
今ではもう20年にもおよぶ「コステロ史」を眺めてみると、その軌跡は決して直線的なものではなく、明らかに幾つかの屈折点があることに気付くだろう。それは単にパンクやソウル、ロカビリーといった表面上の「スタイル」の問題ではなく、むしろ「音楽との向き合い方」そのものの変化だ。そしてその最初のターニング・ポイントは、このアルバムにあった。いやむしろ、このアルバムの(決して商業的な意味だけではない)「結果」こそが、最初の音楽的姿勢の変化のきっかけをコステロに与えたと言った方が正確だろう。
だが、それがどのような変化だったかを述べる前に、このアルバムそのものについて、少し語っておきたい。アルバムの基調は「夜」だ。オープニングを飾る名曲のタイトルを持ち出すまでもなく、ナイトクラブでタバコをふかしている有閑マダム(笑)のようなほのかな倦怠感が、アルバム全編を覆っている。Fish 'n' chip paper(実は大好き!)のような密告者モノやサングラスをかけたコステロのアップのジャケのせいもあるだろうが、少し「日影」というか「闇」というか、いうなればノワールな雰囲気を感じるのだ。もちろん中には、スクイーズのグレン・ティルブルックとデュエットしたFrom a whisper to a screamのようなお天道様に顔向け出来るような(笑)曲もあるのだが、僕はどうも昔からこの曲には、どうしようもない状況に追い込まれたときのやけっぱちな明るさを歌った曲という感覚を持ってしまう。しかもその投げやりな感じは、歌詞やアレンジからというより、ここでのコステロの声と曲の雰囲気そのものから発していると思う。明るく唄っていても、どこかに影を引きずっているように聴こえないだろうか、このアルバムは。どうにも疲れてる。何かが狂い始めている。1曲1曲の出来は決して悪くないにも関わらず、このアルバム聴き終えると、耳の奧にはいつもそんな感覚が残る。
コステロの最初の4枚のアルバムを改めて聴いてみると、その三年間は本人達にしてみれば「歩み」なんて悠長なものではなかったんじゃないだろうか。その猛烈なスピード感は、尋常の粋を超えて、もはや躁病的だ。そして躁病者によくあるように、そこには自省の念などはかけらも存在しなかった。「僕は世界を攻撃する。そしてその逆は決してあり得ない。」そんな闇雲な確信こそが、初期コステロのダイナミズムを支えていた。だから相手に読まれないように戦闘(音楽)スタイルをコロコロ変え、決して真っ正面から組み合うことなく、いつも相手の死角から不気味に狙っていた。そしてそんなゲリラ的な戦法とその疾走感は、同じように世界を舐め切った僕らにとっては、痛快この上なかった。
だが、そんな戦法が長く続くはずもない。この頃のコステロの生活が滅茶苦茶だったのは有名な話だが、極度のテンションでパフォーマンスを闇雲に突っ走しらせれば、その反動が私生活に及ぶということは想像に難くない。そして私生活がボロボロになれば、必ずパフォーマンスに影響が及ぶ。おそらくコステロは、このアルバムでその悪循環を感覚的に察知したのだろう。すぐさまナッシュビルに飛び、「カントリー・バラード」という一つのスタイルと、またこう言ってよければ「感傷」という今までのコステロにはなかった内面的な感情と、真っ正面から対決することとなる。そしてその次のアルバムImperial Bedroomは、もう軽妙なんて言葉では決して言い表すことの出来ない、地に足のついた「真摯さ」を獲得することになるのだ。