J. R. R. トールキンの Tree and Leaf について

トールキンは本名をJohn Ronald Reuel Tolkienと言います。

作者は1892年1月3日生まれ。母親はトールキンが4歳の時に未亡人となり、1900年にカトリックに改宗します。英国国教会が国の宗教であるイングランドの中でカトリックであるということは、同じキリスト教ではあっても、とても難しい状況に自分を置くと言うことを意味しました。カトリック教義に乗っ取って、この作品を読むこともできますが、特に煉獄についての信条は、この作品を理解する上で重要な鍵となります。

右は1930年代の彼の肖像です。

 

1913年に彼はオクスフォード大学エクセター学寮で、英語英文学を専攻します。1920年にはReaderとしてLeeds大学で教鞭をとるようになり、1925年からオクスフォード大学で中世英語英文学の教授として勤め始めます。1939年にセント・アンドリュース大学で行われた講義「妖精物語について ('On Fairy-stories')」はその後、親友であり、幻想文学作家でもあったチャールズ・ウィリアムズ(Charles Williams)の為の記念論文集に収録されることになります。1964年に出版されたTree and Leaf という本は、一風変わった本でした。本の前半には、チャールズ・ウィリアムズの為に一度出版された論文を改訂したものを載せ、後半は、これから皆さんと一緒に読む「ニグルの一葉('Leaf by Niggle')」という、一見単なる童話として読める物語が収録されているのです。

それでは、この本のタイトルである Tree and Leaf とはどういう意味なのでしょう。後半の leaf という単語が、この作品のタイトル「ニグルの一葉('Leaf by Niggle')」と共通点を持っているのは一目で分かるでしょう。それでは、前半のtree という語は、トールキンの論文である「妖精物語について」というものを指しているのだ、と考える人もいるでしょう。そもそも、妖精物語と'tree'とは、どのような関係になるのでしょうか?

トールキンは言います。妖精物語は次のものを与えてくれます:Fantasy, Recovery, Escape, Consolation. その一つ一つについては、後に述べることにしますが、要点だけ言えば、この四つのものは、人間に神から与えられた創造力というものを改めて認識させてくれるものだと言うことです。

彼自身もここで言われるFantasy「幻想創造」Recovery「回復」そしてEscape「逃避」とConsolation「慰め」を得て、一つの内的世界を創造しました。それは「中津国」と訳されたMiddle-earthというものでした。どのように作り上げたのかと言えば、トールキン自身が幼い頃から好きだった「言語創造」というものを通 してでした。トールキンにとって、妖精と彼らの用いた「言葉」とは切っても切り離すことので着ないものだったのです。彼自身それを「秘めた悪徳」と呼んで、あくまでも個人的な楽しみであって、なんら余人の関わり合うべきものでもないような類のものと見なしていました。いったいそれはどのようなものだったのでしょう?

次の図を見てみて下さい。

この絵は妖精、トールキンの呼び名を使うならば、エルフという名前の生き物が用いた言語の歴史を示した樹形図です。最初に彼の頭に浮かんだこの図は、後に下のようなものに変わります。(J. R. R. Tolkien, 'The Lhammas, or "Account of Tongues"' in The Lost Road and Other Writings: Language and Legend before 'The Lord of the Rings', ed. Christopher Tolkien (London: Unwin Hyman, 1987): 169-70.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この絵の方がよりはっきりと樹形図のような形をしているのがわかるでしょう。そして、これこそが、トールキンが中世英語英文学者として「文献学者」と呼ばれた言語学者として活躍をしたそのまさに陰の部分を占めていたものなのです。

「陰の部分」と聞くと、なんだか隠微な雰囲気が漂うのですが、現在の我々にとっては当たり前のことが当時では非常に気まずい、ある意味で、後ろめたい趣味を持ったときに感じる感覚をトールキンは味わっていたのだということなのです。

文献学者とはどういう学問をする人間かともうしますと、端的に言えば、古い文書を読み、そこに書いてあることを理解しようとする学問です。そして、その学問には付随する必要な知識を技能があります。一言で言えば、言語を歴史的に比較することです。従って、ある言語、ある単語を系統的に、歴史的に、また地理的に分析をして、その音や意味の変遷を探るわけなのです。

