教育基本法改悪ーその実体化を許さない闘い


2007.8.27 都庁包囲Action
処分処分と暴走すると教委を止めよう





教育3法 参議院文京委員会強行採決糾弾




「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」の
活動に参加されたすべての皆さんへ
                2007/03/18 大内裕和

 2004年4月24日以来、約2年半以上、2003年夏の名古屋合宿からですと約3年半の間、皆さんには大変お世話になりました。「呼びかけ人」という役割は、まだ30代半ばで研究者としても「かけ出し」だった当時の私にとっては、とてつもない「大役」でしたが、他の呼びかけ人の皆さん(小森陽一さん、高橋哲哉さん、三宅晶子さん)と、八尋麻子さん、中村元彦さんをはじめとする事務局の皆さんに助けられて、何とか最後までやりとげることができました。皆さんに心から感謝しています。

 私の運動は2002年の夏、愛媛の公立六年一貫中学で「つくる会」教科書が採択され、秋に中央教育審議会の中間報告を読んで教育基本法改悪の内容を知り、これを国会で通されたら「もう間に合わない」という切羽詰まった感覚からスタートしました。2002年12月に白澤社から教育基本法「改正」問題について著書を書くことを依頼され、それから必死で執筆を進めました。それまで教育基本法について一度も文章を書いたことがありませんでしたから、教育研究者としてはとても大胆な試みでした。でも「何とかしなければ」という気持ちでした。
 2003年6月に『教育基本法改正論批判』を出した前後から、私は教育基本法改悪反対の講演を行うようになりました。その過程で8月の市民運動が企画した名古屋合宿の「呼びかけ人」を引き受けてほしいという話がありました。私はともに運動に参加してくれる協力者を心から求めていましたから、二つ返事で引き受けました。この合宿で、教育基本法改悪反対に熱意をもつ全国の人々と知り合うことができ、そして「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」スタートのきっかけとなった2003年12月23日の「教育基本法改悪反対!12・23全国集会」を開催することが決まったのです。
 3年半の間に私は本当に多くのことを学ばせていただきました。改悪反対運動のために全国各地を講演でまわることになりましたが、現在の教育現場がいかに厳しい状況にあるのかを直接知ることができました。そのなかでも現場を何とかしようと苦闘している多数の教職員、保護者、市民がいるのを知ることができたことは、とても貴重な経験でした。多くの尊敬と信頼のできる皆さんと出会えたことは、私にとってかけがえのない財産です。
 運動のなかで、私はその方たちにどれだけ励まされたか知れません。講演や集会で私は、現場で苦闘している皆さんを応援することを最も意識して発言を続けてきました。
 「心の底から訴えた言葉は相手に伝わる」ということをこの運動を通して何度も経験できたことは、言論活動を仕事の一つにしている私にとって、今後も大きな意味をもつことになると思います。現場教職員と保護者、市民、子どもたちを励まし、教育現場にとって意味のある言葉を生み出していくことをこれからの自分の最大の課題として取り組むつもりです。
 残念ながら教育基本法は改悪されてしまいましたが、昨年の12・15国会前集会や12・22のメッセージでも述べましたように、闘いはこれからです。「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」の運動を通してつくられてきた
 教職員組合、市民運動など各地のネットワークを生かしていくことが重要です。
 安倍政権の狙いは、まずは改悪教育基本法の実体化であり、その次にはこの通常国会で「改憲手続き法」がすでに激しい攻防に入っていることからもわかるように、間違いなく憲法の改悪でしょう。この流れを阻止する闘いに、私も自分なりに今後も関わっていくつもりです。
 2007年1月24日に出された教育再生会議第一次報告をもとに、改悪教育基本法を実体化させるための教育関連三法案が、3月中にも国会に提出されると報道されています。
 まずはこの関連法案との闘いが重要です。
 私は『現代思想』2007年4月号(3月27日発売)で、教育基本法改悪、全国学力テストなど近年の教育改革、そして教育再生会議などについてジャーナリストの斎藤貴男さんと対談しました。また教育再生会議第一次報告の内容を全般にわたって分析し、批判した「格差と排除の教育マニュアル―教育再生会議第一次報告批判」という文章を書きました。
 読んでいただき、教育関連三法案成立阻止の運動にぜひ生かしていただければと思います。

