英国ポップ・ファンにも楽しめるアメリカのポップ・アーティストを紹介する目的で設けられたこのコーナー。第1回はジェイソン・フォークナーやカイル・ヴィンセントと並び、LA周辺のポップ・ファンの間でこのところ注目を集めているパーセノン・ハックスリーを紹介することにしよう。今まであまり語られなかったノース・キヤロライナ時代を中心にして、これまでの活動を簡単にまとめてみたい。  まず、この奇妙な名前はギリシャの有名な神殿パルテノン(発音上はパーセノン)に由来するとおぼしき芸名で、本名はリック・ミラーという(少しややこしいが、パーセノンの名が登場する88年まではこちらの名前を使用させていただく)。おそらく55年前後の生まれだと思われるが、少年時代の詳しい経歴は不明。はっきりしているのは、アメリカ出身であること、66年から演奏をはじめたこと、そして、68年にギリシャの首都アテネにあるジュニア・ハイに入学したという事実である。以来中学・高校の6年間をギリシャで過ごし、学業の傍らバンド活動に打ち込んでいった。

 この時代のリックを語るために、避けて通れない重要な人物が一人いる。同じ学校の二つ年上の先輩、マット・パレットだ。マットは後にノース・キヤロライナのインディー・シーンで頭角を現わし、同地のインディー・レーベルにルーズ名義のEPを一枚残したローカル・アーティスト。今も活動しているらしいが、他にはシングルとカセットが発表されているだけで、正式なアルバムは出ていないようだ。二人の出会いはリックが中学一年のときだった。すでに小学生時代から演奏活動をはじめていたマットは、ギリシャでも同じようにバンドを組む。ダンス・パーティで演奏するマットを見たリックは、彼がたくさんのコードを知っているのに深く感銘を受け、オフィサー・ヘンリー、それに続くCC・ブルース・キングといった学内バンドでマットと活動をともにするようになった。  やがてリックは卒業の年を迎え、大学(UNC)進学に伴い、73年か74年頃ノース・キャロライナのチャペル・ヒルに移り住む。故郷のロング・アイランドに戻っていたマットも続いてチャペル・ヒルに移住した。75年には伝統的なブルースを指向するラバーナック・スリムという新バンドを二人で結成するが、すぐに解散。大学生括に忙しいリックとバイトで皿洗いを続けるマットの間には溝ができ、リックがなぜか突然地元のロックンロール・バンド、プレイザーズに加入するにいたって、二人の共同作業は78年まで途絶えることになる。

 ところで、70年代中頃のチャペル・ヒルといえば、ドン・ディクソンの在籍したアロガンスを忘れるわけにはいかない。当時ノース・キヤロライナのプリンズリー・シュウォーツと謳われ、ご機嫌なロックンロールを聴かせていた彼らの虜になったのは、ミッチ・イースター、後にdB'sを結成するクリス・ステイミー、ピーター・ホルサップルと枚挙にいとまがないわけだが、マットとリックも例外ではなかった。ライヴを体験し、すぐさまアロガンスの大ファンになった二人は、78年の夏にドン・ディクソンのスタジオを訪問し、彼の全面的な協力のもとに録音を残している。このときの録音は追加を含めて、82年にムーンライトからリリースされた。プロジェクト名はルーズ(謀略を意味する)。リック・ミラーの名前が最初に世に出た記念すべき一枚だが、たったの五〇〇枚しかプレスされなかったこともあり、今となっては入手困難のようだ。

 このセッションに刺激を受けたのか、マットとリックはライヴ活動をメインにしたバンド作りに再度意欲を燃やし、82年にダッズがスタートする。メンバーはマット・パレット(X・G)、リック・ミラー(G)、ゾー・ラガーグレン(B)、スコット・シュウォーツウェルダー(D)の四人。音楽的にはビートルズやムーヴに影響されたオリジナル・ソングが中心だったようで、アロガンスやUS・シークレット・サーヴィスの前座を務め、メディアにも好評だったが、このバンドも長くは続かなかった。パンク/ニューウェイヴの余波が残るこの時代、ポリスの成功に強くインスパイアされたリックはバンドを三人編成にしようと提案し、マットが身を引く形になってしまう(そういえば、リックが後に組んだバンドは全部三人組だ)。長く続いたマットとリックの関係はここに終焉を迎え、いつの間にかバンドは消滅していった。

