週刊墨教組

週刊墨教組 No.1359  2002.3.7

二〇〇二年度区教委予算案
「週五日は学校で、
土・日曜日は家庭や地域で過ごします」を
具体化しようとの努力、眼に付く

墨田区の来年度予算案が決定されました。それによれば、来年度の教育予算案の特徴点は次のようになっています。

学校図書室の冷房化
 学校図書室の全校冷房化がやっと実現しました。来年度予算案の中に、冷房化が行われていない小学校十一校分、中学校六校分の予算が盛り込まれています。二〇〇二年度で設置計画は終了します。国語の力は、図書室利用で大いに育成していきたいものです。
 なお、区教委は、将来的には全校舎冷房化を考えている模様です。

文花中校舎改築
 文花中の校舎改築費約十億円余りが予算化されています。
 この改築は、二〇〇一・二〇〇二の二年度で行われ、来年度が最終年度となります。
 文花中は、九九年度に曳舟中・吾三中の統合新校として開校しました。当初計画では、九九、二〇〇〇年度は、旧曳舟中校舎を使用し、その間に旧吾三中校舎を改築し、二〇〇一年度から使用するとなっていました。ところが区財政難等から、二年遅れになっています。

小学校統合新校の校舎増改築
 二〇〇三年四月に木下川小、更正小、五吾小の三校が統合し、新校(仮称八広小)が発足します。新校の校舎には、更正小の校舎を増改築してあてることになっています。しかし、現在の更正小校舎のままでは統合当初から教室数が不足することが明らかなため、来年度から増築工事を行うものです。

小学校への若手指導員配置
 昨年度と今年度の二年間、小学校十五校に教員免許を持つ若い人(三十歳未満)が「若手指導員」として配置されました。
 区教委としてはその配置が好評であり、効果・成果も大きかったとして、来年度も「緊急地域雇用創出特別補助事業」費を活用して行うことにしています。
 区教委は、基本的に小規模校に配置することを考えているようです。

コンピューター教育の推進
 墨田区内の全小中学校(木下川小を除く)に、コンピュータールームが設置され、二十台〜二十二台のコンピューターが置かれています。しかし、この台数では一人一台ということにならず、指導上支障があることはご承知の通りです。そこで、来年度は、全中学校に一校当たり四十二台のコンピューターを設置し、一人一台ずつ使用できるようにしようというものです。いずれ小学校もそうすることになるものと思われます。

総合学習実施経費
 「新教育課程対応事業」として総合学習等の実施のために予算化されています。その使い方は、地域の人材に協力を依頼する場合の謝礼等とされていることはご承知の通りです。
 また、「楽しい英語授業」と銘打ち、全小学校に英語を教えるための外国人講師を派遣する予算が盛り込まれています。
 総合学習、国際交流という流れから言えばさまざまな国の人と触れ合ったりさまざまな言葉があることを知るほうが大切ではないでしょうか。外国語を英語に特定することに問題点を感じざるを得ません。

土曜、日曜は家庭・地域で!
 地域子どもクラブ、スポーツクラブ支援
 来年度からの学校五日制実施の意義について区教委は次のように述べています。
 「完全学校五日制は、土曜日や日曜日を利用して、家庭や地域で子どもたちが生活体験や自然体験、社会体験、文化・スポーツ活動など様々な体験や活動を増やしていこうというものです。そして、家庭、地域、学校が連携し、子どもたち一人ひとりの『生きる力』を育み、健やかな成長を促すことを目的としています」(区教委発行「いきいき」第 号平成 年 月発行より)
 この立場に立ち、区教委は二〇〇一年度予算に、「地域体験活動の支援」ということで、地域子どもクラブ(地域の育成者による子どもクラブ)、総合型地域スポーツクラブ(自主運営型スポーツクラブ)の設立支援費用を予算化しました。そして、来年度予算案でもこの費用がかなり増額されています。
 多目的運動広場の整備
 また、「多目的運動広場の整備」(荒川河川敷)が新規予算(二千万円)として組まれています。親子で愉しめる運動広場が整備されれば土・日曜日には大いに活用されるでしょう。
 図書館、児童館運営の変更
 図書館の開館時間の延長(立花図書館を除く四館で午後八時まで開館)、通年開館(あずま図書館)、児童館会館時間午後六時まで延長、墨田児童会館とさくら橋コミュニティーセンターの日曜・祝日開館等も、こうした地域・家庭の役割を行政的に支援していこうとの考え方に立っ
ているものと思われます。

 墨田区教委のこうした立場とそれに基づく施策は、学校五日制の意義から考えれば、言わば健全な、真っ当なものであると言うことができます。
 「学力低下」と騒がれて、おたおたして「土曜補習」等と、うろたえるいくつかの(少数の!)自治体教育委員会の姿勢と比べて見る時、そこに一定の「哲学」の存在が感じられます。この姿勢を堅持するよう望みます。

小・中学校野外体験活動への補助
 週刊「墨教組」第一三五八号でお知らせした通り。小学校五年生、中学校一年生に野外体験活動を実施する学校に助成金を出すことが今年度は、全校分予算化されています。
 区独自の施設を建設・運用するのではなく、各校が独自に宿舎を確保して実施する場合に、交通費等を補助するというものです。その教育的な必要性や意義、実施上の問題点の解明などの検討・議論を抜きにした、ずる賢いやり口と言わざるを得ません。

小学校警備業務の民間委託
 学校警備員を学校管理員に

 区教委は、来年度から小学校の学校警備業務を、シルバー人材センターに委託することにしています。
 そして、現在警備員として勤務している職員については、勤務時間を午前七時四五分から午後四時半(内四五分間休憩時間)に変更し、用務主事とともに学校管理員として位置付けるとしています。これについて区教委は、「池田小の事件を踏まえ、日中における学校警備体制を強化するとともに、教育活動における補助業務の等の充実を図る」ためと説明しています。つまり、児童が在校する日中、学校にいる人間を増やそうというものです。同時に、学童擁護員制度の来年度末での廃止に向けて、登下校指導や擁護の役も果たさせようと考えているものと思われます。
 教員の宿直から学校警備員制度へ、そして午後九時十五分までは警備員、それ以降は機械警備でと変更されてきた学校警備制度が、またまた大きく変更されることになるわけです。民間委託による正規職員減らしが絶対的に良いことなのか、大規模災害時の対応の際に問題はないか、学校警備員として生きてきた方々の思いはどうか、さまざまな問題点があります。

中学校入学祝いジャージ支給廃止
 二〇〇一年度、それまで支給されていた小学校入学祝いの鍵盤ハーモニカ支給が廃止されました。それに続き、来年度予算案には、中学校入学祝いのジャージ支給の廃止が盛り込まれています。なお、準要保護家庭には、ジャージ代相当分として一万円を支給するという予算案になっています。

「卒業アルバム」贈呈事業から補助金へ
 また「卒業アルバム」が、従来は区教委からの卒業祝いとされていましたが、来年度予算案では、「卒業アルバム作成補助金」となり、区教委からの祝いという性格ではなくなりました。
 「卒業アルバム」は従来、区からの「祝い」として贈呈されたことになっいていました。ところが、製作費高騰の割に作成費が増額されず、保護者負担分をプラスしてようやく作成できるという状態です。にもかかわらず、区からの祝いとして「卒業アルバム」が卒業式等で紹介、配布されていました。そのことの矛盾、問題点を指摘し、増額を要求してきたわけですが、今回、区教委は増額ではなく、「祝い」贈呈という事業を中止し、「卒業アルバム」作成費の補助金を出すという形にすることを決断したことになります。
 この問題は保護者負担軽減の立場を放棄したことにもつながりかねず、問題が残ります。

給与削減問題で 都、「労使合意破棄提案」
都労連「断じて拒否」を通告

 二月十三日、都側と都労連の小委員会交渉が行われました。この場で、都側は「現在実施中の給与削減措置を三月末で終了し、いったん給与を元に戻した上で、現在の厳しい状況を踏まえ、新たな給与削減措置を平成十四年度中途から実施することを含め、協議したい」との申し入れを行いました。都側は「給与削減措置は異例の措置であり、実施するには労使合意が前提となる。また、都は、都議会の意向を最大限尊重すべき立場にあるが、その場合にも労使合意が前提となるとの考え方に変わりはない」と表明し、したがって、この申し入れは「仕切り直しとしての団体交渉の申し入れ」だとしています。
 これに対し都労連は、これは「事実上、給与削減措置の継続を視野に入れた労使合意破棄の提案であり、労使の信頼関係を否定し、混乱を持ち込もうとする以外の何物でもない」とし、「こうした団交開催の申し入れは断じて拒否する」ことを通告しました。
 都側は、さらに三月五日にも副知事が都労連に交渉を申し入れています。都労連はその申し入れを断固拒否しました。
自民提案強行なら、法的手段含め対抗
 一方、都議会自民、公明両党は、「給与減額措置の二年間継続する条例案」を議員提案しました。これに対し都労連は「これは議会の権能の乱用であり、労使合意の否定、労使関係への介入であり断じて認められない。仮に強行することがあった場合、損害賠償請求等の法的手段も含め、あらゆる対応をとる」との態度を表明しています。