 改悪教育基本法の実体化→憲法改悪の流れを阻止するためには、皆さんと力を合わせることが今後も必要です。これまで3年半の間、本当にありがとうございました。そして今後もどうぞよろしくお願いいたします。




教育基本法改悪 強行採決 糾弾!
私たちは、これをけっして許さない!
私たちは、けっしてこれに屈しない!

週刊墨教組 No.1511    2006.12.20

教育基本法改悪に抗議する
  子どもはお国のためにあるのではない


「国家にとって有用な人材育成」に抗う
 一二月一五日、一七時五一分、参議院本会議で「教育基本法政府法案」が強行採決され、可決された。「教育基本法」が戦後六〇年近く一字もかえられることがなかったのは、この法が憲法と一体であるからだ。「教育基本法」が根本的に改定されることは、その改定内容が現憲法に違反する事態が生じる。このことは、下位法(教育基本法)が上位法(憲法)を否定することになり、許されることではない。
 何度も墨教組ニュースに掲載したように、近代憲法の本質は、個人の権利を尊重するために、国家権力へ歯止めをかけることにある。つまり、憲法は、国民を守るために、国家権力を縛る存在としてある。「教育基本法」は「個人の尊厳」や「個人の価値」をその基盤としている。それは暴走する可能性がある国家権力を法によって規制し、個人の権利を守るという立憲主義の原則とも対応している。しかし、可決された「教育基本法政府法案」では、第二条(教育の目標)で、「伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛する…態度を養う」など、二〇もの徳目を定めている。このことは、国家の側が個人の人格、思想、良心のあり方を教育によって統制することにほかならない。第二条(教育の目標)は、学校教育・家庭教育・社会教育の目標となり、すべての教育の場で強制されることになる。個人の内面を法律で縛ることは、近代法の原則から逸脱しているばかりか、現憲法の規定する思想信条の自由を侵害するものである。私たちは、現憲法を盾に、あくまでも「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」を私たちの教育活動の立脚点とする。

自民「新憲法草案」と一体をなす改定「教育基本法」
 安倍首相は「教基法改正は国民の声」と言った。タウンミーテイングでの「やらせ」の発覚で「国民の声」ではなく「政府の声」であったことが暴露された。中・高校生にも「やらせ」を依頼していた。当時官房長官であった安倍は、一〇〇万円でこの問題をチャラにしようとしている。「やらせ」は八百長・イカサマと同義語。八百長・イカサマは、安倍と文部官僚の規範意識の欠如を如実に示している。
 この安倍が、「憲法改正」を宣言している。改定「教育基本法」前文に「ここに、我々は、『日本国憲法』の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立…」がある。ここでの『日本国憲法』は、現日本国憲法ではなく、自民「新憲法草案」と読むべきである。幻の新憲法なのである。自民「新憲法草案」前文には、「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し…」とある。なによりもまず国家。国民よりも国家が優先されるのである。憲法が国民を守り、憲法が国家を縛るという「立憲主義」が、根底から否定され、憲法の性格が一八〇度転換されている。 改定「教育基本法」と正に合致するのが『自民新憲法草案』である。ここにもイカサマが見え隠れする。
 今後、改憲に向けた動きが加速するが、私たちはあくまでも新たに生まれた全国の仲間と連帯し、改憲阻止の運動を展開していく。
 


2006年12月15日(金)参議院本会議での強行採決がなされた。
          理は政府にはない。義もまた政府にはない。
          一人ひとりの人権を大切にする教育基本法は葬り去られたが、
         一人ひとりの人権を大切にする教育は、「この国」からなくなりはしない。
         いつまでもどこまでも、私たちは、国家のための教育ではなく、
        それに抗して、
        子ども達一人ひとりを大切にする教育を行う。




