前回の予告通り、今回は初の来日を果たし、新作も話題になっているルビナーズについて。メンバーの発言を挟みつつ、結成以来三十年近い、長いキャリアを簡単に振り返っていくことにしよう。

 アースクェイクやジョナサン・リッチマンでお馴染みのビザークリーからデビューを飾ったルビヌーズは、パワー・ポップの王道をいく、明るく弾けた音楽性を持つ。一般的には70年代後半に発表した二枚のアルバム、『THE RUBINOOS』(77年)と『BACK TO THE DRAWING BOARD』(79年)がよく知られている。滑らかなハイ・トーン・ヴォイスを持つジョン・ルービン、ほとんどの曲作りを手がけ、最近ではカイル・ヴィンセントのよき協力者としても知られるトミー・ダンバー−−才能溢れる二人の出会いからすべては始まった。 ジョン・ルービン(以下J)「トミーと僕はジュニア・ハイスクールが一緒だったんだ。13歳のころのことだね。僕はいつもトミーの家に遊びに行って、彼のお姉さんの45回転のシングル・レコードを聞いてたものさ。いわゆるオールディーズだね。そうしているうちに、僕らはバンドを始めることになって、最初はハイスクール・ダンス・パーティなんかでプレイしてたんだ」

 やがてこのバンドは発展して、73年頃にルビナーズが生まれることになる。バンドの音楽性を決めたのは、オールディーズに加えて「65年から70年くらいの音楽」だったとトミー・ダンバー(以下T)は語る。

T「特にビートルズ、ビーチ・ボーイズやストーンズ……こうしたバンドはルーツになっていると思う。でも、それだけでなくさまざまな音楽から影響を受けた。自分たちとはそんなに関わりのないような音楽、ソウルやハード・ロックにもね」

 そうしたルーツをうまく消化して、アルバムのほとんどをオリジナル・ナンバーで固めていたにもかかわらず、デビュー当時のマスコミは、彼らに対してアイドル・バンド的な捉え方をしていたという。日本では、ベイ・シティ・ローラーズの人気にあやかろうと「ローラーズ・オブ・アメリカ」という惹き句まで登場したほどだが、アメリカでも事情はそれほど変わらなかったようだ。 T「おかしなことだよね。ティーン雑誌で紹介されたりして、ジャーナリストも確かに最初はそういう扱いだったね。変な感覚だったな。でも、僕らが作詞作曲をし、自分たちで演奏し……っていう姿が広まってから、変わったようにも思うよ」 J「誰かに作ってもらった曲を歌ってたわけじゃないからね。もちろん、ベイ・シティ・ローラーズは嫌いじゃないけどさ、僕らはドレスアップしてないしねぇ。あのセンスはどうかと思うよ(笑)」

 当時の売り方としては当たり前の感覚だったのだろうが、古風なマーケティング戦略自体が消えてしまった今の洋楽シーンでは、そういった見方をする人はもういないはず。現在では、歴史に埋もれかけていた実力派ポップ・バンドという見方が定着しつつある。

 だが、80年代はルビナーズにとって、受難の時代だった。録音は多数残されているにもかかわらず、リリースされたのはトッド・ラングレンのプロデュースによるミニ・アルバム一枚だけ。80年代前半のワーナー、後半に契約したエピック(リリースは一枚もなし)、それぞれにあまりいい思い出はないようだ。解散というわけではなかったが、トミーとジョンはロサンゼルスに移り、当時の他のメンバー、アル・チャンとダン・スピントはサンフランシスコに残る形で、それぞれの道を歩むことになった。

J「そのころは、どんなに努力をしても身にならなかった時期でもあった。一緒に活動していてもマジックが起きなくなってしまっていた。その結果クリエイティヴィティが落ちていってしまっていたんだ」

T「ベーシックなテープは作っていたんだけど、レコード・レーベルに売り込んでも、だれも手を差し伸べてくれなかったしね」

 89年から90年にかけてジョン以外の三人が録音したボックス・ポップ名義のアルバムも、陽の目を見たのは八年後のことだった。こうした不遇の時期をくぐり抜け、再び彼らに注目が集まるきっかけは、おそらく93年のパワー・ポップ編集盤『SHAKE IT UP!』や『YELLOW PILLS』に作品が収録されたことだろう。さらに同年リリースされたデモ集『BASEMENT TAPES』(ビザークリーから予定されていた三枚目のアルバム用のセッションを収録)の完成度の高さも再評価への原動力の一つになったと思われる。その後も編集盤『ガレージ・セール』の発表、1stの再発などを経て、オリジナル・パワー・ポップ・バンドとしての人気がじわじわと高まる中、98年には傑作『パリオフォニック』を発表し、ベテラン現役バンドとしての底力も強くアピール。日本でもエアー・メイルの強力な後押しや熱心なファンの支持を集め、ついに今回の来日、および新作が実現したというわけだ。

 話題の新作『クライムズ……』は、お気に入りの曲を集めたカヴァー集である。150曲にものぼる候補曲から厳選した13曲が収録され、デル・シャノン、ヤードバーズからエルヴィス・コステロ、フレイミン・グルーヴィーズまで、幅広い選曲とセンスのいいアレンジが楽しめる。中でも圧巻はコーラス・ワークの冴えを生かしたビーチ・ボーイズ「英雄と悪漢」カヴァーだが、個人的に驚かされたのは冒頭の「ソーン・イン・マイ・サイド」(ユーリズミックス)。まあ、彼らの曲の中ではオーソドックスにロックしているナンバーなので、納得はできるけれど、ルビナーズとユーリズミックスとは、ちょっと意外な取り合わせではないか。

J「この曲が気に入っていたのと、自分たちなら面白いヴァージョンでやれるんじゃないかと思って選んだんだよ」

T「この曲のオリジナルのメロディって、すごく60年代的なんだ。60年代的なメロディを持ちながら、アレンジは80年代のテクノ・サウンドに仕上げられていて、テクノでありながらポップ・ソングだというところが興味深くて。それなら、ビートルズのような60年代っぽいサウンドにしてみたかった」

 こうしたチャレンジ精神というか遊びの感覚こそが、いつまでも現役で活動できる秘密なのかもしれない。今まで生き残ってきた秘訣は? と尋ねたらこんな答が返ってきた。

T「楽しいからだね」

J「んー、鏡を見て、“おれってまだまだ若いぜ!”って思いつづけてることかな(笑)」

 気になるオリジナル・アルバムの方も予定はあるという。

T「もちろん、作りたいと考えているよ。来年また戻ってくることができたら、ぜひ出したいね。それと今回作ったCDの残っている曲と言うのもあるから、それもどうにかしたいんだよね」

 主催者の苦労は並ではないと思うが、これは来年にも期待できそうだ。カヴァー集を楽しみつつ、今後の展開を見守っていきたい。

1)RUBINOOS/Paleophonic (エアー・メイル/AIRCD-008)1998

2)VOX POP/Vox Pop (エアー・メイル/AIRCD-009)1998

3)RUBINOOS/Garage Sale(Delux Edition) (エアー・メイル/AIRCD-041)1994/2002

4)RUBINOOS/Crimes Against Music (エアー・メイル/AIRCD-051)2002