 マットと袂を分かち、ダッズで思うような成果を残せなかったリックは、リック・ロックと改名してソロ活動に移る。80年代中期といえばちょうど全米でローカル・インディー・シーンが活況を呈していた時期であり、リックもその波に乗って、いくつかの編集盤に曲を提供。コネルズ、スポンジトーンズ、フェッチン・ボーンズ、アクセルレイターズといった同期のバンドとともに注目を集めたが、アルバムを制作するまでには至らなかった。しかし、この時期の活動がおそらくメジャーの目にとまったのだろう。80年代後半にはコロムビアと契約がまとまり、LAに移住。88年にパーセノン・ハックスリー名義で初のソロ・アルバム『サニー・ナイツ』が発売された。リック・ロック時代の二曲を含んだ全十曲すべてが自作曲で、演奏はパーセノン (X・G)、ピーター・ケイスやマシュー・スウィートのアルバムに参加していたラスティ・アンダーソン (G)、エリック・アンダーソンやジャクソン・ブラウンのアルバムに参加経験のあるジェニファー・コンドス(B)の三人を中心にして、曲によってセッション・メンバーが加わる形をとっている。プロデュースはバングルズ、トランスレイター、レッド・ロッカーズ等を手がけていたデヴィッド・カーンとパーセノンが共同で担当。基本的にはモダンなパワー・ポップ・アルバムで、中途半端にメジャーな音作りには不満を感じる人もいるだろうが、随所にビートルズの影響も感じられ、新人のデビュー作としては十分な完成度を示している。また、これをきっかけに活動の幅が広がり、89年にはXTC、90年にはステイーヴィー・サラスのアルバムにクレジットが残されている点にも注目しておきたい。

 そうした交流の中でパーセノンの音楽性は次第に別の方向に向かい、90年代初めには、ロビー・ロバートソンとの活動で知られるポール・マルティネス(B)、スティーヴィー・サラス・カラーコードのドラマーで後にボブ・ディランのバックを務めるウィンストン・ワトソン(D)らとヴェグを結成する。ソロとは打って変わってハードなサウンドを目指したが、アルバムはお蔵人り(このアルバム『ヴェグ』は97年になってリリースされた。確かにあまり出来はよくない)。同時期にグースパンブス名義の録音も残っているが、このバンドについては詳細不明。他にはEのアルバムをプロデュースしたり、編集盤にソロ名義で曲を提供したりして活動は続けていたものの、しばらくアルバム・リリースからは遠ざかることになる。

 パーセノンが七年ぶりにアルバム『デラックス』を発表したのは95年のことだった。新バンド、P・ハックスのメンバーはパーセノン(X・G)、トミー・コンウエルと活動していたロブ・ミラー(B)、マット・キーティングのアルバムにも参加していたゴードン・タウンゼンド(D) の三人。ヴェグがうまくいかなかった反省もあるのだろうが、今度はデビュー・アルバムをさらにひねった]TC風のポップ路線を前面に押し出して、全米のポップ・マニアから絶賛を浴びることになる。この頃から現在に至るまで、西海岸では特にメロディアスなポップ・ソングを再評価する気運が高まっており、P・ハックスはうまくその流れに乗ることができたともいえるだろう。

 その後、パーセノンは96年にバッドフィンガーへのトリビュート盤、97年に90年代のエリック・カルメンともいわれるカイル・ヴィンセント(元キャンディ)の初ソロ・アルバムなどに参加し、その才能を小出しにしているが、自らの新曲も書き続けているという。ギリシャ、ノース・キャロライナでの長年にわたる演奏活動に裏打ちされたテクニックと、天性のクールなポップ・センスは、ヴェテランならではの奥行きを兼ね備えており、新作を待ちこがれているのは僕だけではないはずだ。一刻も早い次作のリリースを期待している。