12月14日(木) 特別委員会での強行採決糾弾! 国会前集会 
  3000人を超える抗議の渦は、歩道におさまりきらなかった。

 

12月12日 全国連絡会 国会前集会
  呼びかけ人、大内さんが、公聴会での闘いを報告された。


 
12.8(金)  教育基本法改悪反対日教組緊急集会 日比谷野音 国会デモ

























12.6(水) ヒューマン・チェーン 参議院面会所前    3500人参加!




11.25(土) 日教組教育基本法改悪ストップ全国集会 


11.16 国会前 5000人の結集で強行採決に抗議する
 














11.12 日比谷野音 銀座デモ
 
 















11.3 亀戸で情宣活動

















9月-10月  国会・首相官邸












                                   
















週刊墨教組 No.1510 2006.12.12
教育基本法の改悪阻止
 参議院での採決を絶対許すな!


 一二月一五日の臨時国会会期末に向け、教育基本法改悪反対運動は、最後の山場をむかえています。国会内での野党共闘、そして、この間の全国的な闘いにより、採決を二週間以上も引き延ばすことができました。しかし、教育基本法「改正」が安倍政権の最重要課題である以上、一五日の本会議での採決、あるいは会期延長による採決が企図されていることは間違えありません。野党は、麻生外務大臣、安倍首相の不信任案を提出し、採決阻止に向けたギリギリの闘いに突入すると考えられます。東京教組は、全国の仲間とともに国会前での座り込みを継続しています。政府案を廃案にするため、今こそ、「反対」の声を大にし、国会前集会に参加しようではありませんか。
 全国連絡会呼びかけ人で墨田教組とも縁の深い大内さんから緊急のアピールが出されています。紹介します。

緊急の呼びかけ
教育基本法の改悪をとめよう!
 十二・十二、十四国会前集会に、
今度こそ一万人の結集を!
 二〇〇六・十二・十  大内裕和


「教育基本法の改悪をとめよう!十二・五国会前集会」は、これまでで最多の二千人以上の人々が参加し、教育基本法改悪阻止を訴える集会として大成功しました。この集会の成功によって政府・与党による十二月七日〜八日の参議院での採決を阻止することができました。
 十二月十一日(月)から臨時国会最終週となり、政府・与党は今週中の採決を狙っています。教育基本法「改正」が安倍政権の「最重要課題」である以上、政権の命運をかけて採決を行おうとするに違いありません。これまで以上の闘いがなければ、改悪を阻止することは容易ではないでしょう。
 
 
安倍首相は急遽外遊予定を変更し、十二月十日(日)に帰国しました。十一日(月)に参考人質疑が行われ、十二日(火)に中央公聴会が行わることから、十三日(水)にも特別委員会での採決が行われる危険性があります。よって十二日(火)の院内集会と国会前集会は最も重大な時期に行われます。
   
 私は十二日(火)の午後、参議院での中央公聴会に公述人として参加し、この十二・十二院内集会と国会前集会にも参加します。全国の皆さんに、「教育基本法の改悪をとめよう!十二・十二国会前集会に今度こそ一万人の結集を!」呼びかけます。教育基本法改悪に反対するすべての労働者・市民の皆さん!「教育基本法の改悪をとめよう!十二・十二国会前集会」への参加をぜひともよろしくお願いします。ここを乗り切って十二・一四国会前集会につなぎましょう。

 
今日(十二月十日)、「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」呼びかけ人は「十二・一二&十二・一四国会行動参加の呼びかけ」を発表しました。一人でも多くの方、一つでも多くの労働組合・市民団体への連絡をどうぞよろしくお願いします。
 



