2019.06.14
Hiroshima Happy New Ear 27: 次世代の作曲家たちVI を聴きに行って来た。若手の作曲家に作品発表の機会を与える、という企画である。

・・神山奈々さんは、ヒロシマというテーマに対して、原民喜の『夏の花』を読み込んで、人と人との出会いと別れ、という観点から戦争を捉える事として、具体的には C の音を演奏者の出会いの場として設定し、そこから外れてはそこに戻るという構造の曲を作った。『きっと、またここで会えますように−オーケストラのための−』クレッシェンドから入って突然終わったり急激に変化したりする C の音が執拗に編成を変えて繰り返される。ちょっと逆廻しにしたテープを聞いているようで、時間が過去に戻っていくような奇妙な感覚に襲われた。

・・次は既発表作品の小編成版であるが、フェデリコ・ガルデッラの『Two Souls−能の謡と小オーケストラのための−』。謡の青木涼子さんは、このような編成の音楽をやりたいと思っていろいろな作曲家に委嘱して80曲位のレパートリーを持つ。ここでは、世阿弥の『錦木』を謡い、舞もやって、オーケストラと合わせる。謡と舞は二回繰り返されるがオーケストラは全く異なるというのが『不易』ということらしい。マーティン・スタンツェライトさんのチェロが素晴らしかった。

・・後半は小出稚子さんの『Oyster Lullaby−オーケストラのための−』で、これは、彼女が宮島の弥山の山頂から見た綺麗に並んだ牡蠣筏の印象と水族館で見た牡蠣の生態の印象と呉で見た戦艦ヤマトの最後とその遺留品から発想したという事である。牡蠣が陸地からやってきた汚物を浄化するように、戦争の悲しみも浄化して欲しい、という意味である。曲は戦艦ヤマト遺品の笛の音と牡蠣を引き上げるガラガラ音で始まり、瀬戸内海の波の音や実際に食べた牡蠣殻を使った楽器のカシャカシャ音等が入る。曲は子守歌の様相を呈していくのだが、何とも言えない音の塊が続いて魅了された。そういえば、これはガムランの音響に似ている。彼女はインドネシアに留学してガムランの勉強をした、という変わった経歴の作曲家である。

・・最後、細川俊夫自身の『旅 V』は一番印象が薄かった。フルートのソロとオーケストラで、前者が人間、後者が自然という設定である。フルートはピッコロからバスフルートまで4本を使っていた。殆どが息の音。オーケストラの中に埋没していたような印象であったが、これが意図なのかどうかは判らない。
 
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