この学問をする上で、なくてはならないことがいくつかあります。それは、文献学という単語に現れています。これは英語ではphilologyと呼ばれます。Phil-は愛するという意味のギリシャ語に由来します。またlogyは、logosすなわち「言語」という単語に由来します。従って、philologyとは言葉を愛する、という意味の学問なのです。このような態度で言語の歴史に臨むとき、言語を用いる人々の歴史をたどることに気づくのです。つまり、言葉を愛するとは、その言葉を用いる人々をも愛し、言葉を理解するとは、その言葉を使った人々を理解することにつながるからです。現在の「言語学」と主に呼ばれる学問は、このような態度を批判し、言語学は言語のみに依存し、言語外の要素を除外して分析しなければならない、という態度から生まれました。そうして「生成文法」と呼ばれてきた学問分野は、特にその代表とされてきたのです。しかしながら、現在は、人間の、つまり言葉を操る主体の「認識」というものが言語に与える影響も無視できないのではないか、という姿勢も徐々に生まれ始めました。これが「認知言語学」という新たな学問分野を切り拓いたわけです。話を元に戻しますが、philologyは、言語を切り刻んでその要素一つ一つについて研究すると言うよりも、より総合的に社会や認識の領域も含め、言語の持つ背景とその意味との関係をも視野に入れた学問だったのです。従って、トールキンにとって、言語を創造するということは、その言語を用いた主体の歴史、文化、社会いっさいを取り込む必要があったのです。

ともあれ、このようなトールキンの樹形図は勝手にでっちあげたものではありません。「文献学」は現在でも用いられる用語ですが、そこに純粋に言語体系だけを対象に絞った学問が生まれ、それは今日Comparative Linguistics「比較言語学」と呼ばれています。その初期段階に生まれた考え方が言語の進化というものでした。原始的な状態の言語がより「発達」していって現在のようになった、という考え方で、もちろんこれは19世紀の進化論の影響を受けた誤った考え方である、と今日は考えられています。言語は「変化すれども、進化せず」。すなわち今ある状態はそれだけで100%意思伝達を果 たしている。従って進化という概念が持つ、高次vs低次、高等vs下等といった二元論的な価値観は持つべきではない、というのが今日の考え方だからです。その現在にあっても、言語変化というものを、人々に分かり易く説明するために、以下のような図を用いるのが普通 になっています。

Winfred P. Lehmann. Historical Linguistics. 3rd ed. (London: Routledge, 1992):120. (註:トールキンのそれと比較するため、原図を縦に配置しました)

この図の示すものは、まさに、樹の幹から枝分かれしていくように様々な言語が一つの言語から分かれて生まれていく様です。トールキンの描いた上の樹形図と比べてみるとき、彼の心の中にあったものは、エルフという生き物の言語の、ちょうど人間の言語のそれと同じように、時代や環境と共に変化していく歴史であったことがわかります。さて、それでは、この樹形図を、つまり「」を描いたときに生まれたものとは何だったのでしょうか?それは、この樹の中に現れる言語ひとつひとつを話す空想の中の生き物たちと彼らの生きるべき大きな世界であり、その歴史であったことがわかってくるのです。トールキンにとって、「」の意味するものは、自分の創造した世界だったのです。しかしながら、それを彼自身「秘められた」ものとして長く人には公開することはありませんでした。もちろんいつかは公にしようとしていたことは分かっておりますが、結局彼の存命中にはかないませんでした。その原稿を実の息子が編集して死後出版されたのが、『シルマリルの物語』として現在日本語に翻訳され、二巻本として出版されているものの原典なのです。

そのような物語を作ることに、何か重要な意味があったのでしょうか? トールキンはある、と言うのです。この行為自体は自分だけのものでしかないけれど、そのような行為は自分だけが行うのではなく、他にも行っている人々がいる。いや、むしろ、人間であれば、必ずそのような創造行為を行う権利、能力を持っていてしかるべきだ、と考えるわけです。

その創造行為のキーワードとして与えられているのがFantasy「ファンタシー」(適切な訳語がないのでカタカナで書きますが)です。トールキンはこの言葉を「『非現実』(すなわち「第一世界」とは似ていない)というものから発展した概念、観察された「事実」の支配からの自由という概念、言ってみれば「幻想的なものである」という概念と、「想像力(イマジネーション)」の同義語としてのより古く高次の用法とを結びつけるものである (which combines with its older and higher use as an equivalent of Imagination the derived notion of 'unreality' (that is, of unlikeness to the Primary World), of freedom from teh domination of the observed 'fact', in short of the fantastic)」としています。

