様である。そこで、前者ではその補助語としてしばしはオノマトペが使われる。しかし、後者における動詞の発音にはオノマトペ性(アイコン性)が感じられる。

    「一次的アイコン性→恣意性→体系化→二次的アイコン性」というプロセスを経て、実用性の要請から抽象化傾向を示す言語に再びアイコン性を発見する。言語システムに取り込まれることで、それが新たな自然として受け入れられる。言語の身体性というのは、このように多重構造を持つ。

第6章
    1980年代、ダグラス・レナートが始めたのが、cycプロジェクトで、100人規模の研究者を動員して人間の知識すべてを分類整理してデータベースを構築した。しかし、人間のような言語や問題解決のシステムは作れなかった。他方、ロドニー・ブルックスは昆虫ロボットプロジェクトで、身体と環境が相互作用するだけで、知的行動をとることができると考えたが、自然言語理解や科学的発見のような人間の知的活動の創成には発展していない。第3の流れとして、ディヴィッド・ルーメルハートとジェームズ・マクレランドは1986年にPDP(parallel distributed processing)モデルを提唱した。ニューラルネットワークである。その後、ハードウェアーが発達して、深層学習が開発されることで、現在の AI に繋がっている。これは、概念的な知識も持たず、身体も持たないが、自然言語を操ることができるようになった。AI の身体性(接地)は開発・訓練する人間が与えている、ということである。

    身体にまったくつながらない記号をいくら集めても言語を習得することはできない。しかし、感覚・知覚につながったオノマトペをやみくもに覚えてもやはり複雑な構造を持つ言語の体系には到達できない。このジレンマを解決するのが、ブートストラッピングサイクルである。全ての概念が身体に着地していなくても、最初の端緒となる知識が接地されていれば、その知識を雪だるま式に増やしていける。その動力は推論である。つまり、言葉というものは形が似ているものにも転用できること、あるいは内的な性質が似ているものにも転用できる、ということである。推論は重ねていくうちに洗練されていく。動詞については動作主、動作、動作対象の3つの要素が絡んでくるために複雑であるが、繰り返す内に子供はこういう構造を身に着けていく。学習の仕方自身が学習されていく。

    統計情報の利用は進化的に類人猿でも共有されている。母語において、どんな音が最初に来るか、とか、頻繁に使われる助詞がどんな役割をするのか、とか。こういう情報を利用して、それを類似した場合にも拡張していく。

    演繹推論では新しい事実を発見することができないが、帰納推論アブダクション推論では新しい知識を発見する(パースの記号論)。帰納推論は観察した事実を一般化するが、アブダクション推論は観察した事実の背後にある規則(原因)を提示する。アブダクションによる仮説無しにはどのような観察データを集めるべきかが決まらないから、この二つの区別はそれほど明瞭でもない。ヘレン・ケラーが当初気づいていたことは、モノや行為と手への刺激の関係であり、これは帰納推論の段階であった。しかし、ある日突然、それが規則性を持っていることに気づいた。この気づきがアブダクション推論である。全てのモノや行為には名前(言葉)がある、という規則性である。子供はこのアブダクションが好きである。間違えながら修正して言葉を覚えていく。

第7章
    すべてのモノや行為には名前がある、ということには、モノや行為と言葉との間の「双方向」の対応がある、ということを含んでいる。チンパンジーとヒトとの違いは、この双方向性があるかどうか、である。チンパンジーにモノを見せて、その名前を覚えさせても、名前からモノを選択することはできない。この双方向性の対応というのは、論理学で言うと正しくない。A ならば B である、と B ならば A である、とは異なる。しかし、これを行うのがアブダクション推論である。対称性推論ともいう。多くの動物で対称性推論をするかどうかが問題とされてきた。アシカはその可能性がある。チンパンジーには一般的にはできないとされているが、「クロエ」という個体が例外的に対称性推論をすることが報告されている。ヒトの子供に対称性推論をさせるような生物学的バイアスがあるのか、それとも言語環境に晒されることで仕向けられるのか?についてははっきりしない。実験では生後8ヶ月の幼児には既に対称性推論が見られる。(対称性推論については岡ノ谷一夫氏も同じことを言っていた。)

    アブダクション推論へのバイアスは推論の誤謬に繋がりかねないから、環境に充分適合している動物種にとっては不要であるばかりか、有害でもある。しかし、ヒトは環境の変化に対処して新たな行動様式を発明することで生存域を拡げてきた種であるから、アブダクション推論が必要だったのであり、言語もまたそこから派生してきたものである。まあ、こういう結論になっている。これこそ正にアブダクション推論ではあるが。。。

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