「74年の夏のこと、僕が地元のプールで走り回っていると、日光浴をしていた人のAMラジオから大音量で『バンド・オン・ザ・ラン』が流れてきた。それは完全に僕を打ちのめし、時間が止まった。まさにその瞬間だったと思うんだ。残りの人生をかけて何をしたいのか、自分で気がついたのは」(オウズリー)

 うーん、決まってる。これは前号レビューでも紹介されていたポール・マッカートニーへのトリビュート集に寄せられたオウズリーのコメントの一部(の意訳)だが、これに比べると、僕とマッカートニーの出会いは随分と不幸だったというしかない。中学生のとき(すなわち70年代後半)洋楽に目覚めた僕は、ビートルズやストーンズを断片的に聴いてはいたけれど、そのあたりはもう伝説化してしまっていて、それほど食指が動かなかった。ラジオで頻繁にかかっていたチープ・トリックやクィーンあたりを一生懸命追いかけながら、セックス・ピストルズの「マイ・ウェイ」に衝撃を受けたりするような普通の(?)子供だったのだ。当時印象的だった曲はたくさんあるけれど、残りの人生をかけるほどショックだったという体験がないのはちょっと悲しい。むしろその当時僕の人生はSFと漫画に捧げられる予定だった。どこがどうなってこうなっているのか、自分でもよくわからないのだけれど、まあ、それは別の話なので割愛する。

 話を戻して、マッカートニーである。僕が彼のソロ活動を意識し始めたのは、たぶん『バック・トゥ・ジ・エッグ』(79年)の頃。といってもアルバムを買ったわけではなく、ラジオで「グッドナイト、トゥナイト」を聞いただけだと思うけれど、そのときはなかなかいいじゃないのという印象だった(生意気ですが、子供のことですからご容赦を)。だが、そんな好印象を吹き飛ばしてしまったのが、80年1月の来日と大麻不法所持事件(そういえばこの事件をネタにしたコントがスネークマン・ショーにありましたね)。これで何だか間抜けなおじさんという印象が強まり、次に「カミング・アップ」のビデオ・クリップを見たのかな。確か当時よく見ていた三重テレビのローカル番組で紹介されたのだと思う。その頃見たビデオの中でも、バグルズ「ラジオ・スターの悲劇」とかプリテンダーズとか、そのあたりは幸運な出会いをしたと自分でも思う。しかし、マッカートニーの場合は「カミング・アップ」だった。好きな人には申し訳ないけれど、この脳天気なテクノ・ポップは今でも正直それほどの出来とは思えないし、バンド・メンバーが全員ポールというクリップの演出も着想がありきたりで、今ひとつ面白みに欠けていた。ビートルズの素晴らしさにようやく気づき出した頃だったから、余計にがっかりしたのかもしれない。

 そんな僕が素直にマッカートニーっていいなあと思うようになったのは、大学時代に『タッグ・オブ・ウォー』と『パイプズ・オブ・ピース』を聴いてからのこと。といってもスティーヴィー・ワンダーやマイケル・ジャクソン絡みの曲はちっともいいとは思わなかった。個人的にこの時期の一曲と言えば名バラード「ワンダーラスト」で決まりである。次点として「テイク・イット・アウェイ」、B面曲「アイル・ギブ・ユー・リング」に「レインクラウズ」(両方ともなぜか未CD化……だよね?)あたりもかなり好き。

 前述のトリビュート盤でこの時期のナンバーを取り上げているのは、最初に自分のお小遣いで買ったアルバムが『バック・トゥ・ジ・エッグ』だったというマイケル・カーペンター(「ゲッティング・クローサー」をチョイス)、物悲しい「ウォーターフォールズ」をアップテンポに仕立て直したスローン(彼らがバックを担当していれば『マッカートニーU』は傑作になっていたかも……)、嬉しいことにテクノ色を廃した「カミング・アップ」を聴かせてくれるジョン・フェイ・パワー・トリップ(元コールフィールズ)、最初に買ったシングルの一つが「テイク・イット・ウェイ」だったとメンバーが語るジェリーブリックス(もちろんこの曲を演奏。いいぞ)といったところ。  なぜ誰も「ワンダーラスト」を取り上げないのかという個人的な不満はさておいて、79〜82年あたりに小学生、中学生(あるいは僕のように高校生)だった年代なら、この辺に郷愁を覚える感覚はわかってもらえると思う。このトリビュート盤は冒頭のオウズリーのように、各アーティストが思い入れたっぷりの(あるいはクールな)コメントを寄せているのが興味深く、できれば対訳付きの国内盤を望みたいところだ。

 総じてメジャー編にひねったカヴァーが多く(スローン以外にも、「ラム・オン」を取り上げ、インストのみであのほのぼのとした味を再現するという見事な解体/再構成を見せたゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツ、「マイ・ブレイヴ・フェイス」をパンキッシュにカヴァーしたSR−71など)、インディー編の方にストレートなアプローチをしているバンドが多いところも面白かった。ちなみにスター・コレクターの「マイ・ブレイヴ・フェイス」は、昨年出たアトランタ版トリビュート『LOVE IN SONG』が初出。こちらも結構ユニークな趣向が楽しめるので、興味のある人は探してみよう。

 さて、最初に「残りの人生をかけるほどショックだったという体験がない」と書いたけれど、一つ近いことがあるのを思い出した。あれは中2年生の夏。友人から借りたテープの中に風変わりな曲が入っていた。雷と雨の音の上にストリングスがかぶさり、クラシカルな構成とボコーダーやエコーを駆使したヴォーカルが一体となって奇妙な魅力を生み出している。しかもメロディは思い切りポップ。何なんだこれは。一音たりとも聞き逃すまいと神経を張りつめていた僕は曲が終わった後、しばらく呆然としていた。……ここまで書けばもうおわかりだろう。曲はE.L.O.の「雨にうたれて」。『アウト・オブ・ブルー』C面トップのナンバーである。

 このときの衝撃は今でも忘れられない。アルバムを入手したのは少し後になるが、以来ジェフ・リンとE.L.O.の名前はしっかりと脳裏に刻み込まれ、今でも夏になると「雨の日のコンチェルト」を無性に聴きたくなる自分がいる。E.L.O.−−それは僕にとって、夏と稲妻であり、むし暑さと夕立とその後の爽やかさであり、「ミスター・ブルー・スカイ」に象徴される、抜けるような青さと厳かな輝きでもある。

 ジェフ・リンへのトリビュート盤『LYNNE ME YOUR EARS』(米盤はノット・レイム、日本盤はエアーメイルより)は、僕にそんな記憶を思い出させてくれた。トッド・ラングレンからジェイソン・フォークナー、シャザムまで、新旧のポップ・アーティストがジェフ・リンをどう解釈しているか、是非自分の耳で確かめてみることをお勧めします。

V.A./Listen to What The Man Said: Popular Artists Pay Tribute to the Music Paul McCartney (Oglio/OGL89125-2)2001

V.A./Coming Up: Independent Artists Pay Tribute to the Music Paul McCartney (Oglio/OGL89126-2)2001

V.A./Love in Song: An Atlanta Tribute to Sir Paul McCartney (Demagogue/DEM-006)2000

V.A./Lynne Me Your Ears: A Tribute to Jeff Lynne (エアー・メイル/039/40)2001