トールキンが強調していることは、ファンタシーという語は、我々が生きている世界とは別 の世界と関係があるということです。とはいうものの、現実世界とまったく関係がないとはトールキンは言いません。むしろ、この世界を含めた「真実」というものを見つめ直す機会を、ファンタシーは与えてくれる、と言うのです。「人が真実を見ようとしなくなったり、真実を近くできないような状態に陥ると、その人物が治癒されるまでファンタシーは衰えていく。なおも、そのような状態に居続けるようになると(そのようなことはありえないことではないように思われるのだが)、ファンタシーは潰え、ついには病的な妄想になるだけである(If men were ever in a state in which they did not want to know or could not perceive truth (facts or evidence), then Fantasy would lnaguish until they were cured. If they ever get into that state (it would not seem at all impossible), Fantasy will perish, and become Morbid Delusion)」「実際、人間が蛙と人間とを区別できなくなったりすれば、蛙王子の物語はまったく成り立たなくなってしまうのである」妖精物語は、妄想とは違うのです。「非現実」と関わりがあることも事実ですが、だからといって、「真実」と無関係であることはない、というのです。

Leaf by Niggle に見られるトールキンのイメージと挿し絵

この左の絵は、Tree and Leaf が出版されるに当たって、トールキンが表紙のために描き下ろした樹です。

そこに描かれる葉の形が様々な種類だと言うところに気をつけて下さい。 現実の世界にはこのような樹は実在するはずはないでしょう。ここに、トールキンの「樹」tree が単なる自然界の木を意味するのではなく、寓意的な意味を含んでいることがわかりますね。

このほかにトールキンは下のような絵も描いています。この絵が、もとになって、左の絵を構想したのだと思われています。

この木は「アマリオン(Amalion)の木」という名前がトールキン自身によって付けられています。

「アマリオン」という名前の由来はわかりませんが、トールキンの創作したエルフの言葉だということは 推測されます。

元のカラーの絵には花が咲いていますが、Tree and Leafの表紙になった白黒の絵には花がなく、「葉」だけであるのは、このタイトルに合わせたためかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

トールキンは、ニグルの絵の描写をする中で次のように言います「そして、その「樹」の周りに、そしてその向こうへと、樹の葉や大枝の合間に見えるのはそこから広がる田舎風景でした。その土地を巡って続く森がちらりと見え、山脈が、冠雪を覗かせるのでした」といった具合に描かれます。その田園風景の元になっているのは、あるいはホビット庄を描いた次のようなものかもしれません  

この丘の向こうにはとおい山脈がかいま見えますし、そこまで続く木々もわかります。ふと見上げると、この丘の上には一本だけの樹がぽつんと立っております。

丘の左側には「遠くまで続く森」、さらに白い雲と接するところで白い山の頂き(冠雪を戴いた)も見ることができます。まさに「ニグルの樹」の枝や葉の間から見えた風景のイメージとはこのようなものであることが、トールキン自身の絵を手助けとして、我々にもわかることができました。

「ニグルの一葉」の中に、ニグルが自転車に乗って芝生の上を駈ける場面があります。やがて目の前に一本の木がたっている、というクライマックスです。左の絵の中で丘の上に立っている一本の樹は、あるいは、そういったイメージも含んでいるのかも知れません。

 

 

この田園風景は、下のビルボ・バギンズの家の扉から見えるものと似ております。まあ、それも通 りで、ビルボのこの家の扉は明らかに、丘の腹に一つだけ見える扉に違いなく、つまりはこの絵と180度反対の風景なのだ、ということですね。

 

 

それにしてもトールキンは、いつも、前景と後景とのコントラストを大事に描いておりますね。

この絵の遠くにも雪を戴いた山々が見えますね。ほとんど雲と見まごうばかりです。遠くの国に憧れ、山の向こうには何があるのか、と想いを馳せるトールキンがいるようです。

それでは、この絵の遠くまで行くと、次にはどのような風景が待っているのでしょうか?