週刊墨教組 No.1348   2001.12.18

女性部教研集会への参加を

日時 2002年1月9日(水)2時より
場所 すみだ女性センター
内容  ジェンダー・フリー教育アンケートの結果報告
    「ジェンダー・フリーの絵本を読む」(田中幸子さん)
  講演 「大切にしよう、自分の体」
     ─リプロダクティブ・ヘルス・ライツを考えるー
 講師  三輪 和恵さん(女性の安全と健康のための支援センター)

 新年初め、恒例の女性部教研です。今回は、私たち自身が更年期を含めてもっと自分の体の状態を正しく理解し、自分の健康は自分で自己管理しながら、豊かな日々を過ごすために大切な事を学び合いたいと思います。
 長年、女性の安全と健康について、研究され、支援センターの活動を続けていらっしゃる三輪さんを講師としてお招きしました。総会のときに「リプロダクティブ・ヘルス・ライツとは?」という声も聞かれましたが、その疑問にも答えていただけると思います。女性部主催の教研ですが、もちろん両性の自立と共生を願っての教研ですので、男性の参加も歓迎いたします。
 時間厳守で始めたいと思います。ご協力ください。

教研分科会報告
 ジェンダー・フリー教育分科会
  ─「ジェンダー・フリーの絵本を読む」(田中幸子さん)─

 十一月十六日(金)墨田教組会議室で秋の教育研究集会分科会「ジェンダー・フリー教育」が行われました。
 柳島小学校分会の田中幸子さんから「ジェンダー・フリーの絵本を読む」という実践報告をうかがいました。

 四月当初から現在にいたるまでの絵本を通してのさまざまなとりくみが紹介されました。

 五、六月には男女の体の差を興味本位でなく、きちんと受け止めてほしいとの思いから、北沢京子著『男の子』『女の子』や『男女平等教育の本』の一部をプリントし、子どもたちと一緒に読み、授業が行われました。
 二学期に入り、すみだ女性センターに勤務している保護者から「ジェンダーの視点で読む読書感想コンクール」のチラシをいただき、その課題図書の中の『生きるってすてき』という絵本を読み聞かせし、簡単な感想文を書かせました。いろいろな家族の形があることをこの本によって知り、自分の家の家族構成や家事分担について書いたものも多く、生命は大切という方向に感想を持つ子もいたりと、新鮮に受け止めた子が多かったそうです。
 道徳公開授業では、子ども自身の気づきを大切にすると同時に、親への啓蒙の意味もあり、セルフ・エスティーム = 自己肯定感を育てる手だてとして、安藤由紀著『わたしがすき』を取り上げ、読み聞かせとワークシートでの授業が行われました。
 今後のとりくみとしては、子ども自身の意識がどこまで変わってきたかを確認しながら、ジェンダー・フリーの教材やプログラムを蓄積し、いろいろな場面で紹介し、ジェンダー・フリーの意識をさらに高めていきたいというお話でした。
 ジェンダー・フリーに関する多数の絵本や他県の組合から出されている資料も多数紹介されました。
 図書購入の際の参考にできるように、一月九日の女性教研の時に改めて紹介してくださるそうです。
      文責 一寺小

墨田教組教研特別分科会
「韓国人から見た教科書問題」
  李志勲(イ・ジフン)さん 「朝鮮日報」経済部記者
 日時 1月21日(月)午後4時〜
 場所 組合会議室
 講演をうかがい、交流を深める予定です。他区の方も含めて、多くの方の参加を期待します。

反戦の志を新たに
 「靖国神社」から、「中村哲医師講演会」へ
(緑小分会)

 十一月十七日、土曜日の午後、私たちは、靖国神社に向かった。十一月の暖かい日を小春日和というのだそうだが、まさにその名のような、暖かい午後だった。
 私は、幼い頃、従兄を戦争で亡くした母に連れられて一度だけ靖国神社に行ったことがある。そのとき、母が参道の出店の詐欺まがいの売り方に騙されそうになったことが忘れられず、靖国神社というと母の困惑した顔が思い出されてしまう嫌な場所だった。今回は、覚悟はして行ったものの前にもましての嫌悪感を感じざるをえなかった。

平和のシンボル鳩と武器共存の矛盾
 地下鉄「九段下」を降りると親切な大型案内板に出会う。武道館と靖国神社への案内である。東京という、世界の大都市の中心部に最も国際的でない建物二つが存在する不思議。駅の階段を上がるとすぐ巨大な鳥居が待っている。広大な敷地の中に、ふんだんな自然の恵みを配して、歴史を逆転させるかのような、日本の平和憲法をあざ笑うかのような靖国神社が悠然と屹立する。
 庭に群れる鳩は全て白。白い鳩は、平和のシンボルなので、「白鳩会」という会が作られ鳩の保存に当たっているそうだが、境内に展示されている大砲などの武器との共存の矛盾をどう考えるのか。

祭神は、二百四十六万六千柱
 「靖国」という名前は明治天皇の命名によるという。「国を安らかでおだやかな平安にして、いつまでも平和な国につくりあげよう」という意味だそうだ。
 靖国神社に祀られている人数は、幕末の犠牲者を祀った「東京招魂社」以来、二百四十六万六千人になるという。
 「靖国神社に祀られている神様方(御祭神)は、すべて天皇陛下の大御心のように永遠の平和を心から願いながら、日本を守るためにその尊い生命を国にささげられたのです」とあるように(いずれも「靖国神社のホームページ」より引用)、その人々は、すべて「神」とよばれ、「一柱、二柱」と数えられるという。その中には、対馬丸の犠牲者や、沖縄戦の犠牲者、中には、八月十五日の敗戦を知らず、八月二十日になっても電話交換手として働かされ戦死しているサハリン・真岡の女子交換手もいる。もちろん敗戦を知らされなかったことなど、一言も書かれていない。そして、戦争犯罪人として裁かれたA級戦犯に対しては、「形ばかりの裁判によって一方的に『戦争犯罪人』というぬれぎぬをきせられ、無残にも生命をたたれた昭和殉難者」とよんでいる。

死んで神様に
 「遊就館」という日本唯一の戦争博物館がある。来年の新館開館まで仮展示場で「かく戦えり・近代日本」という展示をしていたので、入ってみた。遺書を展示された兵隊の写真の下に名前が記されているが、そこに「命」と付記されている。はじめは何のことかと思ったが、「○○のみこと」と読むことに気がついた。みな死んで神様になったのだった。出口には、「幻の南京事件・・・日本軍入場以来南京の人口は増えている」という本の紹介もあった。そして、出口の記帳ノートの前で涙ぐんでいる女性。

三つの大切なこと開示せず
 過去の事実は、その一部を、しかもある方向に誘導する形で開示したときには、その意味は全く反対に解釈されてしまう。靖国神社というところは、戦争について、三つの大切なことを開示していないと思った。
望まぬ人まで神に
 その一つは、ここに入れられている人たちの中には、遺族が神として祭られることを望んでいないにもかかわらず国家にその意思をふみにじられている人々がいるということ。
殺された側の痛み思わぬ平和とは
 二つ目は、国の平和のために・・・ということのまやかしである。ここにいる人たちによって殺された人たちのことである。アジアの戦争犠牲者は、二千万人とも言われている。侵略され、殺戮された側の痛みに想像力をもたない平和云々は、醜悪なる欺瞞である。
本当に死者を悼むとは
 三つ目は、神様と祀られようが、死者は、帰らない、遺族の悲しみも癒されない。本当に死者を悼むとは、戦争の責任を追及し、二度と再び犠牲者を出さないようにすることである。天皇の戦争責任、A級戦犯の責任追及を日本人の手によって行うべきだったのだ。
 今、再び、「戦争のできる国づくり」が始まり、教科書・教師への攻撃が強くなってきた。首相の公式参拝でまた蘇った靖国神社がこうした動きの中で占める存在の大きさを思うとき、気分が悪くなる思いに耐えながらこの目で確かめたことの意義を考える。

