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一日目(成田 → 北京)
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出発です。
日本からモンゴルへは直通ではなく、まずは北京へ向かいます。飛行機は堂々とジャンボ機B747です。
ちなみに関西空港からならば、週に1便だけながらも日本−モンゴルの直通便があるそうです。
で、北京到着。やっぱり空港前は送迎の車が多く、空気が悪くて日本と違和感が全然ありません。 もう夜なので、特に何もしないで寝ちゃいます。
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二日目(北京 → ウランバートル)
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北京空港で飛行機待ちの時間に、Windowsの「chime.wav」が港内放送の開始音に使われているのに気づいて、「標準的帝国」の進出に驚きました。
(ちょっと違う)
さていよいよ、中華航空の年期を感じるB737でモンゴルへ向かいます。
日本からのフライトとは違って陸地の上を飛ぶし日中だしで、山や砂漠地帯やらが雲の下に見えて眺めはなかなかのもの。
(そのかわり、じっと地上を見ていると少し酔いやすい…)
ウランバートル空港は、とにかくすいてる小さな空港でした。北京や成田と比べちゃいけないんだろうけどね。
専用の誘導路もないので、着陸して、停止した後、Uターンして、滑走路を猛スピードで走行して、待機場へ移動します。
もちろん飛行機が自力で移動するのだから、推力はジェットエンジンです。
離陸しそうな迫力で滑走路を走るだけというのは、さっきまで飛んでいた飛行機に乗っている身としては何とも不思議なものです。
「あんな鉄の固まりが空を飛ぶなんて、ワシャ信じんぞ!」という人はぜひ一度体験してみてください。持論に確信が持てます。(ぉぃぉぃ
そんな一方で「こんなにゴロゴロと走って振動させたら、主翼の疲労寿命に響くのに……」とか、多少は機械科学生っぽい思考も忘れません。
夏時間の関係で日本との時差はなく、北京でいったんずらした時計を元に戻しました。
日が上るのは日本と同じくらいの時刻だけど、日が沈むのが20時ころ、という不思議な世界の入り口です。
(やっぱり、日本人には「夏時間」という制度は分かりにくい…)
ところで、意外と勘違いしてる人もいるけれど(出発前は自分も…)ここは日本より緯度が高いので、夏は日が長いです。
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三日目(ウランバートル)
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さて、モンゴルの首都ウランバートルは、空気が乾燥しているせいか、日なたと日陰の温度差が激しいです。
日陰は日本の秋のようにさらりと涼しいのに、日なたはジリジリと暑い、という始末です。日射病にご用心。
この日はモンゴルの歴史や民族の紹介として、市内の美術館やらをめぐります。
ただそんな中でワタシの興味を一番引いたのは、市内をバスで移動している我々の行く先々に出現する「切手売りのオジサン」です。
哀れな身の上を英語で綴った紙を見せつつ1ドルでも獲得しようとしてる身なのに、
車で移動しているとしか思えないその機動力の正体が気になってしょうがありません。(彼の足は加速装置付きなのだろうか?)
