私が初めてカメラというものを使ったのは小学4年生の頃だったと思う。
当時、学研の科学と学習という雑誌(いまでもあるらしいが)の付録にピンホールカメラというものが付いて来たので早速、自宅裏の自動車を撮影し、現像を行った。
写真というにはお粗末な解像度で、新聞の写真のほうがマシという程度ではあったが、自分なりに感動した記憶が残っている。
実用的なカメラとしては、やはり小学4年か5年の頃に懸賞であたったコダックのインスタマチックカメラが最初であった。フイルムはプラスチックのカートリッジに収まっており、カメラの裏ブタを開けてカートリッジを差込み巻上をしてシャッターを切ると写るというもので、今でいう「写るんです」程度の機能のカメラだった。現在は国内で126フイルムは生産されていない。
当時はフイルムの値段もさることながら現像・プリントを写真屋に頼むと2か月分のお小遣いが消えるという恐ろしく金のかかる品物であることだけは記憶していた。
そのため、撮影はもっぱら家族での旅行やお祭など特別な時だけフイルム代や現像代は祖父母に頼っていた。
中学生になり、担任ではなかったある写真好きの先生が写真クラブを作ろうという計画に便乗し、初代部長の栄冠を授かった。
この頃は、祖父が使用していたリコーのコンパクトカメラRICHO-500Gを愛用し、早起きしてはブルートレインゆうづるの撮影に出かけていた。
時には、急行十和田の化粧室に乗り上野で一通りの列車撮影をしてそのまま下り列車で石岡に戻るという何ともハードなスケジュールも楽々とこなしていたのはやはり若さなのか。
写真クラブでは、理科の実験室脇にひっそりとあった暗室内でモノクロ写真の現像・引伸ばしを先生から伝授され、日々黙々と撮影したフイルムの現像と引伸ばしを行っていたためか、最近リバイバルで現像をはじめたが昔とった杵柄で比較的早く勘が戻っていた。
高校生になると物欲も旺盛となり、当時流行のワインダー付きの一眼レフに憧れを持っていた。
しかし、現実は厳しくはじめての一眼レフカメラは当時の最安値カメラフジカST605となった。
スペックは、ペンタックスと共通のM42のスクリューマウント・TTL絞込み平均測光・50mm/F2.2のフジノンレンズつきで値引き後の実売価格は約3万円前後だったような記憶がある。
悲しいかな、フジカにはワインダーが付かない。私がフジカを買った後にサンキュッパの名機リコーXR-500が登場する。だがこれもワインダーは付かない。
結局、ワインダーが付けられる一眼レフを買えたのは高校三年の正月のお年玉まで待つこととなった。
これまで、カメラといえば新品か借り物かという生活をしていたが、一眼レフカメラ、しかもワインダーが付けられるシステム一眼レフともなると交換レンズやアクセサリーなど本体やフイルム以外にも何かと出費がかさむようになってきた。
私が愛用していたアサヒペンタックスMX、50mm/F1.7、ワインダー付きの場合、これまで使っていたM42のレンズはアダプター利用で引き続き使えるというメリットがあったため、本命で憧れのキャノンAE-1を手にするのはつい最近になってからのことになる。
この頃から新宿のヨドバシ・さくらやなどの新品カメラ店以外に中野や品川などの中古カメラ店を徘徊する事がたびたびあった。今でこそリサイクルショップや古本屋など市内にも何件かできたが、当時は車以外の中古品を売っている店そのものがなく、大都会東京へとヤムナク向かうことになった。
私の場合、カメラやレンズはブランドよりも実用本位。低価格で写りがよければ最高。値段が高くてそこそこの写りしかしないものはクズ同然という感覚なので新品・中古にもこだわりは無かった。
しかしこの世界、新品よりも高い中古がいろいろあるのは摩訶不思議であった。私ははじめから相手にしないから関係ないが・・・