「自衛隊派遣は有害無益」(中村哲医師)
 その夜、社会文化会館では、「中村 哲医師」の講演会が行われた。壇上の三分の二まで人を坐らせての満員の中での開会である。期待に違わぬ講演会で、スライドを見ながら聞くアフガニスタンの自然や人々のくらし、そしてそこで十八年間も医療活動を続けている中村さんの話には、靖国神社で感じた気持ち悪さが一掃されるような感動があった。
 国会証言で、「自衛隊の派遣は、有害無益」と言い切り、自民党議員の記録削除要求に対しても毅然と撥ね除けた、人間としての誇りに満ちた、しかし決して傲慢ではない一人の人間の生き方に共感する多くの人の存在は、厳しく暗く恐ろしい予感のするこれからの日本を想像するときのわずかな救いでもある。

自衛隊三十六トン、ペシャワール会千トン
 中村さんの所属する「ペシャワール会」に寄せられたアフガニスタン救援のための「命の基金」には、呼びかけからわずか一ヵ月で、三億円集まったという。自衛隊機が一機でものものしく運ぶ救援物資六トンの六機分に対して、十八年間の信頼が効を奏し「ペシャワール会」では、千トンの物資を確実に届けられるという。

アフガンの人々に救援の手を
 多くの人が今、アフガニスタンへの戦争に疑問を持ち、怒りすら感じ、なにかしなければと思っている。靖国神社の「祭神」を増やしてはならない。本当の平和は、他者の犠牲の上に成り立つものではない。
 戦争を止めよう。自衛隊の派遣を止めさせよう。
 そして、アフガニスタンの人々に救援の手をとどけよう。


週刊墨教組 No.1347   2001.12.11

墨田区当局の「国旗」掲揚強制に対する抗議
天皇の孫の誕生を契機に、マス・メディアによる、画一的に統制された過剰報道が氾濫しています。
 そして、墨田区当局は、十二月六日付けで、「皇孫の誕生に慶賀の意を表する」として、区関係施設で七日に「国旗」を掲揚することを決定、全所属長に対し「特段の配慮をお願いする」との文書を出しました。さらに、この機に乗じて、五日付けで「祝日における国旗の掲揚等について」という文書すら出していました。
 この突出した理不尽な決定は、天皇および天皇一家の政治的利用に他なりません。
 天皇の孫という個人を、あらゆるものに優先させようとすることは、主権在民の日本国憲法の理念から、はるかに逸脱しています。
 こうした決定は、きわめて異様で危険です。
 さて、元首として統治権をもった戦前の天皇制への反省から、象徴天皇制のもとでは、天皇は国政について権能を有していません。また、天皇は、「人間宣言」で自らの神格を否定しました。
 さらに皇室祭祀は、政教分離によって国家的、公的性格を失い、私的行為となりました。
 「命名の儀」は、無論、皇室の私的行為に過ぎません。「新宮」の名前は、天皇という祭主が贈る形式をふんでおり、宗教的色彩さえおびているものです。
 「命名の儀」当日を特定し、「国旗」を掲揚し、慶賀の意を強制することは、憲法のいう信教の自由、政教分離の原則に抵触することは明らかです。
 もとより、生命の誕生を祝うことは、人間の自然の感情です。
 しかし、それは、あくまでも個人の意志に任せられるべきであり、行政機関から、この行為を強制すべきものでは決してありません。ましてや、子どもたちの生活する学校現場に強行することは、子どもの人権をまったく無視しています。
 さらに、特定の日に特定個人の誕生を祝うために学校に「国旗」を掲揚することは、それ自体が教育的行為であり、教育的意味を確実に持ちます。
 少なくとも天皇およびその孫を特別視させる効果を明確に持ちます。それは家族に貴賎の別があるのかと意識させます。そう認識することを自ずと強制します。それは、明確に差別につながるではありませんか。差別を助長する教育となります。
 私たちは、墨田区当局の今回の決定に強く抗議するとともに、墨田区当局が主権在民、政教分離の立場にしっかりとたつよう猛省をうながすものです。
二〇〇一年十二月十一日
墨田区教職員組合 委員長 小山 拓二
墨田区長 山崎 昇様

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五月二十四日、都教委は今年度の成績特昇実施案を提示しました。
 その特徴的な内容は、次の三点です。
 @実施区分は、 短、6短、3短の三区分とする(昨年度と同じ)

措置者定数  短 5%、 6短  %、 3短  %
推薦者数   短 7%、 6短  %、 3短  %
 A業績評価の評定を基礎とした推薦書等により決定
 B運用基準は、次の一点のみ
  採用二年目(平成十二年度採用)の者は、成績特昇の推薦から除外
(ただし、他の道府県教員経験ある場合は、3短、6短の推薦対象とすることができる)

連続抜擢特昇も有り得る!
 内容Bの問題点は、一昨年まであり、昨年度から無くした運用基準「前年度特昇者は、推薦から除外」「前々年度に 短を受けた者は、原則として今年度の 短の対象としない」を、私たちの強い要求にもかかわらず復活させてないことです。この二つの運用基準を無くしたということは、連続抜擢特昇を可能にしたということです。「成績優秀者」には、何年も連続して措置(与える)することもあるということです。
 このことと、Aとはつながっています。

業績評定により決定ー成績主義の徹底
 Aに最大の問題点があります。つまり、人事考課制度による「業績評価の評定」によって特昇者を決定するということです。
 形としては、従来通り校長に推薦させ、その中から都教委が決定するとしています。しかし、校長が推薦するに当たっては、「業績評価の評定を基礎とすること」と枠をはめているのは、業績評定による実施を前提としていることを示しています。
 重ねて「推薦書等により決定」とし、「推薦書」だけで判断するのではないということを明らかにしています。「等」の中に、区教委による五段階相対評価による「業績評定」を含ませていることは間違いありません。

人事考課制度のねらいを露骨に表現
 人事考課制度の本質的ねらいは、その評定により処遇(給与・任用)を決定する成績主義管理にあります。それを、まず今年度の特昇から実施するというわけです。
 成績上位者に特昇を与える、場合によっては毎年でも与えるというわけです。人事考課制度のねらいを露骨に表現したというべきでしょう。

成績主義管理の徹底に反抗し続ける
 私たちは、成績主義に基づく勤評抜擢特昇にあくまでも反対します。 成績主義管理の徹底は、〈なかま〉〈ゆとり〉〈決定権〉を確実に奪います。これらの喪失は、人間的感情、関係、いとなみ、感覚の頽廃、つまり人間の内面の頽廃を導き出さざるを得ません。私たちは、これに徹底的に反抗する立場から、成績主義に反対してきました。
 今年度の特昇は、成績主義管理徹底の一環です。あくまでも反対し、具体的なとりくみを進めます。 

教諭・養護教諭は一つの枠で
 なお、各校校長は、教育職員枠(教諭と養護教諭)、事務・栄養職員枠、教頭枠とそれぞれの枠毎に推薦することになります。 
 養護教諭を別枠にするかもしれないとの見方もありましたが、今回の提示案では、教諭枠の中で行うとしています。


週刊墨教組 No.1323 2001.5.24

公正な歴史認識を培う歴史教育と
平和教育をこそ次世代へ
六月六日 平和教育研究集会

『従軍慰安婦のはなし』
 『自由主義史観派』の策動によって、教育現場の行方が按じられてなりません。座視するわけには行かないのです。抗う気概だけは持ちつづけたいと強く思います。
 今年度の平和教育研究集会の講演は、西野瑠美子さんにお願いしました。
 ルポライターとしての西野さんの名を、記憶にとどめたのは、九三年に発行された「十代のあなたへのメッセージ」という副題のある『従軍慰安婦のはなし』を読んだおりでした。
 深い悲しみをたたえた従軍慰安婦の肉声に、とまどい、言いよどみつつも、西野さんは、しんとした静かな文体で、まっすぐに、彼女たちの記憶を伝えようとしていました。
 あるクラスの学級文庫におかれたこの本は、子どもたちによく読まれ、いまは二冊目の本がおかれています。
     
「女性国際戦犯法廷」
 昨年十二日まで、「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」が行われました。ベトナム戦争時の「ラッセル法廷」の精神を継承したこの法廷は、いかなる国家権力からも独立した「人々の法廷」といえるものです。
 マクドナルド裁判長は、旧日本軍の「慰安所」制度と軍事性暴力が国際法違反の「人道にたいする罪」にあたるとしました。さらに最高司令官であった昭和天皇の「有罪」と日本の国家責任を明確に認定したのでした。
 マクドナルド裁判長は、「国家が『人道に対する罪』を犯し、その責任をとらないときは、国境を越えた『人々』の連帯でこれを正すことが必要だ」とも述べています。
 なんと、まっとうな批判精神であることでしょう。
 世界のメディアが、この法廷をくわしく報道したのに比べて、日本のメディアはほとんど沈黙したままでした。
 あまつさえ、この法廷を扱ったNHK「問われる戦時性暴力」は、直前になって、大幅で極端な改変が強行されたのでした。