 

大きく扉の部分だけを見てみるとこのようになりますが・・・。

トールキンはやはり『ホビットの冒険』の中で次のような山脈の中の風景を見せています。

雲の中に連峰を冠雪に委ね、空高く舞う鳥の眼差しを示している、そんな視線がトールキン自身にもあったのでしょう。

しかしながら、もっと大切なことは、この山々の向こうにも世界は続いているということです。「山脈」は、そこに至る途上にあったり、そこを遠くから眺める者にとっては、視界をさえぎり、そこから先は何も見えなくしてしまうものです。けれども、その山脈にたどり着くとき、さらにその向こうには世界が今一度新たに広がっていることに気づくのです。

『ホビットの冒険』の最後の場面で、私たちは安全に家に辿り着き、パイプをふかす主人公ビルボ・バギンズの姿を先ほど見ました>再び挿し絵< 。

ま〜るい扉の向こうには雲に煙る遠景が、どこまでも続いているようです。そして、その雲とも雪をかぶった連峰ともつかないところで私たちの視界(目に見える世界)は遮られてしまうのです。でも、ビルボ自身は知っています、その向こうには自分が「行ってきて、帰ってきた」世界があるということを。

そこに至る道は苦難や冒険に満ちたものでしたが、その時彼の経験したこと、見たこと、聞いたことは、彼の中に大きな財産となりました。『ホビットの冒険』は次のような科白で終わります:「バギンズどの、わしは、心からあんたが好きじゃ。だがそのあんたにしても、この広い世間からみれば、ほんの小さな平凡なひとりにすぎんのだからなあ!」「おかげさまで」とビルボは笑いだし、ガンダルフにタバコ入れを手渡しました(『ホビットの冒険』瀬田貞二訳(改版 岩波書店、1983)476;強調は引用者による)。

もちろんこの赤字の部分は広い世界を知れば知るほど分かってくることでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

Workhouse について

 

また、この作品の中にWork Houseというものが登場しますが、これはもともと、救貧法に基づく貧民の救済措置として設けられた施設のことです。特にチャールズ・ディケンズの『オリヴァー・ツイスト』の中では、この救貧院の悲惨さが描かれています。

エリザベス1世の治世において、福祉事業を実施するために1597年と1601年に制定された「救貧法」は紆余曲折を経て、時代の要請により 1834年に大幅に改正され「新救貧法」となった。プリストルが1696年に貧民に仕事をさせるために建設した“workhouse”とよばれる施設は 成功をおさめ、1722年にはこれをモデルにした施設が全国的に広まった。しかし、病人や老齢者や子どもの貧民を収容し、労働可能な貧民に 仕事を与えるために設置されたはずの施設は、ありとあらゆる種類の貧民が押し寄せるようになり、いわゆる「救貧院」ヘと変貌していっ た。教区単位で実施されてきたワークハウスは教区民に税負担が重くのしかかり、救済費が上昇し、農村労働者の勤労意欲は減退した。そこ で新救貧院法が1834年に成立し、管理運営は中央政府の機関に置かれた。いくつかの教区を統合して「ユニオン」とし、貧窮民の救済を全国 的な統一基準のもとに実施することによって経費を削減し、さまざまな弊害をなくそうとしたのである。だが、救貧院の非人間的な諸規則や 冷酷な扱いは世の非難を浴び、その悲惨な収容実体が知れわたった。 ディケンズは『オリヴァー・トゥイスト』で旧法から新法への変化を えぐり出し、ハーディは『はるか群衆を離れて』の中で、救貧院の恐 怖を描いている。新救貧院法の実行機関で、あらゆる権限を委譲され ていた中央委員会は1847年に廃止された。新たに救貧法行政部が運営 にあたり、1871年には地方自治省に移管された。当時、ユニオンはお よそ650あったが、地図に“Workhouse”の所在が記されている。

Workhouse Homepage

 

とはいえ、もちろん、トールキンが考えていたのは、イメージであって、実際の救貧院そのものが

描かれているわけではないでしょう。

カトリックであったトールキンにとって、全ての人間が天国に行けない以上は地獄に堕ちる他は

ないという考え方は受け入れられませんでした。そのかわり、カトリック教義で言うところの

煉獄というものについて考えを深めていったに違いありません。

では、煉獄とは、どういうイメージがあるというのでしょうか。

この続きはまた改めて考えてみましょう。