社会人になってからはなかなか忙しくて写真やカメラについては旅行のお供として記念撮影をする道具となってしまっていた。
カメラ本などでもそこそこの評価があったフジフィルムのカルディア・トラベルミニOPが専ら旅のお供となっていた。
中古カメラウイルスへの感染はまったく予想だにしていなかった感染経路により発症する。
最近、ホンダのピートというオープンの軽自動車を購入したが、細かいパーツやアクセサリー等はすでにホンダのディラーでも取り扱いが無かったり、限定されたもののみ販売されている状況だったため、ヤフーのオークションで見つけることとした。
そのうち、車のパーツ以外にもいろいろと昔ほしかったものがたくさんオークションに出品されているのを見ているうちにあれもこれもと触手を伸ばす羽目になってしまった。
まずはじめに手を出したのは海外の短波放送を聞くために昔買ってもらったBCLラジオだった。
もともとソニーのICF-5900というその道ではなかなかのラジオを持っていたがブームが去るとともに別のほしい物の軍資金として友人に安く売ってしまったため、私の手元にはその時のラジオが残っていなかった。
人間とは勝手なものでほしいときは飲み食いを忘れるほどほしかった物も一度手に入れてしまうと次のターゲットにした物が欲しくなる。
まあ、これが色々なトラブルの原因にもなることが多いのだが、物欲が旺盛な私としてはやっと手に入れた物を手放してでも次の物へと手を出してしまうのであった。
なつかしのBCLラジオもソニーのICF-5900だけでは物足りず他の機種・そして他のメーカーの機種にまで拡大しついにはラジオばかり10数台もそろえてしまった。
当然、ジャンク扱いや難ありの品を安く買って自分で手直ししながら何とかまともに聴けるようにするのが一粒で二度おいしい買い方であるが、中には正真正銘のジャンク品もあり部品取専用機と化した。
ひととおりラジオが揃ってくると今度は今まで眠っていたカメラへの物欲が次第に増幅され、あっという間に100台近いカメラを競り落とすこととなる。もちろんここでも二度おいしい買い方で一台1円から高くても2000円ぐらいのカメラを競り落としては独学で構造を調べたり、ネットで修理方法などを検索しては参考にして壊れたカメラを修理して試し撮りをするのがライフワークになってしまった。
あるとき某有名カメラメーカーのジャンクカメラを落札したときに電池室の蓋が壊れていてそこが修理できれば完璧に作動することが分かり、メーカーのサービスに電池室の蓋をパーツとして購入したい旨のメールを送ったがすでに在庫はなし、たとえあったとしても一般人にはパーツとして提供することはできないという返事がきた。
まあ普通の人間からすればサービスセンターにカメラを送って部品ナシ・修理不能で返ってきたら新しいカメラを購入するというのが流れであるが、中古カメラのウイルスに犯されると使ってみたいカメラを使わなければ意味が無いというへんちくりんな理屈が最優先してしまうため、部品が無いなら自分で調達すればよいという方向に突き進むのである。
同じ型式のジャンクカメラを探して運送費のほうがはるかに高いという低額で落札し、部品取りとして活用し、その部品さえあればまともに動くというカメラに移植し、復活させる。
今どきは臓器移植などさかんに騒がれているが、カメラならば医師免許や倫理規定の心配も無く移植ができてしまう。あまり例えが良くなかったが簡単な言い方をすればカメラの臓器移植というのがもっとも分かりやすいのではと思ったのであしからず・・・
このようにして、あの天才漫画家手塚治が鉄腕アトムを産み出したのと同じくらいの感動を求めて日々ジャンクカメラの復活に励んでいる今日この頃、まさに中古カメラウイルスに感染した重症患者として暮らす毎日である。
1.アサヒペンタックス
新品で買った二代目の一眼レフがアサヒペンタックスMXだったことからこのメーカーへの思い入れは強いものがある。また全体的に真面目なカメラメーカーという印象がある。