●コンピレイション

@『Mondo Montage』(Dolphin/DLP2002)1983

A『More Mondo』(Dolphin/DLP2006)1985

B『Tame Yourself』(RNA/R2-70772)1991

C『For The Love Of Todd:A Tribute To Todd Rundgren』

D『Yellow Pills Vol.2』(Big Deal/9006−2)1994

E『A Testimonial Dinner:The Songs Of XTC』(Third Ear/thi57019−2)1995

F『Come And Get It: A Tribute To Badfinger』(Copper/CPR2181)1996

G『Poptopia!:Power Pop Classics Of The 90's(Rhino/R2 72730)1997

*BFGは国内盤あり。Bはジャケット、内容の一部が異なる。

@ノース・キャロライナの当時注目されていたバンドを集めた編集盤に、リック・ロック名義の作品を二曲提供。「ブッダ・ブッダ」は後にそのままの形でソロ・アルバム『サニー・ナイツ』に収録された。もう一曲の「(アイム・ルッキング・フォー・ア)スプートニク」はここでしか聴けないナンバーで、軽快なビートが突然中近東風のメロディに変わり、ビートルズ風のコーラスにつながる中間部が聴きもの。他にはアロガンス、スナップ、]ティーンズ、レッツ・アクティヴ等の曲が収められている。

A@の続編にリック・ロック名義の作品を一曲提供。この「ボタン(ラヴ・イズ・ノー・センチメンタル・ジャーニー)」も後にソロ・アルバムに収録された。インド風のビートと演奏を効果的に使った中期ビートルズの影響が色濃いナンバー。他にはドン・ディクソン、スポンジトーンズ、グラフィック、コネルズ、サザン・カルチャー・オン・ザ・スキッズ(このバンドにもリック・ミラーという同姓同名のメンバーがいるが別人)等を収録している。

B動物の権利を保護しようというベネフィット盤に、グースパンブス名義の作品「アスリープ・トウー・ロング」を提供。内ジャケの写真にはパーセノンと金髪美女(サス・ジョーダンか?) の二人が写っているのだが、メンバー表記がなく、この女性の正体はわからない。レゲエ風のナンバーで、ヴォーカルはパーセノンと女性とが分け合っている。

Cノース・キャロライナのアーティストが中心となったトッド・ラングレンへのトリビュート盤に参加し、82年の『ユートピア(TRKW)』に収録されていた「ゼア・ゴーズ・マイ・インスビレイション」をパーセノン・ハックスリー名義でカヴァー。

D90年代の新しいパワー・ポップをリードする編集盤の第二弾にソロ名義で「バズーカ・ジョー」を提供。アルバムには未収録だが、録音メンバーから推測すると、『サニー・ナイツ』のアウトテイクと思われる。

E]TCへのトリビュート盤に 「アナザ ー・サテライト」(『スカイラーキング』収録)のカヴァーを提供している。P・ハックス名義。

Fバッドフィンガーヘのトリビュート盤。P・ハックス名義で「パーフェクション」(『ストレート・アップ』収録)をカヴァー。

GP・ハックスのアルバム『デラックス』から「エヴリ・ミニッツ」を収録。

●コラボレイション(演奏、共作、プロデュース)