歴史教育、平和教育の意義
 批判精神の決壊ともいえる情況のただなかにあって、西野さんは、『教科書攻撃のウソを斬る』(子どもと教科書全国ネット21=編)の「はじめに」で、つぎのように現状を鋭く批判しています。

 なぜ、日本は「戦後」を超えることができないのか。アジアや世界から突き付けられる戦後補償の問題は、日本が歴史認識の問題にいかに向き合ってきたか、いかなる歴史認識を共有し、後世になにをどう伝えようとしてきたかという記憶と記録の継承と密接な関係にあります。戦後を超え、新しい信頼関係の時代に入っていくために、日本の未来をになう次世代にとって公正な歴史認識を培う歴史教育、平和教育は重要な問題です。

 歴史の事実に「自国の誇り」という「自民族中心主義」のフィルターをかけ、事実を歪曲し、責任の所在をあいまいにしようとする、ここ数年に及ぶ「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)・「日本会議」を中心とする歴史改ざん勢力の再来は、戦争犯罪を逃れるために組織的に文書資料を焼却して証拠隠滅を図り、極東軍事裁判で天皇を不起訴にして、責任の所在をあいまいにする政治決着をおこなった戦後の日本の姿を想起させます。

 一九九六年に中学の教科書に「慰安婦」が記述されたことをきっかけに再び台頭してきた歴史修正主義は、「慰安婦」や南京事件などの事実を否定することによって、侵略戦争ではなく解放戦争であったという過去の戦争美化に記憶を再形成しようとするものです。「国民国家」に求心力をもたせるため「自国の誇り」をかざし、歴史の事実を見つめる目を曇らせる動きは、とりわけ若い世代を標的にしてきました。

 歴史を学ぶとは、ありのままの現実と、その現実が人々になにをもたらしたかを知ることから始まるのではないでしょうか。信頼と安定の時代を二十一世紀に築くためにも、過去との向き合いを切り捨て「自民族中心」の歴史認識を宣伝する動きを断じて許すことはできません。

中国引き揚げの子どもたちをサマーキャンプへ!

 私たちは、毎年夏休みを利用して中国引揚げの子どもたちとサマーキャンプを行っています。
 日中国交回復二十五年以上を経た今も、中国残留日本人孤児・残留婦人の問題は、終わっていません。未だに帰国できず待っている孤児。孤児が帰国を果たしたとき残された家族。最近呼び寄せられた家族。この問題は日本政府の「棄民」政策の結果であり、戦後処理問題の一つですから、制度面でのとりくみは行政の責務でありましょう。が、その制度面での不十分さの問題だけでなく、「残留孤児」につれだってくる家族・子どもたちにのしかかる厚い壁があります。
 日本語・学習の遅れ・いじめ・差別など、子どもたちはその小さな胸には抱えきれぬほどの多くの痛みに傷ついています。深い望郷の思いの中でいやされぬ胸の内は、察するに余りあるものがあります。
 そんな深いところで傷つく子どもたちに、つかの間とはいえ、楽しいひとときをと願い行われているのが、このキャンプです。
 サマーキャンプで、自分の中の中国をとりもどし励まされるひとときを過ごしています。
 動物漫画家・山内ジョージさんの協力によって作製したTシャツの純益が、このキャンプの費用になります。山内ジョージさんは、ご自身も中国引揚者で、残留孤児にならなかったのは、運が良かっただけだと、毎年協力してくださっています。
 Tシャツ販売に、毎年ご協力いただいておりますが、今年のTシャツ「あらいぐま」も、ご協力をよろしくお願いします。

連絡先

墨田教組(3622−3141)

  引き揚げの子どもたち
   サマーキャンプ実行委員会墨田担当

 


週刊墨教組 No.1322 2001.5.10


二〇〇一年度運動方針、予算を決定
   墨田教組 第五十六回定期総会


 第五十六回定期総会は、四月二十五日、すみだ女性センターで開催されました。 
 総会は、二時三五分に定足数に達して成立、副委員長の開会宣言、「緑の山河」斉唱後、議長を選出して進められました。  
 役員紹介の後、執行部を代表して委員長が挨拶。委員長は
「墨田教組は五〇数年にわたる歴史を持ち、墨田の教育、地域に厳然たる地位を占め続けている。その理由は、自立的・原則的に闘う姿勢を堅持し続けてきたことと、『一人の子も切りすてない教育』のスローガンのもと続けられてきた教育闘争の継続という二つの路線を守り続け、その具体化をめざして活動してきたことにある。
 執行委員会は、この路線を堅持しつつ、それを具体化するためにも次の五点に注意を払いつつ、役割を果たそうと努力してきた。
@教職員組合としての機能と責任を果たす
A他の教職員組織との共同闘争の追求
B組合のイニシアチブのもと全教職員に呼びかけ職場ぐるみのとりくみ
C分会・組合員と執行部の距離を近く、打てば響く関係の構築
D信義を重んじ、嘘を言わず、すべての情報・経過は公表する
この五点を、これからも大事しつつ今年度の運動を誠実に進めていきたいと思い定めている。ともにがんばろう」
と、呼びかけました。 
 議事に入り、書記長が二〇〇一年度運動方針案を提案。書記長は、「墨田教組の基本姿勢は、例え一歩後退しても、闘いの火種は残し、常に反撃して行く姿勢を堅持することだ。管理運営規則や事案決定規程にせよ、人事考課制度にせよ、勤務時間改悪攻撃にせよ、そうした姿勢で交渉、闘いを進めてきている。その意味でも、今年の教科書採択のとりくみは重大な意味を持つ。学校としての意見を明確に出すことが大事だ。また、来年度からの教育課程については『児童・生徒、教職員にゆとりを』が焦点であり、その視点に立って教育課程を検討しよう」と訴え、方針案を提案しました。 


 続いて、討論。討論内容は以下の通り。
 若い加入者を得、若さと元気を与えられた。さまざまな人に組合の存在意義、つくりあげてきたものを伝え、働きかけ、また不当な攻撃に即応態勢持つ分会・組合でありつづけたい。
 他区から来ると墨田の良さがよくわかる。学区域の自由化は、地域に根ざした教育を破壊するものであり、反対。
 おれが組合だと言っていく、一人ひとりが自分の思っていることを言える、その集合体が組合。キーワードは自立。
 自由主義史観派の動き、つくられた教科書の内容、納得できない。きちんとしたとりくみをしていこう。
 改築校舎への移動、整理で忙しい、しかも校舎はオープンスペース。勤務時間なぞあって無きがごとし。疲れる。
 二年後廃校・統合という方向になってきている中で。木下川の子どもたち、分散化され、差別事件の多発が心配。すべての学校で同和教育を。同和教育こそ教育の原点。
 中国引き揚げ、諸外国から来る子どものための日本語教室がある。そのことを多くの人に知ってほしい。そういう子どもたちに十分な日本語教育ができるよう通級も可能となる日本語学級を実現させたい。  
 いずれも自分や職場の闘い・とりくみを紹介し、方針案を補強する立場から意見を述べ、決意を表明、ともにとりくみ、闘うことを呼びかけるものでした。


四時、討論打ち切り、運動方針案の採決。議長は圧倒的多数が挙手していることを確認、可決・決定されました。   
 その後、決算・監査報告が行われ、拍手で承認。続いて予算案について審議、挙手採決で可決決定されました。
 つづいて、今年度の東京教組大会の代議員選挙を行い、五人が選出されました。
 次に、当面の重大な課題である「教科書採択についてのとりくみ」について副委員長が提案しました。
 最後に執行委員が「総会宣言」を提案、拍手で採択し、議長解任。解任に当たっての挨拶の中で川畑議長は、「私たちは皆、墨田教組に愛着を持っている。その理由のひとつは組合が組合として活動していることにある。これからも、そうした組合としてあり続けたい。若い人が組合に入ってくれ、ふえていくことが嬉しい。いろんなことをきちんと伝えられるし、伝えられていくだろう。そのことを信じこれからもがんばっていきたい」と締めくくられました。 
 続いて、「日教組組合歌」斉唱、「がんばろう」三唱、副委員長による閉会宣言で会を閉じました。

