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1992年11月10日

 真実、悟りとは、今このとき、不動の今を時間がよぎる。私はこのように悟った。

 同時に、真理や悟りからはなにものも生まれてはこないと明らか知った。今この世で悩み苦しむ我らには、幸せに生きるすべこそ必要なのだ。

 人が至上の幸福を願うのなら、最も確かなみちは、「与えられた力の限り、身近な者達から、心の及ぶ限りのいきとし生けるものの幸福を願いおこなうこと。」 

 自我を捨て去り、他のために生きることこそ、おのれを至福にいたらしめる。


1992年11月20日

 不動の今を時間がよぎる。

 普遍の真実や真理がこの世にあるのではない。すべては無常、時間とともにうつろいゆく。だが我々は実在を感じているではないか。思うこと感じることは、脳の働き、シナプス間の電気的情報交換に過ぎない。それは無常の枠組のなかのことのはずだが、その枠を超えた意味において、明白に実在がある。

 我々現代人は、脳がその機能を止めれば、そのとき己も消滅すると考えている。人間は、思考の力が強すぎるため、思考の中に己の実在があるかのように思い込んでしまっているのだ。

 思考を離れ去ったとき、実在は明白になる。考え悩むこの者が真の自分ではない。思考を離れた明白な実在こそ真実智・誠の己である。

 思考を離れた真実智の立場に至れば自と他の境が消える。


1992年11月21日

 思考は時間と共に有る。思うこと感じることは、脳の働き、ニューロンどうしの電気的情報交換に過ぎない。それは体の各部分、諸機能の働きと本質的な意味において差などない。あるいは、我が身以上に愛する家族や子供達のそれとの差もありはしない。押し広げれば、他人を含め、人間を超へ、生物無生物までも同じではないか。人間の思考とはその様なもので、無常を構成する一つの現象に過ぎない。その中にある現象としての"自己"は死と共に、脳の機能の停止と共に跡形もなく消え去ってしまう。

 思考により自己の本質とか真理とかを追い求めることをやめてみる、離れてみた時、そこに明白な実在・真実智が現われる。

 それは時間を超えている。時空の観念に関わらない。不動の真実智を時間がよぎる。

 思考に依り生じる実在感や自己概念ではないから、そこに至れば自他の境は初めからありはしない。


1992年11月22日

 真実智を理屈で追い求めるのは意味が無い。理性で捕えるものではない。今このとき、明白な実在というほかはない。

 頭の中、理性で求める真理は空しい。元々そこに真実など無い。あるのは無常の理(ことわり)。


 たとえ真実智が実感できても、そこからは何ものも生まれてはこない。今この世で悩み苦しむわれらには、心からの幸せ・救いが必要なのだ。

 「与えられた力の限り、身近なもの達から、心の及ぶ限りのいきとし生けるものの幸福を願い行うこと。」

 自我を捨てさり、他の為に生きることこそが、おのれを至福にいたらしめる。





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