本命はもんちろん、自然史博物館です。なんたって恐竜目当ての旅ですから。
館内は日本の国立博物館と同様に、歴史ある立派な建物・装飾です。その一角が恐竜関係の展示にあてられていました。
ティラノサウルスの近縁でモンゴルを代表する大型肉食恐竜タルボサウルスなど、迫力ある目玉ものも吹き抜けで完備。
ツボは見事におさえています。
他にも、この時点では日本未公開の「草食の角竜プロトケラトプスと肉食のヴェロキラプトルが格闘で(?)絡まったままの化石」なども見ることができました。
(その後、約1年間ほど日本の中里村に来ていました)
怪獣みたいな描き方の「アヤシクてチャチい」復元図があったのが気になるけれど、
「自国から出た」化石で構成された豊富な展示はなんともうらやましいものです。
日本では、恐竜の骨(特に全身骨格)はほとんど出ませんから。
(かつて大陸の海岸で、降雨と造山が活発な立地条件じゃぁねぇ…)
「モンゴルは、全身骨格のように、保存状態がよく、まとまった化石が出ることで有名」との説明にも、納得です。
博物館の次は、バルスボルド博士の研究所へ向かいます。
博士はモンゴル国科学アカデミー地質学研究所の所長で、恐竜学の権威の一人であらせられます(敬語は字数が多いなぁ…)。
このツアーのしかけ人でもあり、目玉でもあります。
研究室の作業場を見せてもらいました。 ろくに許可ももらわないうちから勝手に写真をとりはじめる一団でゴメンなさい。
草食竜プロトケラトプスの子供が巣の中で同じ方向を向いたままの化石、など未公開の貴重な化石も目にして、一同はただただ感激。
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四日目(ウランバートル → チョエル → フルンドッホ)
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いよいよ、発掘現場であるフルンドッホ(「茶色い額」の意)へ移動します。一日かけて。
まずは、「大陸縦断鉄道」といった風情の列車に5時間揺られてチョエルへいきます。
ほかの一般の車両は、買い出し列車のごとくすさまじい混雑だけど、
ワタシたちは列車最後尾に連結された専用のコンパートメント車両でのんびりと列車の旅です。
(こういうところに高価いツアー費が使われてるのだなぁ、と実感)
最初のうちは、山を避けるためにカーブありますが、やがて直線路と地平線ばかりの世界になっていきます。
駅によっては周辺だけは建物があったりもするけど(駅の周りに人がいるのか、人がいるところに駅が出来るのか、は不明)、総じて何もない大地をひた走ります。
ちょうどまさしく「世界の車窓から」のような雰囲気。 いやぁ、本当にこんな風景と世界があるんだなぁ…、と感慨にふけることしばし。
そしてチョエルからは、これまた「ひたはしる」バスで2時間の道のりが待っています。
「砂漠地帯」とはいえ、いわゆるエジプトの砂漠のような砂丘の世界ではなく、草原と不毛地帯の中間状態なので、道はデコボコ。
バス内で座ってるだけでも疲れてしまうほどです。
でも、ゆっくり大きくゆするような動きではないので、車酔いはしませんでした。
途中で一回休憩です。バスから降りると、ひたすら広い視界、雲一つなく、そして空は空色。
でも目印もなく、ただ轍が錯綜しているだけ(すくなくともワタシにはそう見えた)のこんなところで、
なぜバスはちゃんと目的地へ向かえるんでしょう?
フルンドッホのキャンプ地に到着後、そのまま歓迎会を兼ねた夕食となりました。
やがて、東の地平から満月が上ってきて、その赤さときれいさに喜ぶワタシたち日本人。
キャンプ地で迎えてくれたスタッフの人達はいまさら珍しくもないので、当然ながら冷静です。 これでいいのか日本人!
その晩は寝付けなかったので、背中に大地の硬さを感じつつ、外で寝袋で横になってみました。
冷たい空気と、風の音と、星が見えなくなるほどまぶしい月、だけの時間が過ぎていきます。
「新月の晩なら、金星の明るさで影ができる」と教えてもらったけど、この見事な満月では全然ダメ。
しかも満月だから月が沈んだら太陽が出てくるので、暗くなる時間なんて存在しない、疑似「白夜」な一日でした。
でも誰が言い出したか、「夜明け前に月が沈む」って話をみんな信じちゃって、何人かは朝3時くらいに月の様子を見に起きてきました。
「月は出ているか?」
「月はいつもそこにある」
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五日目(フルンドッホ)
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いよいよ、発掘1日目!
