いいという評判は聞いていたものの、何となく買いそびれていたロラスのデビュー作『BALLERINA BREAKOUT』をようやく購入。さすが話題になっているだけのことはあるなと納得してしまいました。ハードにドライブするサウンド、適度に甘くてクールなヴォーカル、ばっちり決まったハーモニー……メロディ重視のパワー・ポップはこうでなくちゃという、ご機嫌なポップ・ナンバーがずらりと並んだ佳作です。中心人物ティム・ボイキンは二枚のアルバムを残し、密かにパワー・ポップ・ファンの間で人気のあったシェイム・アイドルズのフロントマンでした。今ロラスを支えているのは当然シェイム・アイドルズ時代からのファンがほとんどだと思いますが、シェイム・アイドルズの名前を知らなくても、そうですね、レッド・クロスやトミー・キーン、あるいは古いところでスウィート(『BALLERINA BREAKOUT』には「Fox on the Run」のカヴァーも収録)やチープ・トリックが好きだという人なら、ロラスは押さえておくべき注目バンドだと断言できます。今回はシェイム・アイドルズ以前のキャリアを中心にして、ボイキンのたどってきた歩みを詳しく紹介しておきましょう。

 66年前後の生まれであるティム・ボイキンはアラバマ州バーミントン出身。アラバマと言われて思い浮かべるのは何だろう? レーナード・スキナードの「スウィートホーム・アラバマ」? マッスル・ショールズ・サウンド? 先頃来日も果たしたダン・ペン&スプーナー・オールダムの出身地? まあ一般的にはそんなところかもしれない。しかし、それはあくまで70年代のイメージであって、80年代も半ばを過ぎる頃にはインディー・レーベルの隆盛に伴い、アラバマ州にも多種多様なバンドが登場し始めた。R.E.M.やガダルカナル・ダイアリーが活躍していたジョージア州、前号でも少し触れたウィンドブレイカーズを生んだミシシッピ州の二つに挟まれて、あまり目立たなかったけれど、パワフルなギター・ポップを聞かせるプリミトンズ(アナログ二枚あり。1stはミッチ・イースターのプロデュース)、ねじれたポップ・センスが売りのセックス・クラーク・ファイブなど、新感覚のバンドがカレッジ・ネットワークを通して話題になりつつあったのである。

 80年代前半、まだ10代だったティム・ボイキンはハードコア・パンクを演奏するイーザー・ドッグスというバンドに所属していた。しかし、このバンドにものたりなさを感じていたボイキンは、高校時代の同級生ブラッド・クイン(b)、クラッカーズやインヴェイダーズといった地元の人気バンドで活動していたマーク・レイノルズ(ds)、インヴェイダーズのギタリスト、エド・レイノルズといった友人とともに新バンド、カーニヴァル・シーズンを85年にスタートさせる。その頃ボイキンのお気に入りはソフト・ボーイズ、ハスカー・デュー、リプレイスメンツ、それにペブルズやナゲッツなどの編集盤だったという。バンドの方もかなりガレージ/サイケ寄りの演奏を聞かせていたらしい。だが、それだけではカーニヴァル・シーズンからロラスまで一貫して流れるボイキンのB級ポップ感覚がどこに由来しているのかを説明したことにはならない。彼のもう一方のルーツは、ポップでグラマラスなロックンロールにある。具体的にはスレイド、ゲイリー・グリッター、スウィート等の70年代グラム・ロック、サイアー時代のフレイミン・グルーヴィーズなどの影響が強かったと語っており、最初からアマチュア感覚やフォーク・ロック派にありがちな線の細さとは一線を画していたことは特筆しておかなくてはなるまい。

 さて、カーニヴァル・シーズンは85年に自らのレーベルから7インチを発表した後、南部のクラブ巡りに精を出し、アラバマからアトランタ、ジャクソン、オースティン、ナッシュビルまで渡り歩いて活発なライブ活動を続けた。この段階でエドが脱退し(現在はティックスというポップ・バンドで活躍中)、トリオ編成となった彼らだが、ナッシュビルでシャドウ15やウェイアウツ(一時ブラック・クロウズに在籍し、現在はレイヨン・シティ・カルテットを率いるジェフ・シーズのバンド)といった若手バンドと演奏しているうちにMCAのA&Rマンの目にとまり、メジャー・デビューの機会が訪れる。

 早速バンドはデモ作りのためにスタジオの手配を整え、南部のポップ・シーンでは顔役だったティム・リー(ウィンドブレイカーズ)にプロデュースを依頼した。しかし、完成したデモ・テープはティムの好みもあってか、素朴で端正なサウンドに仕上げられており、荒々しさや音の厚さを望んでいたボイキンはがっかりしてしまう。案の定このテープはMCA側に全くアピールせず、メジャー・デビューの話はなかったことに。今となっては「弱々しくうすっぺらな」サウンドに原因があったというボイキンの主張を確かめることができないのは残念だけれど、デモはやがてイギリスのインディー・レーベル、ホワット・ゴーズ・オンに流れ、一足先にアルバム・デビューを果たしていた同郷のプリミトンズに続いて契約がまとまる。

 ホワット・ゴーズ・オンからの第一弾となった三曲入り12インチEP『PLEASE DON'T SEND TO ME TO HEAVEN』は87年にリリースされた。モッツ・ローデン(プリミトンズのリーダー。現在はシュガー・ララズを率いて活動中)のプロデュースにより、今度は狙い通りのパワフルなサウンドが得られ、ボイキンは今もこのEPを誇りに思っているそうだ。波に乗るカーニヴァル・シーズンは同じ年にフル・アルバム『WAITING FOR NO ONE』の制作に入る。ブラッド・クインの強力な推薦により、プロデューサーは当時ゲフィンに所属していたトミー・キーンに決定(クインは後にキーンのバンドに加入している)。サウンド的にも共通項の多い彼らだから、作業もスムーズに進んだに違いないと思いきや、かなりの難産だったらしい。ボイキンの回想によると自分たちのアンプが使えなかったり、エレクトリック・ドラムの使用を勧められたり、細かい点で不満だらけだったとか。何となく「いい人」っぽい印象のあったキーンにも頑固な一面があったことをうかがわせるエピソードだ。しかし、実際に音を聞いてみるとシャープでラウドなポップ・アルバムとしての水準は高く、このコラボレーションは結果的には成功だったのではないかと思わされる。

 この後バンドはライブ中心に活動を続けたが、89年に惜しまれつつ解散。ボイキンは新たにシェイム・アイドルズを結成し、『I GOT TIME』(95年)『ROCKET CAT』(97年)といったアルバムをリリースしている。ガレージ・パンクなジャケの印象とは逆に音は思い切りポップ。70年代ポップをモダンに改装したという点では、マテリアル・イシューやヴァンダリアスにも共通するボイキンの才能にもっと注目が集まることを祈りつつ今回はおしまい。

1) CARNIVAL SEASON / WAITING FOR NO ONE What Goes On / GOES ON 12 / 1987

2) SHAME IDOLS / I GOT TIME Frontier / 31066-2 / 1995

3) SHAME IDOLS / ROCKET CAT Frontier / 31071-2 / 1997

4) LOLAS / BALLERINA BREAKOUT Jam / JCD-720 /1999