オルカ抜きで新装開館なった名古屋港水族館
2001.12訪問 2002.7記

2001年11月に拡張オープンなった名古屋港水族館を、同年12月に訪問してみました。

同館は、水族館、動物園のありかたを見直す世界的な流れに逆行し、世界屈指の規模への改装工事を計画、イルカ、ベルーガのほか、名古屋=シャチという発想からオルカ導入を計画していました。しかしノルウェーでの野生オルカ捕獲は各国市民の反対運動により頓挫、他水族館からの譲渡や貸与も実現せず、極東ロシアでのオルカ捕獲計画も失敗、結局オルカ入手が実現できないまま新装開館の日を迎えました(2002年7月から、再度極東ロシアでの捕獲計画を再開した)。
  オルカこそいませんが、国内からの調達が可能な16頭ものバンドウイルカと、ロシアからのルートをふくめ、オルカに比較すると入手が容易であるというベルーガ6頭は、オルカ同様に導入見直しを呼び掛ける市民や海外からの声にもかかわらず、すでに導入されてしまっています。



開館前に外部から視察した海洋生物学者ポール・スポング博士が、まるで要塞のようだと評した威容、エントランスをぬけるとすぐに全面アクリルの壁があり、鯨類用の畜養プールの中を一望できるようになっています。照明は落とされ、館内は水面を透過してきた陽光で青く効果的に照らされています。傍らの説明パネルには「シャチ」。しかし現在はバンドウイルカが収容され、所在なく来館者を眺めて過ごしています。頭上のプラズマディスプレイでは野生オルカの生態ビデオ、このほか、標本類や解説テキスト、視覚素材、関連グッズまで、すべてオルカ主役を前提とした展開になっているのにオルカがいない、という状態です。



巨大なショウプールの地階はカーペット敷でアクリルの壁となっておりきわめて広く、見学者はカーペットにじかに座ったり寝転びながら、ショウの様子を水中から見ることができます。



こうした巨大設備と美麗な演出効果による視覚的なインパクトは相当なものです。この人工環境が、収容された動物が本来生きている環境とはほど遠いものであることや、半民半官で運営される同館が設備を維持するのにいったいどれだけの税金を使うのかを、つかのま忘れさせるほどの効果があります。

現世鯨類の骨格や化石鯨類の標本のコレクションには、目を見張るものがあります。CGまで使った鯨類進化についての展示は(訪問時点で、すでに古くなってしまっていた説を採用していましたが)非常に充実しており、同時に生態系におけるイルカ、クジラという観点や、人間活動が彼等に与える影響に力点が置かれたコンテンツ構成となっています。これらは、私にとってはイルカショウよりもはるかに興味深いものでした。



 また従来、いかなる水族館も、イルカの入手経路を見学者に対し具体的に説明した例はありませんでした。
しかし、ここにはイルカ入手手段と水族館までの輸送方法を紹介する展示もあり、実際に当水族館のイルカの入手手段である、和歌山県太地町で食用を目的として行われているイルカ漁の様子にも触れています。多くの鯨類を蝕む、産業文明由来の化学物質汚染についての展示もあります。こうした展示はエンターテインメント性とは相容れずナーバスな面があるため、従来たいていの施設で忌避されてきました。

  名古屋港水族館側が、あえてこうした展示にふみきったということは、見学者に鯨類や海と人との関係を考えさせる、という点で画期的なことであり、「名古屋港水族館を考える仲間達」のメンバなど、何年も前から地元で活動してきた市民の要望が取り入れられた結果でもあります。



オルカのサイズを考慮したためであろう横幅60mクラスのプール(国内最大級)では、バンドウイルカのショーが行われています。鯨類の機能と進化がテーマと思われ、巨大プラズマディスプレイに水中、水上から捉えたイルカの動きをプレイバックしたり、CGを投影して鯨類の進化まで見せる、という演出になっています(*)。

しかし、博物館としてのコンテンツ構成と、現時点でのその充実ぶりとからは、イルカのショウは特に必然性のあるものには見えませんでした。
 イルカやクジラに特別な関心を持っているわけではない大多数の観客たちがショウの何に反応するのかを観察してみると、それはダイナミズムと大きな水しぶきであるように見えます。これは、たとえばユニバーサルスタジオのアトラクションでの、スタントマンやSFXへの喝采と本質的に同じものでしょう。
ショウを見ているうちに、いっそ、古代鯨類から現世のザトウやシロナガスまで、実物大アニマトロニクス(ロボット)が10mもの水しぶきをあげてプール狭しと躍動するアトラクションの方が、よほど観客も喜び、コンテンツの一貫性もあり、教育的価値や話題性もあるのでは、と思えてきました。
第一、ロボットは死ぬこともありません。



(*)2002年7月後半から、ショウのプログラムから解説や説明的な部分が大幅に削除され、エンターテインメント性を追求したものに変更されたそうです。