記念すべき初作業は、キャンプ地から歩いて数分の近場の発掘ポイントです。
ハケでも削れるほどもろい砂礫の白い層と、炭による黒い層のエリアです。
このあたりは、かつての湖への注ぎ口の土砂による堆積物の層が地表に露出しているので、そこから化石が見つかっています。
この「露出している」というのが大きなポイントです。
日本ではすぐに雨風に浸食され、草木が生い茂り、土になってしまうため、あまり見られない現象なのです。
前の班が見つけた、流れ着いたイグアノドンの上半身骨格などを見学(見物?)します。
やはり、足元の地面に半分埋まってる状態で見せられると、博物館などの展示物を見るのとは感動も一味違います。
やっぱり「石」として大地から出てくるのだなぁ、と
ちなみに、ワタシのこの日の収穫は、まったくなし。(トホホ…)
天候は一日中、雲ひとつない快晴。 こんな不毛地帯なのに、けっこうハエがたくさん飛んでいます。
何でも、卵を飛ばして動物の「目」に卵を産み付ける種類のハエもいるということなので、注意も必要です。
当然、周りを飛び回る羽音も相当にうっとおしく感じます。特に、自分がたてる以外の音はほとんど聞こえないほど回りは静かですから。
それと、水を飲んでもトイレにはそれほど行かなくてすむくらいに汗がでます。………………というより、出ている「はず」です。
でも、猛烈に乾燥しているため、肌はサラサラのままです。便利だけど、日射病には気をつけないといけません。
月の出は、前日に遅れること35分でした。
つまり今晩は、日が沈んでから月が昇るまでの差が35分ということなので、やはり星空は拝めそうにありません。
まだ西の地平線の縁が明るいうちに、マブシイお月様が出てきてしまいました……。
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六日目(フルンドッホ)
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発掘2日目のこの日は、4キロほどのポイントへバスで移動しました。
前日と同じく巨大湖のほとりで、今回は赤茶の鉄の層が中心です。
硬い岩の層内に巻貝や2枚貝などの化石があるため、岩を割って探すスタイルになります。
おかげさまでここでは「貝の化石」はどかどか出ました。
でも恐竜にはお目にかかれずじまいです。
昼、キャンプ地のうしろの岩場の丘から、馬に乗った少年が近づいてきました。
馬は、あまり背が高くなくがっしりとしたモンゴル馬です。
馬を御して走り出す姿や、岩場を走る姿が実にカッコイイ。ワタシら日本人観光客どもから出るのは、ため息ばかり。
朝から雲が多くて風も強かったけど、昼過ぎから風は強くなる一方で寒くなってきました。
昨日までの暑さと比べるから寒く感じるんだろう、などの呑気なことはいってられないくらい、本格的に寒くなりました。
モンゴル北部には雪の予報もでているとか。
午後の発掘は早々に切り上げて、キャンプ地へ引き返しまし。
夜になって猛烈に冷え込んで0℃近いほどの寒さになり、とてもじゃないけど初日のように外でのんびり寝てみるなんてことはできっこなくなります。
この夜、今回の班のメンバーの一人の18才の誕生会が開かれました。
その中で、キャンプ初日の歓迎会に続いてまたしても、日本人サイドの「歌」の弱さを痛感させられました。
いい歌があっても、みんながちゃんと歌詞を覚えている歌がほとんどありません。
ある程度歌えても、2番以降の歌詞があいまいだったりして……。
教科書を見ながらの音楽の授業や、歌詞の出るカラオケに慣れすぎてる現代日本人。
あぁ、我らに人間的な未来はあるのだろうか?
そう、歌はハートだぜ。
モンゴル人のほうにアコースティックギターが上手い人がいて、その人を中心にしていろいろ歌いました。
お約束のごとく日本人側には、すぐに弾ける人はいなかった。
本日のあこがれ:
「馬に乗れるカッコイイ人になりたい」
「ギターを弾けるカッコイイ人になりたい」
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七日目(フルンドッホ → チョエル)
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天候としては、薄い雲がほぼ全天にあるので日差しが弱く、風も弱く、過ごしやすい日でした。
しかも昨晩の強風で吹き飛んでしまったのか、虫も飛び回っていない、という好条件です!
午前中の発掘ポイントへはバスで移動しました。1日目と同じような白い層の場所です。
いろいろ探し回ったあげく、ワタシの収穫は小さなあばら骨一本がやっと見つかっただけでした。
他の人達も小物はいくつか見つけたみたいだけど……。
午後は、キャンプ地に近い別の斜面にチャレンジ!
ワタシたちの班は、これまで「大物」の発見が一つもなかったので、気合が入ります。「これが最後のチャンスだ!」と。
詳しい話は別記にゆずるとして、ともかくここでやっと「大物」を発見しました!