「二十一世紀を切りひらくすみだの子ども」像とは何か


教科指導にふさわしいかどうか
 「教科用図書選定審議会事務局」は、四月二六日、「学校における平成十四年度使用教科用図書見本本の調査研究に関する補足説明」という「事務連絡」を、文書で行いました。
 この補足説明の「1.各学校における教科用図書の調査・研究」には、新たに「@四月十六日付事務連絡に添付した調査項目等を参考に、教科書の見本本の内容等を教科指導にふさわしいかどうか調査をお願いします。」という項目がつけくわえられています。
 「教科指導にふさわしいかどうか」という言葉は、もちろん、「教科書採択の方針について」(平成十三年三月二二日墨田区教育委員会決定)からとられています。
 ごくあたりまえのようにみえますが、この項目は、意義深く重要です。 
 学校で教科指導を行うのは、教員です。豊富な経験をもとにして、墨田の子ども・生活・地域の実態をふまえて、教科指導にあたることになります。
 したがって、現場の教員による真摯な教科書調査・研究の意見は、審議会が判断を形成する上での重要な要素・要因となって、反映されることになるのです。
 そのことを、明確にした項目であるのです。

『すみだ教育指針』
 さらに、新たに「A教科用図書選択事務取扱要綱の二条にあるように『すみだ教育指針』に述べられた『二十一世紀を切りひらくすみだの子ども』像も調査の観点に入れてください」という項目もつけくわえられました。
 『すみだ教育指針』(平成十二年八月三十一日墨田区教育委員会)は、「はじめに」と三つの章から成る提言ですが、「二十一世紀を切りひらくすみだの子ども」は、U章の「伝統あるすみだの街、受け継ぐ子どもたち」の第二項にあります。
 その章の第一項は、「すみだ―新たな伝統の創造―(二十一世紀のすみだの街)」であり、そのなかには、「『すみだの特性を生かした教育』は、二十一世紀への墨田区の教育の提言の中心をなしていることから、二十一世紀のすみだの街の在るべき姿として、『共生・創造・継承』の視点が必要と考える」という箇所があります。
 そして、『共生』は、つぎのように定義されています。

「大人と子ども、高齢者と若者、外国人や障害のある人が、地域社会のかけがえのない構成員として共に暮らす街である。」

「二十一世紀を切りひらくすみだの子ども」像
 このような珠玉の定義を受けて、第二項「二十一世紀を切りひらくすみだの子ども」は展開されます。
 前述の定義と対応して、願いをこめた、つぎのような文言があります。

「Bさらに、チャレンジ精神や真の『知恵』をもつ、多様な見方・考え方ができる、人やモノとかかわることの大切さを実感できる子どもに成長してほしい。」

 そうして、「二十一世紀を切りひらく『すみだの子ども像』を考える際に、以下の五つをキーワードとしていく」として、「かかわり」「しなやかさ」「ゆとり」「じぶんらしさ」「つくりだす」が示されています。
 例えば、「しなやかさ」は、つぎのように定義されています。

「自分と異なる様々な人の見方・考え方も受け入れ柔軟に発想し、粘り強く努力できる子ども」

 引用した文言は、いずれも、多様な多元的価値を認め合う、共生する社会・世界をめざして、英知に満ちています。
 そのような内容がもりこまれた教科書が、「『二十一世紀を切りひらくすみだの子ども』を育成するのにふさわしい」すぐれた教科書ということになります。

 
教え子を再び戦場に送るな
第17回墨田教組平和教育研究集会

日時  2001年6月6日(水)
場所  すみだ女性センターホール
講師  西野瑠美子さん(子どもと教科書全国ネット21代表委員)
内容  歴史修正主義と「つくる会」の実態と本質
 「女性国際戦犯法廷」が裁いたもの

週刊墨教組 No.1319 2001.4.19

まだ組合に加入されていない皆さんへ
  私たちの組合ー墨田教組はこんな組合    

 二〇〇一年度が始まりました。今まで墨田で活躍されていた多くの方々が他地区へ転勤されました。心から「お元気で」と申し上げます。そして、いつの日かまた墨田で共に活動できることを期待します。また、退職された方には、「お疲れさまでした。どうかお元気で」と申し上げます。
 一方、多くの方が、他地区からおみえになりました。ようこそいらっしゃいました。心から歓迎します。 
 他地区からお見えになった方々、墨田に以前からいらっしゃるがまだ組合に参加されていない方々に墨田教組を紹介します。

組合の第一の仕事は、労働条件確保
 墨田には事実として二つの教職員組合が存在しています。ひとつは私たちの組合、墨田区教職員組合(墨田教組)であり、もう一つは私たちの組合から分かれて作られた都教組墨田支部です。この二つの組合が存在することになった経過は、ご承知の通りです。
 労働組合の第一の任務は、労働者が団結してその経済的・社会的地位の向上、労働条件・福利の向上をめざすことにあります。その目標に向けて使用者(私たちの場合は、区教委、都教委、そして文部省、政府)と交渉したり、さまざまな運動を展開して要求の実現をめざし、またさまざまな問題提起も行っていきます。その際、多くの労働者が労働組合に参加していることが必要です。事実として、「数は力」という原則がここでも生きているからです。教職員組合が分かれていることは、この点からも残念なことであり、不幸なことでもあります。私たちは、いつの日か、この二つの組合が再びひとつになることを願っています。その願いを持ちつつ、墨田においては、両組合が必要に応じて協力して運動を進めてきています。

組合が消滅してしまって良いか
 教職員組合が二つに分かれていることの問題性とともに、組合に加入されていない方が増えていることの問題もあります。墨田においても同じです。
 私たちは、組合に加入されるよう心から呼びかけます。組合にまだ加入されていない方でも、組合の存在意義、組合の存在や組合の運動の必要性や重要性、大切さを否定される方は一人もいらっしゃらないと思います。しかし、今、組合の存在そのものが危機に瀕しています。組合を数十年にわたって支えてこられた方々が次々と退職され、組合員数が減り続けています。このままでは、遠からず組合は消滅します。それで良いでしょうか。
 私たちは多くの方に組合に加入していただきたい、組合を大きくしたい、そして、いろいろな意見を出してほしいと願っています。私たちの組合は、そうした組合員の意見によって組合の進み方、運動の進め方を決める、そうした生き方をしている組合です。
 皆さん、私たちの組合に加入され、一緒に組合をつくり、さまざまな問題について考え、話し合い、具体的な行動・運動を進めていきませんか。

私たちの組合はこんな組合
ー墨田の教育に実績と位置を持つ
 私たちの組合ー墨田区教職員組合は(墨田教組)は、五十五年にわたる活動の歴史を持ち、それなりの実績と位置を墨田の教育の中に持っている組合です。
 墨田の教育を語るとき、墨田教組を無視して語ることは歴史的にも、現在的にもできません。
 区教委も私たちの組合を無視することなく、いかなる問題にも交渉に応じ、また問題によっては私たちの組合の意見も聞くという態度をとってきています。時には、対立することもありますが、それはさまざまな形における交渉を通じて解決する努力を双方で続けてきています。

ー労働・教育条件守り、教育運動でも
 墨田は、教職員の権利を含む労働条件、そして学校や子どもの教育条件が比較的良く守られ、確保されているという評価を受けています。
 今年度から実施されている勤務時間の割り振り問題は、都教委の強権的で理屈の立たない変更で、区教委も、職場も混乱しています。しかし働きやすい職場を守るために区教委と交渉を重ね、職場でも論議を巻き起こす事ができました。改めて、墨田のつくってきた労働・教育条件を守る力を再認識できました。休憩時間を守るという目的も、現在、多数の職場で長時間勤務の実態を訴え、一定の落ち着きを見せつつあります。労働条件は、職場の全員が闘いとっていくものだということが明らかになりました。 

ー政治党派の支配を排し、自立的に活動
 私たちの組合は、一貫して政治党派の支配やもくろみを排し、自立的、原則的に活動するという立場をとってきました。
  自分たちの組合の方針やとりくみを政治党派等、組織の外から持ち込むのではなく、自分たちの討議を通じて自分たちで決定してとりくむ立場を守ってきました。したがって、私たちの組合は日教組に参加していますが、日教組の政治路線(民主党支持等)には一貫して反対し、また日本共産党などによる組合支配にも反対して、これらとは明確に一線を画しています。
 これからもそうした立場を堅持しながら、さまざまな課題にとりくんでいきます。