小型軽量という35ミリカメラの本道を地道に歩んでいるといった印象が深い。逆に真面目さが仇となって営業的にはなかなか厳しいものがあるがいつまでも真面目なカメラ作りを続けてもらいたいものである。
お勧めのカメラはMX,Z-1,PC35-AF,ESPIO-Miniなど。中でもPC35-AFオートロンは同社がはじめて作ったコンパクトAFカメラであるが真面目さが滲み出る造りと写真の出来である。ボデーは随所にプラスチックが使われているものの、裏ブタや本体の各所に金属パーツを多用しているところが泣かせます。
ただ、経年変化でプラスチックが脆くなって来ると金属部分との接合部でプラスチック部品が欠けてしまい結果的にボディーのガタが出てしまうという欠点を持っているため要注意。
AFのピントはどのメーカーも当たり外れが多かった時期なので慎重に指針を確認してシャッターを切るしかないが、ピントがドンピシャに決まったときのこのレンズの描写は一眼レフ用のレンズも真っ青なシャープで緻密な描写をする。まさにカメラの命のレンズだけはたとえコンパクトカメラでも妥協はしないという意気込みが感じられる逸品である。
2.アイレスカメラ
アイレスなんてメーカー知らないという方も多いはず。かくいう私もつい一年程前に知ったメーカーなのです。父の友人が古いカメラがあるからと見せてもらったのがアイレス35U型だった。
巻き上げはレバーではなくノブ式、シャッターはレンズの横に付いている変り種。
しかし、侮る事無かれこのメーカーは二眼レフで唯一ニッコールレンズの搭載を許されたメーカーなのである。さすがに35ミリカメラでは自社製の(委託生産ではあるが)コラールレンズみのであるが、大手メーカーにはない個性的な商品もある。その筆頭はあのライカM3のコピーとまで言われたアイレス35VC型が有名である。レンズシャッターでレンズ交換は出来ないがちょっと見はまさにライカそのものでフイルム交換時に底板をはずしてフイルムを装填するところまでそっくりに作るなどライカに憧れていたお父さんにとってはアイレスの社名をライカと書き換えて使いたくなるほどのシナモノだったのではと想像してしまうのは私だけでしょうか・・・
3.オリンパス
何は無くともこの会社はペンでしょう。ハーフサイズの一大ブームを起こしたオリンパスペンはまさに写真を一般人に広めた功績ではどのメーカーよりも大きいのではないでしょうか。
私の一押しは初代オリンパスミュー。片手で取り扱いやすく手に馴染むそのフォルムは見た目は決して使いやすいとは思えないカタチをしているのに、実際に使ってみるとプラスチックのボディーに吸盤が付いているのではと勘違いするぐらい滑りにくく、しっかりとカメラを構えることが出来るのです。
百聞は一見にしかず・・・まだ手に持ったことの無い方は一度、中古カメラ店で手に持ってみることをお勧めします。値段次第ですが、きっと一度使ってみたいと思うこと請け合いです。
4.キャノン
学生時代の憧れだったAE-1を作った偉大なるカメラメーカー。コマーシャルが上手という話もあるが創始者がライカに負けない国産カメラをという理想のもと、万人が使えるやさしいカメラを作るメーカーというイメージが強いです。特にオートボーイシリーズやイオス・キスなどはいい例です。
お勧めはAE-1といいたいところですが、ここは以外や以外オートボーイfの白黒ツートンモデル。ただの短焦点フルオートコンパクトカメラであるがプラボディーではこのカメラの右に出るデザインのカメラはありえないと敢えて言ってしまおう。あの白と黒の引き締まったコントラストのボディーは有名ブランドのダブルネームの商品ではと勘違いしてしまうぐらいインパクトは強い。私も先日やっとのことで手に入れたがこれで色違いと輸出仕様と3台のオートボーイfを持つこととなってしまった。