ハルピミムスに類するダチョウ型恐竜の骨格で、保存状態が比較的よいということです。
残念ながら発掘の時間が足りなかったため、全身の骨があるのか、具体的な種類は何か、などはまだ分かりません。
この後の発掘の進行に期待することにして帰り支度をはじめます。
(発掘の結果は10月に中里村で聞くことができました。)
夜、キャンプ地を離れる前にお別れ会です。
キャンプ地入口の旗の下で記念撮影したり、ウォッカ「チンギスカン」で乾杯したり、歌ったり、………。
「祭り」あるいは「ハレ」の終幕。
楽しさと物悲しさのうちにバスに乗って一路チョエルへ向かい、発掘キャンプを後にします。
満月から数日たっているので、いよいよ今日あたりは星がしっかり見えそうです。
チョエルまでの道のりの途中で休憩し、バスから降りて、空を見上げるとそこには、「星座の線をどう結んでいいか分からないほど」の満天の星がありました。
知識では星の集合だと分かっている天の川も、本当にただぼんやりと白い「川」にしか見えません。
「天の川」「milky way」と呼んだ人々も見た星空なのでしょうか。
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八日目(チョエル → ウランバートル)
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バスは真夜中ごろチョエル駅に到着し、そのまま、車庫に置かれているコンパートメントの車両に乗り込んで、ワタシはさっさと就寝です。
年齢の割に面白味のない男ですネ、こりゃ。
早朝5:00、列車に連結されて出発したのを、ベッドに横になったまま感じました。
どうやら、何度か連結に失敗して、再挑戦している様子でしたが…。
昼前にウランバートル着。
やはり砂漠地帯のフルンドッホとは多少は気候が違うらしく、朝夕の寒暖差や、日なたと日陰の寒暖差も小さいみたいです。
でもやはり、空気の乾燥がスゴイことにはかわりはなく、旅程の最初のうちは「肌がベタつかなくていいや」などと楽観視したくせに、
この日あたりから乾燥のしすぎで顔がバキバキのボロボロになってしまいました。
水分だけでなく、油分もとぶらしく、顔に水をつけるくらいじゃ全然治りません。
同じ班のメンバーでも、ちゃんと肌の手入れをしていた(と思われる)女性陣はちゃんと健康的なお肌のままでした。
お肌のお手入れの重要さを初め感じました。
午後は自由時間となったので、自然史博物館へ行ってみました。昨日のダチョウ型恐竜を復習するためです。
世界中でまだ、フルンドッホから出た1体しか見つかってないというハルピミムスは、ここには残念ながらこのときはありませんでした。
日本で恐竜の足跡化石で有名な中里村に行ってるとのこと。
そーいえば、キャンプ地でも何度か中里村の名前を聞いたなぁ、と心のすみにその名がすり込まれていきました。
同じくダチョウ型恐竜のガリミムスなどはあったけど、骨格標本は骨がボロボロで、これなら昨日見つけたやつの方がキレイかもと思えてちょっとウレシイ。
やはり実際の発掘を目の当たりにしたためか、前に来たときよりも化石に対してずっと親近感を感じることができて、感動もひとしおです。
なぜか館内まで追っかけてきてしつこく迫る「切手売りのオジサン」もいたけどネ。
お土産などを買うことには興味はなかったので、その後も一人でとにかくいろいろ散歩しました。テクテクテク。
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九日目(ウランバートル → 北京)
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ウランバートル空港にて、パトカー、ベンツ、軍のジープの編隊というものものしい警護に遭遇しました。
イギリスやECの閣僚クラスの訪問団が来ていたとかで、そのお見送りだそうです。
その閣僚の人達が何しに来たのかは分からないけど、その迫力や規模は見ていておもしろかったです。
市街地から10キロ以上離れている空港に、またしても「切手売りのオジサン」がいたことは、やはり相変わらずの謎。
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十日目(北京 → 成田)
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成田空港はやはり混んでいますね、地上だけでなく空も。
飛行機は成田上空でしばらく待たされましたし。
(ウランバートル空港とは大きな違いです)
ともあれ、無事に帰国できました。
旅程のすべては、チャーターバスやら専用車両やらのおかげで荷物は気にしなくてすみ、旅は快適そのものでした。
結局、一番つらくて汗をかいたのは、駅から自宅までスーツケースを持って歩いた時間でした。