ー打てば響く組合
 どんな相談にも、解決に全力尽くす
 墨田教組は、その執行機関である執行委員会と、その学校毎組織である分会、個々の組合員との距離がとても近い、「打てば響く」関係にあるとの評価を得ています。
 墨田教組執行委員会は組合員のいかなる相談にも応じ、その解決に全力を注いでいます。執行委員会は、組合員のいかなる意見も無視しません。常に組合員の利益のために活動しています。
 墨田教組は、墨田における教職員組合として、その機能と責任をきちんと果たそうと考えています。
 だから、組合員のみならず、墨田の教職員のだれであっても差別することなく、いかなる相談にも乗り、また、意見・考えをお聞きします。どなたでも気楽に、ご相談、ご連絡ください。必ずしも、ご期待に添えない時もあるかもしれませんが、全力を挙げて解決に向けて努力します。

墨田教組はこうした組合です。

ぜひ、墨田教組に加入してください
他地区からお見えになった皆さん、そして以前から墨田にいるがまだ組合に加入されていない皆さん。新年度を迎えたこの機会に、ぜひ私たちの墨田教組に加入してください。
 そのことが、一人一人の教員の利益になると同時に、墨田・東京・日本の教職員と子どもの権利・利益を守り、未来を切り拓いていくことにも、確実に寄与することにつながると信じます。


第1317号 2001.4.5

定期異動 墨田区関係名簿



No.1302  2000.12.7

新再任用制度と再雇用制度併存
 都労連要求の「全員雇用」は実現するのか
     新高齢者再任用制度の意味するものA

 十一月十七日を山場とした二〇〇〇年賃金確定交渉の中で、「新高齢者再任用制度」の導入が決まりました。二〇〇二年四月一日実施、つまり二〇〇一年度の定年退職者からこの制度による再任用が始まるということです。
 この制度は、私たちが今後の生活設計を立てる上で否応無く重要な意味を持ちます。
 そこで、先週号では、制度の「概要」と意味、問題点について、総括的に再確認しました。今号では、現行の「再雇用制度」との関係等について具体的に整理しておきます。

二制度併存、問題発生ケースは協議
 前号でもお知らせしたように、十一月十七日の最終団交で都側は、次のように回答し、都労連はその線で妥結しました。
 「(都労連要求の)全員雇用については、これを保障する自体は困難だが、(現行の)再雇用制度を併存させることとする。個別的に問題の発生するケースについては協議する」
 「再雇用制度見直しについては、新任用制度に合わせて平成十四年度実施とし、勤務日数は、原則月十三日、再任用満了者については現行通り月十六日とする」

 具体的には次のようになります。
 二〇〇一年度以降の定年退職者は、まず次の選択をすることになります。
@再任用制度に基づく「再任用」を希望する。この場合、
ア.週四〇時間のフルタイム勤務
イ.週十六〜三十二時間の短時間勤務
  のいずれかを選択する。
A再雇用制度による雇用を希望する
  この場合は、週十三時間勤務
Bいずれも選択しない(民間企業就職、自営、起業、悠々自適等さまざまなケースがあるでしょう)
 今号では、@Aを選択した場合の勤務可能期間、労働条件等について一覧表にまとめてみました。未だ、固まらず継続交渉議題になっている部分もありますが、大筋は変わらないものと思われます。
 今後の生活設計を考える上で参考にしてください。
 また、問題点を考える上で参考にしてください。



No.1301  2000.11.30

再任用制度は「雇用と年金の連携」が趣旨
 都労連要求の「全員雇用」は実現するのか
新高齢者再任用制度の意味するもの@

 十一月十七日を山場とした二〇〇〇年賃金確定交渉の中で、「新高齢者再任用制度」の導入が決まりました。
 その「概要」は、裏面の通りです。そのポイントや問題点については「週刊墨教組」一二九七号で紹介・指摘しました。また国の制度については、一二九六号でお知らせしました。
 この制度は、私たちが今後の生活設計を立てるうえで重要な意味を持ちます。
 そこで今号では、まず、「新再任用制度」の意味、問題点について、総括的に再確認しておきます。続いて次号で、現行の「再雇用制度」との関係等について整理しておきます。

高齢者の雇用保障、生活水準確保が趣旨
 
そもそも「高齢者再任用制度」の基本は、年金制度の改悪との関連で「雇用と年金との連携」にあります。
 公的年金は、二〇〇一年度から支給開始年齢が段階的に引き上げられます(別表参照)。最終的には、一九四九(昭二四)年四月二日以降生まれの人は、六五歳になるまで満額年金が支給されないことになります。共済組合の退職共済年金部分は六〇歳から支給されますが、これは満額年金の約半分の金額(十数万円)であり、それだけで生活できる金額とはいえません。こうした支給年齢の引き上げという年金制度の改定に合わせ、満額年金支給まで雇用を保障し、一定の生活水準を確保することが、この制度の目的です。  


六十歳を越えてから
 具体的には公務員が定年退職した場合には満額年金支給時まで、定年前に勧奨等で退職した場合には定年年齢を越えた後、満額年金支給時まで、「再任用」するという制度です。後者の場合、例えば五七歳で勧奨退職した場合、六〇歳を越えるまでは「再任用」はされず、越えた後「再任用」される資格が生じるということになります。

ねらいは安価な労働力確保
 このように再任用制度は直接的には、公的年金制度の改悪に伴い「雇用と年金との連携の確保」が目的・趣旨で創設されたわけですが、その背景には、「少子化・高齢化社会への対応」という面があります。少子化・高齢化に伴う労働力不足、高齢化に伴う年金・医療費・福祉その他の社会的支出の増大に対応し、労働力を確保すること、それも安価な労働力の確保というところにねらいがあります。

成績主義による労働力確保
 また、公務員定数の増大を抑えなければならないという理由を挙げ、定年退職者全員を「再任用」とはしないとしています。そして、「成績主義」による「選考による能力実証」、つまり雇用者のお眼鏡にかなう人物のみ「再任用」というねらいがあります。
 国・都の制度ともにこうした哲学(安価な労働力を成績主義を貫徹して限定的に確保)が貫かれています。

高齢者にとっては必要不可欠な制度
 しかし一方、高齢者の立場からみるならば、退職後の生活水準の確保のためには、雇用機会の確保・増大が現実問題として必要不可欠のものとしてあります。そうした点では、「再任用制度」の確立は重要な意味を持ちます。

民間に波及させる意義
 また、「再任用制度」は、公務で先行実施し、民間企業にも波及させていく社会的意義と役割が持たされています。制度本来の趣旨から見て、本質的ねらいは、以上のものであるにせよ、この点は重視されなければなりません。

都労連「全員雇用」を要求
 都の「再任用制度」導入に関連し、都労連は、「働く意欲のある職員について『全員雇用』と『生活保障』を基本的なスタンスとすべき」だと要求しました。これは、制度の本来的な趣旨・意味から考えれば当然のことです。
 都労連は、その立場から都側との交渉を進めてきました。

新再任用制度と再雇用制度併存
 そうした中で、十一月十七日の最終団交で都側は、次のように回答し、都労連はその線で妥結しました。
 「(都労連要求の)全員雇用については、これを保障すること自体は困難だが、(現行の)再雇用制度を併存させることとする。個別的に問題の発生するケースについては協議する」
 「再雇用制度見直しについては、新任用制度に合わせて平成十四年度実施とし、勤務日数は、原則月十三日、再任用満了者については現行通り月十六日とする」

 この結果、具体的にどういうことになるのかについては、次号で整理します。


墨教組 No.1278  2000.4.27

二〇〇〇年度運動方針、予算を決定
   墨田教組 第五十五回定期総会


週刊墨教組 No.1276 2000.4.5

「主任手当」拠出運動を成功させよう
 「主任」制を実体化させない意志を示そう

 私たちは、一九七五年秋以来、「主任」「主任手当」制度化に反対し、私たちの総力を挙げて、さまざまな形の反対運動を進めてきました。
 私たちが「主任」制に強く反対してきたのは、「主任」制度化のねらいが曇りなき眼で見るならば誰にも明らかなように、「主任」という中間管理職を設けることにより管理体制を強化し、上命下服の学校管理体制を整備・確立すること、それを通して、教育に対する全面的国家支配の体制を作り上げることにあるからでした。そのねらいを貫くため文部省は、敢えて教職員の平等・対等な協力関係や、個々の教職員の自発性・創造性に基づく努力を破壊し、圧殺することも辞さず、教職員集団の中に分裂と分断を持ち込む「主任」「主任手当」制度化を強行しました。

「主任」制は「百害あって一利なし」
 一人ひとりの子どもたちの持つ可能性の全面的開花、個性の伸長を目的とする教育の営みにとって、個々の教職員の自発性の尊重と、平等・対等な立場に立った協力・協働関係の確立が不可欠のものであることは言うまでもありません。「主任」「主任手当」制は、私たちが手をこまねいているならば、それらを破壊するものとして機能していくでしょう。だからこそ私たちは「主任」制は「教育にとって百害あって一利なし」として反対してきましたし、今も、これからも反対していきます。