週刊墨教組 No.1509     2006.11.29

教育基本法の改悪、
 参議院での採決を絶対に許すな! 
  改悪反対運動を一層高めよう!
  一二月六日 ヒューマン・チェーン 
  一二月八日 日教組全国集会



 自民・公明政府与党は、十一月十六日の衆議院本会議において、教育基本法政府改定案を与党単独で採決を強行した。法案内容への審議が極めて不十分のまま、「やらせ」タウンミーテイング等の新たな問題が未解明のままの強行採決は、様々な批判が噴出する中、政府与党の「あせり」を示したと言える。当初、十月中の採決と言われていた日程を、二週間以上も引き延ばすことができたのは、「改悪反対」の全国的な運動の高まりがあったからこそだ。場は参議院に移っているが、国会会期(十二月十五日)を延長する可能性があるとはいえ、臨時国会の日程は限られている。政府案を廃案にすることは可能だ。

教育基本法改悪は解釈改憲そのものだ

 憲法と教育基本法は一体である。教育基本法前文は「われわれは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。…… ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して…この法律を制定する」と宣言している。改憲は、教基法の改定を意味する。改憲が合意されずに、教基法が根本的に改定されることは、改定内容が憲法違反になることは当然の帰結である。言い方を変えれば、解釈改憲である。
 安倍首相は、「戦後体制からの脱却」を掲げ、教基法の改悪を最優先課題とした。「改憲には五年かかる。自分の任期中になしとげる」と宣言している。教基法の改悪は、改憲の地ならしである。
 衆議院安全保障委員会では、防衛庁を省へ格上げし、自衛隊の海外派兵を「本来的任務」に位置づけ直すことを内容とした「防衛省」関連法案の審議が始まった。『「非核三原則」の見直し、「集団的自衛権の行使」、個人の資格で言えばよい、論議するのはいいことだ』と意図的に「世論形成」がはからている。この国は「戦争をやれる国」へ変貌されつつある。教育基本法の改悪は解釈改憲そのものだ。改悪を絶対に許してはならない。全国規模の改悪阻止運動をさらに高め、政府案を廃案にしよう。


週刊墨教組 No.1499 2006.5.31
教育基本法の改悪を許すな! -2-


 「憲法が国民を守る、憲法が国家を縛る」という「立憲主義」がより強く貫かれているのが現行憲法です。この「立憲主義」を根底から否定しているのが自民党が昨年決定した「新憲法草案」です。その前文には、「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、…」とあります。憲法が「国民が国を愛情をもって守る責務」があるといっているのです。国民より国家が優先されているのです。国家が国民を縛るのです。
 「個人の人権」を国家的なものに従属させようとする政府「教育基本法案」は、自民党「新憲法草案」と一体です。「国家及び社会の形成者として必要な資質」の育成という第一条の教育の目的を実現するため、「必要な資質」を第二条 教育の目標で規定しています。まさに暴挙です。

現行の第二条(教育の方針)を削除し
第二条 教育の目標新設
 「教育目標=内容」を法定化し、国家権力をもって「国民に必要な資質」を強制する。ここに教育基本法改悪の意図が現れています。その「資質」をまとめると以下になります。
一、個人的資質(知識と教養、真理、豊かな情操と道徳心)
二、個人の能力(個人の価値、能力の伸長、創造性、自主的精神、職業・勤労の重視)
三、社会性(正義と責任、自他の敬愛と協力、公共の精神) 
四、自然(生命の尊重、自然・環境の保全)
五、国家・国際(伝統と文化、国と郷土への愛、他国の尊重、国際平和) 
 法律で徳目を定め個人の内面を法律で縛ることは、近代法の原則から逸脱しているばかりか、憲法の規定する思想信条の自由を侵害するものです。第二条は、憲法違反と言わざるを得ません。

