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Outline of the History of English

(英語史のアウトライン)

5世紀初期、ヨーロッパ大陸の西側に浮かぶブリテン島で、「英語」と僕らがこんにち呼んでいる言語の伝統は始まった。

それまでローマ軍がそこに駐留していたが、すでにローマ軍がそこを去る前から、イングランドの東海岸は、北海の彼方から来た民族の襲撃を受けていた。6世紀の間にその新参者たちは定住し始める。

ジャローの修道士ビード尊士の8世紀前半の著作によると、彼らは「アングル人」「サクソン人」「ジュート人」の3部族に属していたという。一般的には「アングロ・サクソン人」と呼ばれる民族である。彼らの言語は、しかしながら、ほとんど常に「アングル人のことば」「エングリッシュ(!)」と呼ばれてきた。

「アングル人のことば」は、広くインドからヨーロッパに至る土地で話されている言語体系の中に属している。特にその中でも、アルプス以北の土地に住むゲルマン人の言語の一派である。

「アングロ・サクソン人」は、ついには、現在のイングランド全体を支配するようになり、それまで、その土地に住んでいた住民の話していたケルト語に取って代わった。

 やがて、そのブリテン島に侵略してきた「英語話者」自身が、別の侵略者からの襲撃を受けるようになった。それは北海のさらなる彼方からやって来たデーン人たちであった。最初の襲撃は787年と『アングロ・サクソン年代記』に記されている。最終的にデーン人はイングランドのチェスターからテムズ川に延びる線の北と東の大きな部分を支配するようになった。アルフレッド大王の時代に、この線の南と西の土地だけがアングロ・サクソン人の手中に残った。

デーン人の進入とそれに続く定住は、英語にかなりの影響を与え、多くの単語が英語、それも北部方言に「借用」された。

 1066年のノルマン・コンクェスト(ノルマン征服)と呼ばれる事件が起こる。フランスのノルマンディー公領を治める公爵が、イングランド王の座に就こうとして、ドーバー海峡を渡って攻めてきたのだ。そしてイングランド軍は破れ、ノルマンディーからやってきた人々が権力の座に着く。以後、フランス語がイングランドの貴族階級のことばとなった。他方、書き言葉としてのラテン語がさらに定まった。英語は、社会の下層階級ではまだ話されていたが、古い書き言葉の伝統は失われ、1150年頃からほぼ200年の間、英語で書かれた書物は数から言えばわずかなものだ。

フランス語は約300年の間用いられたが、14世紀半ば以降、次第に英語の復権が見られた。しかし、その新しい勢力としての英語は、フランス語の影響も強く受けていて、多数のフランス語語彙や言い回しを含んでいた。英語を用いて文学作品まで書かれるようになった。つまり、読み書きできる貴族階級にも、英語で楽しむ連中が出てきたということだ。その文人たちの代表が、1400年に没した、英詩の父と呼ばれるジェフリー・チョーサーである。彼の英語にはフランス語の影響を認めることができる。

 1470年代にキャクストンが印刷術をイングランドに導入して、書物が以前よりずっと手に入れやすくなった。ルネサンス、宗教改革と強く結びついた印刷術は、16世紀の大変動に触媒としての機能を果たした。

このころから学者は書物をラテン語ではなく英語で書く傾向が強まった。その結果、多くのラテン語の単語が英語に借用されることになる。

 16世紀末は、シェイクスピア(1564-1616)の活躍した時代であるが、多くの新語、造語がシェイクスピアの作品の中に認めることができる。また、1611年には『欽定訳聖書』が出版される。これは、公の聖書として、ラテン語ではなく地域言語(vernacular)、つまりはその国の言葉で書かれた最初の公用聖書(英語では「権威のある翻訳 (Authorised Version))として広く知られる。英語が聖書の言語として認められたことは、英語のステイタスの確立を意味し、この翻訳の文体は、「美しい文体、美しい英語」として長い間、美文の判断の基準として認識されることとなった。

 近代の英語はチョーサーの時代に迄さかのぼることはできる。けれども、長い間、綴り、単語の用法、英文法などは一定に定まったものとは言えなかった。1660年チャールズ二世の王政復古の後、言語を固定することに関心が高まった。

1712年ジョナサン・スウィフトはこのためにアカデミーの設立を提案したが、これは実現しなかった。1755年のジョンソン博士の辞書は、綴り字を標準化し、語の意味を固定するのに大いに役立った。

幾つかの文法書もだされた。有力なものに1762年のラウスの文法書がある。

また、1760年代から英語の発音の標準を定めることに関心が高まり、その結果は発音辞典の伝統の誕生だった。その最も影響力のあったのは1791年のウォーカーの辞書だった。標準発音が詳細に記述されたのは今世紀になってからであった。ダニエル・ジョーンズの「容認発音」(Received Pronunciation; RP) は、1920年代に、BBCによって放送用の基準として採用され、今日までもひとつの標準発音として広く認められてきた。

今日の英語は、20世紀末から叫ばれ始めた地域差を認める方向性が強いと思われる。いわゆる標準英語だけではなく、階級差による発音の差違や、地域による発音の違いを、以前よりも差別化しないように、という認識がある。これは、19世紀の大英帝国時代以来の規範文法(英語はかくかくしかじかのように喋らなければならない、と声高に主張する文法)ではなく、現在のあるがままの姿を記述する、記述文法へと研究の動勢が変わったこともその背景にあげられよう。また、階級差を越えて、教育を受ける機会均等が進み、人間関係も一つの階級の中だけに閉ざされることがなくなり、多くの移民がその多様性に拍車を駈けた。と、同時に、出版や映画、テレビ、マルチメディア、またインターネットの普及によって、地域言語としての英語に加えて、汎地球規模の言語としての英語の機能も、その需要が増している。今後は地域言語としての英語と、世界規模の共通言語としての英語の拮抗する時代となるであろう。

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