@ The Ruse(Matt Barrett)「The Ruse」(Moonlight/MLRlO11)EP/1982

A XTC『Orqnges & Lemons』(Virgin/CDV2581】1989

B E『A Man called (E)』(Polydor/314511570−2)1992

C E『Broken Toy Shop』(Polydor/314519976−2)1993

D Stevie Salas Colorcode『Back from the Living』(Pavement/72445-15010-2)1994

E The Swamis『Not Where I Started from』(self-release)1996

F Kyle Vincent『Kyle Vincent』(Hollywood/HC−62094−2)1997

*ABDは国内盤あり。

@中学生時代からの友人、マット・パレットのセッション・プロジェクトが唯一残した12インチEP。メンバーはマット(X・G)、リック・ミラー(G)、ドン・ディクソン(B)、ミッチ・イースター(D)、US・シークレット・サーヴィスのクリス・チャミス (D)、ゾー・ラガーグレン(B)、チャック・ミラー(B・X)といった豪華なもの。全四曲中二曲は78年の録音で、残りの二曲が80年に追加録音された。プロデューサーはもちろんドン・ディクソン。なお、ムーンライトは80年代初期に運営されていたチャペル・ヒルのインディー・レーベルで、この他にアロガンスのラスト・アルバムやUS・シークレット・サーヴィスのEPなどもリリースしていた。

Aその音楽性から考えて、パーセノンがかなりのXTCファンであることは容易に想像できる。トリビュート盤にも参加しているし、彼らと交流があっても不思議はない。具体的な経緯は不明ながら、ポール・フォックスがプロデュースを手がけた九作目にゲスト参加。手持ちのCDでクレジットを確認すると、サンクス欄に名前が挙がっているだけだが、実際にはタンバリンを演奏したらしい。

Bこれはパーセノンのファンには大推薦の一枚だ。現在はイールズで活躍するLAのポップSSWによるファースト。ビートルズ、ブライアン・ウィルソン、ジェフ・リン等を思わせる技巧的なポップ・ソング集で、パーセノンは二曲を共作するほか、演奏、プロデュースと全面的に協力している。

C翌年のセカンドでも、やはり演奏面で協力し、共作は三曲に増えている。プロデュースはEとマイケル・コップルマンが担当した。前作と比べると内省的で、ポップ度はやや後退。

DP・ファンク出身のヘヴィ・ロック・ギタリスト、ステイーヴィー・サラスとパーセノンの間に音楽的な共通点はあまり感じられないが、不思議とこの二人は共作が多く、90年のデビュー・アルバムでは何と全十曲中半数の五曲が二人によるナンバーだった。といっても歌詞のみの共作で、作曲には関係していない。ここでは「ワンダリング」という曲を共作しただけでなく、パッキング・ヴォーカルも担当。

Eノース・キャロライナで80年代に活躍したワン・プラス・トウのリーダー、ホールデン・リチャーズが新たに組んだ、良質なギター・ポップ・バンドによる三枚目(カセット含む)。クリス・ステイミー、ジェフ・ハート等同郷の友人と並んで、パーセノンも一曲ギターで参加している。

F80年代にキャンディというハード・ポップ・バンドにト在籍したカイル・ヴィンセントの初ソロ・アルバム。クラシックの雰囲気をまぶした正当派ポップ・アルバムで、その70年代的な作風はエリック・カルメンにも通じる。パーセノンは四曲を共作し、プロデュース、演奏など全面的にサポート。

●共作のみ ◎ Stevie Salas Colorcode『Stevie Salas Colorcode』(Island/7−91303−2)1990 「Stand Up!」「Blind」「Two Bullets and A Gun」「Over and Over Again」「Cover Me」を共作 ◎ Foreigner『The Very Best...and Beyond』(Atlantic/89999-2)1992 「With Heaven on Our Side」を共作 ◎ Sass Jordan『Racine』(Impact/IPTD-10524)1992 「You Don't Have to Remind Me」を共作 ◎ Nickelbag『12 Hits and A Bump』(Iguana/574)1996 「Soul Search」を共作 ◎ Gus『Gus』(Almo/AMSO−80008)1996 *「Dog」を共作

 サス・ジョーダンはステイーヴィー・サラスと関係の深いカナダの女性ロッカー。

 ニッケルバッグはスティーヴイー・サラスとバーナード・ファウラーのプロジェクト。

 ガスはシアトルの新世代SSW。激しいエレクトリック・ナンバーと普通の弾き語りが混在し、グランジを通過したオルタナティヴ・フォークといった趣きがある。

 また、カセット・アルバムのためリストからは除いたが、98年にハリウッドのSSW、ポール・ゾロの『オレンジ・アヴェニュー』 にもゲスト参加している。