「伝統と文化の尊重」の意図
 週刊墨教組一三八五号より再録

現行教育基本法には
なぜ「伝統」が入っていないのか
 その「真の愛国心」という言葉と等価の同義語として、素案に頻出するのが、「伝統、文化の尊重」という紋切りの決まり文句です。なぜ、かくも「伝統、文化の尊重」にこだわるのか。
 佐藤秀夫は、『教育基本法はどんな法律か』のなかで、「伝統」という言葉が教育基本法に入らなかった経過について、つぎのように語っています。(『世界』十一月号所収)

「教育刷新委員会の第一特別委員会が決めた最初の案では「伝統」という言葉はなかったんです。ところが、最年長の故に特別委員会の委員長に推された羽渓了諦という仏教学者が、非常に保守的な人で、おしまいの方の会議の中で、突然日本の伝統を生かすという提案をするのです。それに対して、天野貞祐すら反対したんです。「個性を重んじ」というところに、「伝統を重視する」というのは含意されているはずだから、あえて言う必要はない、と。羽渓がいう「伝統」というのは、「忠孝の伝統」のことなのです。あの時代に「伝統」と言えば、天皇に対する忠誠を軸とした戦前・戦時中の古い国家主義的なことを重視する伝統のことです。
 こうして「伝統」という字句が第一特別委員会の案に一旦は入った。それを中間報告という形で、総会に報告しますと、南原さんを初めとして猛烈な反対が出ます。特別委員会で、まるで法律案のようなものをつくるのはよろしくない、もっと大綱的なことでいいんだ、つくり直せということになった。そして大綱的な文案になり、「伝統」という表現は消えてしまうのです。教育刷新委員会としては、伝統とは戦前への回帰を意味するのだから、新しい教育理念に入れてはならないという発想でつぶしたわけです。ところが、文部省が国会に教育基本法の法案を提出するときに、第一特別委員会で羽渓が提案した案の表現を採用した。国会へ提出する文部省の案は、事前にCI&Eがチェックします。そのCI&Eのチェックで「伝統(トラディション)」を削れとなって、最初の教育刷新委員会案にもどる。」
熱い初志
 「伝統」という言葉をめぐる攻防を見れば、「伝統」に込めた守旧派の深意が奈辺にあるかがわかります。
 現在では、口当たりのよい「伝統」という言葉は、戦前戦中の軍国主義・国家主義をまといつかせた亡霊のごとき不易の言葉なのです。

現行教育基本法
一九四七年三月三一日

第二条
(教育の方針)
 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。
教育基本法案 二〇〇六年四月二八日

(教育の目標)
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

週刊墨教組 No.1498 2006.5.24

教育基本法の改悪を許すな! -1-

 政府が、四月二八日に国会に提出した「教育基本法案」は、全文を読むなら、「愛国心の強制」のみならず、現行教育基本法が示す教育理念とは根本的に異なる理念に基づいて作成されています。メディアの注目は第二条・教育目標の五「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、…」=「愛国心の強制」にあります。自民党が昨年決定した「新憲法草案」と併せて読むなら、さらに問題点が明らかとなります。このような「教育基本法」の成立を許してはなりません。
 
前文の問題点
@日本国憲法の理想の実現と教育基本法との関係を明示化した部分を削除。
A「個人の尊厳」をそれに続く「徳目」と同列化することにより、「個人の尊厳を重んじ」の精神を変更する。
  「個人の尊厳を重んじる基礎の上に教育を行う」を「個人の尊厳を重んじる人間の育成」に変更。
B「真理と平和」を「真理と正義」とし。「平和」を削除。憲法の理念に根ざした「平和」への志向を否定。
C「公共の精神を尊び」。自民党「新憲法草案」の「公益及び公の秩序に反しない精神を尊び」の意。
  憲法では、「個人の尊重」を最も上位においている。しかし、自民党「新憲法草案」では、個人の人権を、国家的なものに従属させようとしている。憲法の改悪を前提にしたものと言わざるをえない。
D「豊かな人間性と創造性」。「心の教育の充実」と「平等主義教育の否定」(文科省教育改革プログラム) 
E「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造」を「伝統を継承し、新しい文化の創造」へ変更。国家主義的伝統文化の強調。
F「日本国憲法の精神にのっとり」は文言として残ったにすぎない。戦前の帝国日本との決別を意味する「新しい日本」を削除。
G「その振興を図るため」 教育振興計画の導入。理念法である教育基本法に行政施策法としての性格が付け加わる。第一七条教育振興基本計画により、予算措置を伴った政府による具体的な施策を可能にした。その内容は、国会に報告するだけでよい。政府による教育内容への介入が容易にできるようになる。 

