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Child Rowlandのバラッド

(dec/23/99)

ローランドという名前は、英雄としては、かのシャルルマーニュ(カール大帝)の甥に当たる人物とされております。すなわち、『ロランの歌』というロマンスがあります、その主人公がまさにローランドであります。

チャイルド・ローランドは、確かにシェイクスピアの『リア王』第三幕第四場エドガーの台詞、

Child Rowland to the dark tower came,
His word was still: Fie, Foh, and fum,
I smell the blood of a British man.

(King Lear, Arden Shakespeare. Kenneth Muir, ed. III, iv, 179-81.)

(「騎士見習いのローランド 暗い塔へとやって来た
 そこへ言われた言葉には:ファイ、フォー、そしてファム
 ブリテン人の血の臭いがするわい」[jinn訳])

に現れるバラッドの断片の元と思われます。

 

このバラッドは19世紀の『北方歌謡古譚集』(Illustrations of Northern Antiquities, 1814) という、R・ジャミーソンという人が編集し、ジャミーソン、ウォルター・スコット、H. W. ウェバーが註をつけたバラッド集に断片が残されています。

シェイクスピア学者のキトリッジ教授は、この断片を後世の人の創作によるものだと断定していますが、上記バラッド集の註には、自分がシェイクスピアを知る何年も前からこの歌を知っていた、と書かれております

 

このバラッドのあらすじは、キャサリン・ブリッグズの『英国民話事典』Part A.に納められています。それによれば:

アーサーの息子ローランドは、ボールを蹴って遊んでいました。ボールを追って行った妹の美しきエレンは、ボールを探しに行ったきり戻ってきません。理由をマーリンに尋ねると、妖精の王にさらわれたとのこと。ローランドの二人の兄がそのマーリンの忠告を聞いた後、探しに行きますが、二人とも帰ってきません。

そこで末の弟のローランドが出かけるのです。
マーリンは、妖精の国に入ったら、だれであれ、出会う人を殺さなければならない、そして妖精の国では何も飲んだり食べたりしてはいけないよ。もしその禁を破るなら、おまえは二度と「中津国」を拝めやしない」と言われるのです。

最初にあったのは馬飼いでした。「妖精王の館はどこだね」「私にはわからんが、この先の牛飼いならわかるだろう」その答えを聞くと、ローランドはばっさりその首を切り落とすのでした。

「そこでローランドは両刃の剣を抜いた。ねらいははずれたことはない」

So Child Rowland drew the good claymore that never struck in vain.

こうして、牛飼い、羊飼い、山羊飼い、豚飼い、と続き、最後に雌鳥飼いに出会います。

ブリッグズは別の本の中で、妖精が鶏を嫌うことに対する言及を行う際、このことも合わせながらも、このバラッドの中の妖精王は、珍しく鶏を飼う女性を雇っていることにも触れています。また、スコットランドでは、鶏を飼う女性は、魔力をもっていたと証言もしています(『イギリスの妖精』(筑摩書房、107))。

さて、鶏飼いの女は、妖精王の居場所を次のように言います。

もう少し先に行くと、下から上まで段々畑になっている塚が見えます。そこを三度「太陽と反対周りに」回るのです。回るたびごとに、扉よ開け!扉よ開け!僕を中に入れてくれ!と言うのです。すると三度目に扉が開きあなたは中に入れるのです。

「そこでローランドは両刃の剣を抜いた。ねらいははずれたことはない」

扉の開け方を教わり、実際にエルフランドへとローランドは進みます。そこは五月のように暖かく、太陽は黄昏時か薄暮の光でした。しかもそこは大地の中なのにです。ローランドにはどうしてなのかわかりません。窓も蝋燭もないからです。荒い地肌の壁か洞穴のような天井が羊銀(雲母)やスパーや、その他様々の水晶石のがはめ込まれていて、透明な素材で出来ていて、透けてくるとしか彼には考えられませんでした。

やがて彼は幅も丈も大きな二枚の扉の前に来ました。それは少しばかり開いていたので、彼は中に入りました。するとそこは大きな広い広間で、その豪華さ、壮麗さを言葉で表すことなど到底出来ないくらいでした。

その高さは塚の高さほどもあるように思われました。そして巨大なゴシック調の柱が支えている天井も大変大きく、高く見えました(と私の語り部は言うのです)。それと比べたら、チャンリー教会やプラスカーディン修道院の柱も比べものになりませんし、ノック・オヴ・アルヴェスの柱をバーリネスやベン・ア・シの柱と比べるようなものです。柱は金や銀で出来ていて、花飾りも同様にダイヤモンドや宝石で出来ておりました。そして、中央に天井が合わさるところから、一本の黄金の鎖が垂れていて、そこにはまるまる一個の大きな真珠で出来た、ランプがかかっておりました。その真珠は完全な透明で、その中心に魔法の力によって、常に回り続けるざくろ石が吊ってありました。そしてそこから広間中に透明で優しい光が、まるで沈みゆく太陽のように、注がれていたのです。

しかし、広間は大変に大きく、またこれらの豪奢な建具はどれもみな彼からは遠くにあったので、その輝きは混ざり合い、彼の目には心地よい光沢のように映る程度であり、また彼の心にも気持ちの良い感覚を与えるだけにとどまりました。

調度品もそのような建具に則したものでした。そして広間のちょうど反対側のすばらしい天板の下、豪華なヴェルヴェットや絹や金で出来たソファの上で、銀の櫛で金の髪を梳る

「彼の姉の美しきエレンがおりました
 彼女は彼の前にたち
 『ああ、不幸な男の子よ、神の御慈悲を!        と言いました。
 ここでおまえは何をしているのですか?
 
