1995年11月、南フランスのアンチベーという場所にあるマリンランドから一頭の雄のオルカが日本に運び込まれました。2トンを越える彼の体は、フランスから日本への旅のどこかでワイヤ又はロープで吊されたらしく、なめらかな腹部や背鰭には生々しく、むごたらしい傷が見られます。
彼の名は"Tanouk"。1989年、5才の時にアイスランドの海で捕獲されました。マリンランドでの生活でしなびてしまった彼の背鰭には、もはやナイフのように海を切り裂く勇ましさは無く、ネットで区分された入り江の中を力無く漂っていました。
彼は間もなくショーのスターとしてデビューするはずでした。鳴り物入りの宣伝が行われ、子供たちからの一般公募で「ヤマト」という新しい名前も与えられました。しかし、一向にオルカショーは行われず、オルカ登場を告げる派手な看板もいつのまにか取り外されます。Tanoukは、ショーの演技を拒否していたのです。
ようやく環境にも慣れたのか、Tanoukは1996年後半より「デモンストレーション」として短時間のショーを演じるようになりました。1997年には和歌山県太地で捕獲されたメスである「アスカ」も搬入されました。
しかし、2000年10月、Tanoukは急激に体調を悪化させ、死亡してしまいます。オスのオルカとしても、あまりにも若すぎる最後でした(アスカは存命中)。喉から腹にかけての傷は、生涯消えることはありませんでした。


(写真提供:千葉哲也 Tetsuya Chiba)