最大の問題点の一つ、
   第一条(教育の目的)の改悪
 現行の教育基本法の理念を一八〇度転換させ、教育のなかで国家政策を貫徹させる内容となっている。
H「人格の完成をめざす」を、国家形成者として「必要な資質」と結合させている。
I「個人の価値…自主的精神に充ちた」を削除
 そして、「必要な資質」は第二条教育の目標で、「国家有用の人間像」として、事細かな徳目として規定している。教育が、国家有用の人間を育てる教育に一八〇度転換させることをこの条文で明記している。  

現行の教育基本法
一九四七年三月三一日

前文
 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。 この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

第一条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
教育基本法案
二〇〇六年四月二八日
前文
 民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
 ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

第一章 教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
自民党新憲法草案
第十二条(国民の責務) この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う。
第十三条(個人の尊重等) すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

教育基本法改悪に反対する決議

 四月十二日、自民、公明両党は、「与党教育基本法に関する検討委員会」で、協議の焦点となっていた「第二条(教育の目標)」の「愛国心」の文言について、「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」とすることで合意しました。また、前文案には、「伝統の継承を目指す教育の推進」が盛り込まれました。

 「我が国」を「個人の尊厳」よりも優先させ、「国を愛する」とか「伝統の継承」が、新しい理念として教育基本法に明文化されることになるのです。この改悪が、文言にとどまらず、どんなに暗く恐ろしい実体を現出するかについては、東京都の教育行政の「日の丸・君が代」強制が先取りしています。

 また、四月十九日には、自民、民主などで作る教育基本法改正促進委員会、民間教育臨調、日本会議国会議員懇談会などが合同総会を開き、与党案に対して、三つの修正をしていくことで一致したといいます。三つとは、「国を愛する態度を養う」の「態度」の文言を「心」に変えること、「宗教的情操の涵養」を明記すること、「教育は不当な支配に服することなく」の「教育」の文言を「教育行政」に改めることというものです。

 国家による教育行政の「不当な支配」を、国の責務として正当化しようというのです。

 この国は、周辺事態法から有事法制へと、「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんできました。今も、理不尽なイラク派兵はつづいたままです。そして、在日米軍の再編・強化がおしすすめられています。

 教育基本法改悪のねらいは、「戦争ができる国」にするために、国民の意識を変容させることにあることは明白です。

 決して座視することなどできません。
 何よりも、まず、平和を。

 教育基本法は、戦争の深い反省から生まれた平和憲法の理念を実現するために、英知を結集して制定されたものなのです。

 政府・与党は、今国会への上程に向けて、具体的な準備作業にとりかかりました。まさに、緊迫した正念場をむかえます。

 私たちは、教育基本法改悪に反対します。
 私たちは、全力を尽くして、教育基本法改悪法案の国会上程を阻止します。

二〇〇六年四月二十六日
墨田区教職員組合 第六十一回定期総会  


教育基本法改悪を断固阻止する!