 『私の末の弟よ、私の言うことを聞きなさい
 なぜ故郷にとどまっていなかったのです
 たとえあなたが百と千の仲間をもってしても
 彼らもなんの役にも立たないのです
 
 『さあ ここに座りなさい ああ なんということ
 おまえの生まれた日は呪われよ
 エルフランドの王がやって来たなら
 おまえの体は砕かれてしまうのだから!』

それから二人の長い会話が取り交わされます。チャイルド・ローランドは自分のこれまでの経緯を話し、見てきたこと、聞いてきたことを話します。そしておしまいに、このエルフランドの王様の城に着くまでの長い旅で、自分はすっかりおなかがすいてしまったのだ、と言いました。

美しきエレンはそのとき哀しい様子で、痛ましげに彼を見つめました。そして首を降りましたが何も言いませんでした。ただ、抗えない魔法の力によって、彼女は行うしかなかったのです。そして立ち上がると、彼にパンやミルクのいっぱい入った金の鉢を持ってくると、彼の前に、以前と変わらない、気のそそらない様子で、優しくはありましたが、孤独な懸念に満ちた表情で、彼の前に差し出したのです。

その時チャイルド・ローランドは、マーリンの教えを思い出して、こう言いました。「美しきエレンお姉さま。僕は貴女を連れ帰るまではなにも飲んだり、手をつけたりはしませんよ」

突然、開き戸がものすごい勢いで開かれ、エルフランドの王が入ってきました。

 「フィ、フィ、フォ、そしてファム!
 キリスト教徒の血の臭いだ!
 生きていようが、死んでいようが、俺様の刀で
 そいつの脳味噌を脳髄から掘り出してくれようぞ!」

「それならば、地獄の妖魔よ、出来るものならやってみるがいい!」

恐れを知らないチャイルド・ローランドはそう叫ぶと、躍り上がり、両刃の剣を抜きました。ねらいをはずしたことはありません。

それに続く戦いは激しいものでしたが、最後はエルフランドの王が地に倒れたのです。チャイルド・ローランドは、彼に命を助ける代わりに、広間の端に正気を失って倒れている二人の兄たちを元に戻し、美しい姉のエレンを戻すようにと言いました。するとエルフランドの王は小さな水晶の小瓶を取り出しました。その中には真っ赤な飲み物が入っていて、それで兄たちの唇、鼻、瞼、耳、そして指先を湿らせると、二人はたちまち、まるで深い眠りから覚めたように目覚め、二人の魂も体の中におさまり、それまで彼らが見てきたことをあれこれと、あれこれと、あれこれと・・・。

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そこで四人は楽しきカーライル(アーサー王のよく滞在する土地)へと帰って行きました。

以上が、キャサリン・ブリッグズの『英国民話事典』の中の「チャイルド・ローランド」の記述です。

この話は、自分の父親のところで働いていた仕立屋が語って聞かせた話で、7-8才の頃に聞いたといいます。

「これはまるでアイスランドのサガのように、形式張った、物憂げに、ゆっくりと、単調な語り口で、散文と韻文とを混ぜながら、現在でもアイスランド人、ノルウェー人、スウェーデン人だけでなく、北スコットランドの低地地方人、高地地方人またアイルランド人の間でも、冬の間に物語るやり方と同じやり方で語られた。ここで紹介された韻文の節については、私はその精確さについて答えることはできないが、唯一妖精王の台詞になっているところだけは確かで、そこは私がシェイクスピアを知る遙か以前に、消しがたく記憶に刻まれたものだ。その仕立屋は鼻を丸め、そこら中を嗅ぎ回り、「フィ、フィ、フォ、ファム」という感じを出すために芝居じみた格好を演じた奇妙で異様なやり方が忘れられなくさせたのだ」

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この類話は数多くあるものの、特に『リア王』と酷似しているのは、『巨人殺しのジャック』Jack the Giant-Killerの中の一節です。

"Fee, fi, fo, fum!
I smell the blood of an Englishman!
Be he alive or be he dead,
I'll grind his bones to make me bread!"
(「フィー、フィ、フォ、ファム!
 イングランド人の血の臭いだ!
 生きてようが 死んでようが
 そいつの骨でパンをつくるぞ!」[jinn訳])

と言う一節が、同じくキャサリン・ブリッグズの『英国民話事典』(Part A, pp. 330, 332)に記載されています。

 

さらに、シェイクスピアがこれを作品に取り入れるにあたって、ヒントになったかどうか、それはもちろん今ではわかりませんが、シェイクスピアには先輩の劇作家トマス・ナッシュの芝居、Have with You to Saffron-Walden (1596年), 三幕の中に、批評家たちを揶揄する場面で、巨人のように"Fy, fa, fum, I smell the bloud of an Englishman." というものこそ、批評家というものだ、といった主旨を登場人物に語らせています。

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