拠出運動の意味
 私たちは、「主任」「主任手当」制の撤回を求め続けるとともに、そのためにも、また、教育にとっての「百害」をいくらかでも減じ、そもそものねらいを貫徹させないためにも「主任」「主任手当」制に期待されている機能を果たさせないとりくみをすべての学校において進めていきたいと考えてきました。
 「主任手当」支給に対して、私たちが進めている「拠出」の運動はこれらのとりくみの一つです。「主任手当」を個人の所得にして、そのねらいにのるのではなく、これを拠出し、必ずしも十分でない教育条件整備や地域の文化推進向上の事業等に生かしていくこと、それを通じて、反対の意志を世論にも強くアッピールしていこうという考え方です。
 この運動は私たちの「主任」制に反対し、それを機能・実体化させない意志と態勢を明らかにするものでもあります。

「拠出金」事業
 墨田教組は、この「拠出金」による事業として、主に二つの事業をしています。
 ひとつは、反戦平和・人権教育のための教材・資料の整備や補助事業です。
 これまでに
・小中学校に図書寄贈
・毎年三月十日を一つの節目としてとりくんでいる平和教育特設授業への補助
・墨田教組フィルムライブラリーの充実(現在16ミリ映画三二本、ビデオ八四本、他に原爆・沖縄戦・東京大空襲関係のパネル多数所有)
・教育実践記録集「墨田の教育」の発行(九一年に第五集を発行、今年度に第六集発行予定)
等の事業をおこなってきています。
 もう一つの事業は、墨田の地に反戦平和・反差別の運動がしっかりと根付くことを願い、さまざまなイベント等を行うことです。
 これまでに、
・「平和のための区民の夕べ」(過去六回−82.3.10,82.8.13,83.3.10,83.7.27,90.3.9, 91.11.1.に開催)
・「戦争展」(84年8月に開催、92年〜99年下町反戦による「戦争展」に協力)、・「平和のための映画会」(過去六回−85.3.10,86.3.10,87.3.10,88.3.7,89.3.6,95.3.5.に開催)
等を開催してきています。
 今年もこの二事業を継続していくことになります。

「主任手当」拠出運動を始めます
 組合員、非組合員の別を問わず、「主任手当」受給者へ拠出運動への参加呼びかけをすぐに始めましょう。
 私たちはこの運動を過去十九年間にわたって継続してきています。
 この種の運動が、こんなに長期にわたり、しかもかなりの数をもって継続されていることは珍しいことです。このことは、「主任」制度を機能させず、実体化させない意志と態勢、さらに制度撤回に向けて闘う意志と態勢が厳然として存在することを示しています。この意志と態勢を維持、強化していくためにも、この運動へのとりくみ、拠出率の拡大に積極的にとりくむことが重要な意味を持ちます。

人事考課制度導入強行に強く抗議する
 制度の趣旨、内容について十分な説明を受けたか? NO!
  「実施に当たって、校長・教頭から制度の趣旨・内容について十分説明する」ー都教委

 都教委は、私たちの強い反対、私たちのみならず校長・教頭、教育学者等々から出されている疑問や問題点指摘などを全く黙殺し、四月一日から人事考課制度導入を強行しました。私たちは、これに強く抗議し、引き続き粘り強く反対し、抵抗し続けることを改めて明らかにします。

「趣旨・内容の理解不十分」(都教委)
 都教委の「教員等人事考課制度導入に関する検討委員会」(人事考課制度の具体案を作成する委員会。この委員会の決定に基づき、都教委が制度を具体化)は、繰り返し、
 ・この制度の目的は人材育成(能力開発型人事考課制度)
 ・その目的を実現するためには、「教育職員の理解と評価結果を活用しようという意識」(理解と受容)が必要
 ・教育職員が制度の目的・趣旨・内容を十分理解しているとは、未だ言えない→(だから開示はできないという論理になっているところが問題!)
 ・実施にあたっては、校長・教頭から制度の趣旨・内容について十分説明する
と述べています。

説明者自身も自信持てず!
 さて、私たちは、制度の趣旨・内容について十分な説明を受けたでしょうか。
 制度について「理解と評価結果を活用しようという意識」が持てる説明を受けたでしょうか。
 断じて、否です。
 それどころか、説明すべき責任を持つと都教委にされている校長・教頭は誰もが、説明に全く及び腰であり、説明しても弱々しく自信なげではありませんか。
 被評価者に理解を求めて説明すべき「評価者」自身が、自信を持てていない制度、
 その自信を持てない評価者が約十か月後には評価を行い、自校教員に順位をつけて区教委教育長に報告する制度、
 強行導入し、評価を強要する都教委自身が、制度の趣旨と内容について、未だ理解を得てないと認めている制度、
 そんな制度を導入強行!
 こんな無茶苦茶なことが行われるのが、今の東京の学校教育界の現状とは、何ともお寒いことではありませんか。

とことん説明を要求する
 しかし、そう嘆いてばかりはいられません。
 私たちは、制度の趣旨・内容についての説明をとことん要求します。その中で、この制度とその強行ぶりの目茶苦茶さを暴露します。それを通じ、「人事考課、なにするものぞ」との気運・空気を職場につくりだしていきます。

〈なかま〉〈ゆとり〉〈決定権〉を大切に
 同時に、この制度の本質的なねらいである〈なかま〉〈ゆとり〉〈決定権〉の喪失を許さぬため、職場においてそれらを何よりも重視、大切するとりくみを、きめ細かに進めていきます。

をも想定しているからに違いありません。

「自己申告」提出状況で
開示有無決める 

成熟時期の判断材料として、「自己申告書の提出状況、内容」も挙げています。自己申告書の提出拒否者があることを明確に意識しています。そして、そういう「不届き者」「不埒者」がいるから、「開示」もできないのだと、責任をなすりつける論理まで用意するとは!
 その上、ご丁寧にも「申告書の内容」について、「制度の趣旨・目的を踏まえたものと確認できるか否か」と、「開示」の面からも圧力をかけ、同時に「提出者」に対しても「内容が未成熟だから、制度未成熟。だから、開示できない」と責任を転化しようとしています。      (以下次号)



kokomadesounyuu


週刊墨教組 No.1298  2000.11.2

長時間連続労働の強制を許すな
休息・休憩の権利剥奪を許すな
   都教委、日程を区切っての交渉を提案

 七月四日、都教委は東京教組・都教組・都高教等関係組合に対し、「休息・休憩時間等についての条例、規則等の改正について」の案を提示しました。
 この都提案は、「八時間四五分以上の長時間連続労働を強制するもの」であり、また「休息・休憩の権利を剥奪するもの」です。
 私たちは、これに強く反発、提案の白紙撤回を求め続けてきました。
 この問題についての三回目となる交渉が十月二六日に行われました。
 この交渉の中で、都教委は依然として強行姿勢を続け、次の日程を提案しました。
「都教委七月四日提案の
 『第一項休息時間を出勤時刻、退勤時刻と連続させることはできない』 と『第三項「育児時間・妊婦通勤時間について、十五分の取得ができるよう規則改正』については、来年四月実施
 『第二項休憩時間ー一斉に与えないことができると条例改正』については、条件が整い次第、条例改正を行う」
 交渉は、まだ始まったばかりです。にもかかわらず、いきなり日程の提案をしてくる強引さ、強硬姿勢。許せません。
 組合は、この提案についても撤回を要求しました。

教育・安全両面から定着した現行運用
 現在、私たちの勤務時間は、休息時間(午前午後それぞれ十五分ずつ)と休憩時間(四十五分)を、勤務時間の始めと終わりにおいて、実勤務時間七時間三十分(月〜金、土曜日は三時間四十五分)となっています。
 七時間半にわたる連続労働という重大な問題点があるものの、こうした運用は、児童生徒の教育効果面、安全管理面から考えると止むを得ないものとして定着してきました。
 また、この運用は、休息・休憩時間は私たちの権利ですから、それを実質的に確保するためのものでもありました。つまり、休憩時間は、いわゆる「昼食休憩」です。その時間、私たちは給食指導・清掃指導・昼休み指導にあたっているではありませんか。その時間帯に休憩時間をとることは「絵に描いた餅」、つまり実質的に確保できません。そこでこうした運用で確保しようとしたものでもありました。

八時間四五分以上の長時間連続労働
 都教委提案は、休息時間について、勤務時間の初めと終わりにおくことを許さず、勤務時間の中に含めるとしています。
 また、休憩時間については、「一斉に与えないことができる」という形のものとし、例えば交代制でとらせるようにするというものです。
 ところで、教育現場は共同・共働作業によって進行しています。交代制などをとることは、それを不可能とします。また、それを可能とするために休息・休憩時間をとらずに済ませてしまうでしょう。都教委は、それをねらっているのです。
絶対に許してはならない都教委提案
 都教委の思惑どおりの進行を許すならば、私たちは、八時間四十五分以上もの長時間連続労働を強制されるのと同じことになります。また「休息・休憩時間の権利」を実質的に奪われることになります。
 私たちは、都教委提案に断固反対し、その撤回を求めて闘い続けます。


国立の教育がなぜ攻撃されなければいけないのか
   国立問題の意味するもの(二)

 八月九日といえば、昨年までは長崎原爆の日、平和を祈る日だった。今年からはそれに加え、「国旗・国歌法」強行採決、法制化された日になってしまった。法制化されても内心の自由を侵してまで強制することはないと政府は言っていた。でも、今年三月の卒業式、四月の入学式で、そんな甘いものではないことがわかった。特に子ども達を大事にして行事を創っている学校がターゲットにされ、右翼と一体になった攻撃をかけられてきた。「いつかきた道」を辿ることなく着実に教育をつくり続けている町がねらわれた。十年前までは、墨田でも当たり前に論議され、子ども達を主人公の行事も創られていた。が、今は・・・・。
 頑張っている国立の教育が集中的に攻撃され、八月十一日には、処分まで出された。何故そこまで痛めつけなければならないのか。「出るくいはうたれる」で、周りの力が弱められすぎているからか。百パーセント力づくでも「国旗、国歌法」のもとの卒業式・入学式をしないと気がすまない人達がいる。

 八月九日、国立で行われた集会で、生の声を聞くことができた。人ごとではない、そんな発言の連続だった。いくつか心に残ったものをあげてみよう。
@「二小問題」ではなく、「校長報告書問題」である。「校長に土下座要求」に始まる「産經新聞」の報道は事実確認を十分しないままに、校長の作成した「卒業式報告書」を政治的に利用したもの。右翼の街宣車が七十台も静かな学園都市に押しかけて、市民生活もおびやかされている。午後の授業はカットさせられ、「紅衛兵」扱いされた子ども達は傷つき、脅迫におびえているという。卒業生は傷ついた。「新聞とは世の中のことを正しく知らせるものと思っていたのに」と。
A子ども達に説明することなく新しいことをやったことの説明を求めただけなのに。
  何か言えば、たたかれる。物言わぬ人間ばかりが育ってしまったら恐ろしい。子ども達は、素晴らしく育っている。なぜ、日の丸を揚げるのか説明できない管理職の方が問題。
B生徒と教員との話し合いを踏んで創っていく所沢高校。教育実践として日の丸・君が代問題を提起してほしい。大人どうしの対決は子どもにどうでもよいという気分をつくってしまっている。子どもが疑問を持つ、素直な気持ちを大切にしっかり教育しよう。
C人権救済の必要    等々

 そして、八月十日都教委は、国立二小・五小両校合わせて十七名の教職員の処分を決め、十一日、発令した。
 二小の理由は、
@卒業式にピースリボンをつけ参加
A校長に「日の丸」掲揚を抗議
B校長の権限について子どもが誤解するような発言をした
というもの。
 五小については、
@「日の丸」に抗議するビラを正門に張った
A抗議ビラを保護者に配った
というもの。
 また、都教委は「国立市立学校教育改善検討委員会」を設置、国立の教育の「正常化」をはかると干渉の強化をあげている。

 いてもたってもいられず、多摩教組の行動に参加させてもらうことにした。八月十一日午前十時、都庁第二庁舎、国立市民と共に多摩教組、アイムを中心に五十人あまりの人達が集まった。墨教組からも数人、急だった中ではうれしかった。
 一人ひとり言いたいこといっぱいに、暑い中かけつけたのに、都教委側は、何ら責任ある対応をしない。会議室さえあけず、暑い廊下に立たせっ放し。警備するように、立ちふさがるように黙ってバリケードする職員・・・。
 不当処分撤回要求に聞く耳を持たず、長時間の押し問答。でも、抗議するみんなの熱気は、空調の悪い新庁舎の廊下にうずまき、熱い連帯感を覚えた。
 そんな中、二小、五小の教員が呼ばれ、入って行った。中に入れない私達は、抗議しながらその背中にエールを送った。後半は、交渉権のあるアイムの人たちにまかせ、一階で、多摩教組、八王子教組、国立市民代表の決意や訴えを聞き、散会した。暑い暑い一日、これからが一人ひとりの闘いだと思う。

 これを書いている今(十月二日)、国立の教育、組合活動への攻撃のニュースが流れている。都教委をはじめとした圧力がじわじわと押しよせてくる。「国立」のことは、対岸の火事ではない。私たちみんなの問題なのだ。     


週刊墨教組 No.1294  2000.10.5

教育へのファシズム攻撃を許すな!
  国立問題の意味するもの(一)

暑い夏
 
昨年の夏は暑い夏でした。「国旗・国歌法」をめぐる国会周辺での抗議行動は、炎天下に行われました。今年もまた、去年以上に暑い夏でした。教育現場への強制はしない、教師個人の内心の自由は尊重されるべきである、という昨年の確認はいとも簡単に反故にされてしまいました。
 西の広島の平和教育潰しのあと、ターゲットを東の国立に絞った自由主義史観・右翼連合は、「産經新聞」というマスコミの支援を得て市民・教員が長年の信頼関係の中で作り上げてきた「日の丸・君が代」のない卒業式を潰すために、連日のキャンペーン・街頭宣伝・集会・下校時の児童に対する嫌がらせなどあらゆる手段を駆使して、介入してきました。そして、結果的には強引に日の丸・君が代を卒業式に挿入したのです。
 さらに、ピースリボンをつけての出席、抗議のビラまきなどというささやかな抵抗に対して、別掲のような前代未聞の大量処分が出されたのです。八月十日、真夏日でした。

都教委の見解
 この処分と共に、都教委は「国立市立小・中学校の問題に対する見解」という文書を出し、教員の勤務時間中の組合活動、卒業式等における国旗掲揚や国歌斉唱が実施されていないこと、組合の教室不正使用、校長の補助機関である職員会議が適切に機能していないことなどをあげ、「教育の正常化」をはかるため、国立市教委からの報告に基づき、服務規律違反のあった教員に対して厳正な処分をするといっています。また、そのために都教委内に「国立市立学校教育改善検討委員会」を設置するとしています。

報告書とは? 「産經」と教委の癒着?
 都教委が処分を決定したのは、市教委からの報告書によってです。その報告書の根拠になったのは、校長の報告書です。
 この処分に先立ち、何箇月にもわたって「産經新聞」は国立問題取材班という専門グループまで作り、トップ記事として国立問題を書き立てました。その論調は、抗議行動を「児童が校長に土下座要求」というセンセーショナルな言葉にすり替え、それをあおった教師だから処分は当然という筋書きでした。しかし、この土下座要求については都教委も確認していないと明言しています。
 また、「産經」は五月二十六日に社会面で「卒業式当日のやりとり」という見出しでいかにも事実であるかのような書き方で紹介していますが、この内容は、校長の報告書の丸写しであることがわかっています。一体どのようなルートで校長の報告が「産經」にわたったのでしょう。不思議なことに、八月十日処分提示の前日の「産經」には、翌日の処分内容が掲載されていました。不審に思ったある市議の問い合わせに新聞社側は、都教委のある人からの情報提供であると答えています。
 校長の報告書は、録音やメモなしに校長の記憶に基づいて書かれたものであり、校長の立場に都合よいように書かれていることは自明です。それをあたかも客観的な事実であるかのように報道する「産經新聞」は、恣意的な報道をしているといわざるを得ません。そして、リークしている教育委員会の卑劣さはいうまでもありません。
 このような中で出された処分なのです。

処分を許さず、教基法の精神を再び!
 あきれるほど恣意に満ちた処分です。だが、この処分は、だれも反対しなければ通ってしまいます。そして、宮崎学さんの言う「やわらかな全体主義社会」、辺見庸さんの言う「鵺(ぬえ)のような全体主義」はますます色濃くのしかかってくるでしょう。九月三日の石原都知事提唱の「防災」とは名ばかりの「軍事」訓練は、ファシズムに反対する人間への挑戦状です。
 国家の教育支配によって挙国一致の戦争体制が作られていった戦前の反省に立ち、国家支配を厳しく戒めた「教育基本法」も危ういのです。
 国家の教育支配にNOと言いましょう。不当な国立処分を撤回させましょう。