 「いったい何のために教員になったんだよう」とは教員を揶揄する時の言葉ですが、「『自公の新教基法の下で教育活動をするため』では絶対にない!」 これだけは絶対に確実なわたし達の返答です。

 情勢は予断を許しません。今後も教基法改悪反対の行動、集会やビラまきなどが次々と提起されますが、即応態勢を整えて、全力で阻止していきましょう。


  教育基本法.憲法の改悪をとめよう! 3・31全国集会アピール

 教育基本法の改悪が行われようとするなか、本日、私たちは組織・団体の枠を超えて全国から集まりました。

 「教育の憲法」とも呼ばれる教育基本法は、天皇制国家主義教育を支えた教育勅語を否定し、個人の尊厳と平和主義を基本理念としています。しかし政府・与党による教育基本法の改悪は、「伝統文化」や「愛国心」といった国家主義を教育現場に強制し、「教育の機会均等」を解体することで、子ども一人ひとりが平等に学ぶ権利を奪い、新自由主義によって生み出される「格差社会」を固定化するものです。これが教育現場や子どもたちのためのものでないことは、「教育は、不当な支配に服することなく」を「教育行政は、不当な支配に服することなく」へと180度転換する教育基本法第十条の改悪に、最もよくあらわれています。

 教育基本法改悪の先取りを示す典型的な例の一つが東京都の教育行政です。東京都教育委員会は2006年3月13日に、「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について」という「通達」を出しました。この「3・13通達」は、手どもに「立て.歌え」と教職員が指導することを事実上強制するものです。「3・13通達」は、教職員に「日の丸・君が代」を強制した2003年の10・23通達」よりも、強制の範囲を子どもたちへの指導と手どもたち自身にまでさらに拡大しています。これは「個人の尊重」や「思想及び良心の自由」を定めた教育基本法・憲法に違反すると同時に、子どもの「内心の自由」や「意見表明権」を否定する点で、「子どもの権利条約」をも無視した暴挙であるといえます。

 侵略戦争のシンボルであった「日の丸・君が代」の強制は・自衛軍の保持を明記した自民党の「新憲法草案」と軌を一にしています。現在進められつつある在日米軍の再編は、日米安保の拡大強化、自衛隊と米軍の一体化を促進し、アジア太平洋地域を中心に日米共同の軍事行動を可能とするものです。在日米軍の再編は、周辺事態法から有事法制へと準備されてきた「戦争する国家」づくりをさらに推し進め・憲法九条の改悪はそれを完成させることに他なりません。

 しかしこうした「戦争する国家」を目差す動きに対して、多くの労働者・市民が立ち上がっています。3月5日には在日米軍再編の日米合意に抗議し,普天間飛行場のキャンプ・シュワブ沿岸部への移設に反対する県民総決起集会が宜野湾市で開かれ、3万5000人が集まりました。また,3月12日には山口県岩国市で、米海軍厚木基地の空母艦載機受け入れの是非を問う住民投票が行われ、有効投票の89%という圧倒的多数の反対で成立しました。在日米軍の再編・強化こ対してNo!が突きつけられているのです。

 そして今年の卒業式においても「日の丸・君が代」強制に対して、多数の教職員が不起立・不伴奏を貫くなどの抵抗を行い,保護者・生徒を含めた強制反対運動が全国各地で様々に展開されています。子どもの権利を守り、人間の尊厳と労働者の権利を新たに獲得しようとする現場教職員と市民のこの粘り強い闘いは、教育基本法・憲法の改悪阻止と深く結びつくものです。私たちはこの闘いに心から連帯します。

 今日,私たちは初めての国会デモを行います。2006年3月,与党は今年の通常国会に教育基本法「改正」法案を上程することを「合意」したという報道がなされました。教育基本法改悪法案が国会に上程される危険性がいよいよ高まっています。今こそ,教育基本法の改悪に反対する私たちの意思を国会に直接届けるべき時です。

 2003年に行われた「教育基本法改悪反対! 12・23全国集会」以降,新たな連帯を生み出しながら広がっていった私たちの運動は中教審答申が出された2003年3月20日以来今日まで、3年以上もの間、教育基本法改悪法案の国会上程を阻んできました。教育基本法が公布・施行されてから59年目の今日の集会を新たな出発点として,私たちはこれまで積み重ねてきた運動と連帯の輪をさらに広げ・在日米軍の再編・強化反対や「日の丸・君が代」強制反対などの反戦平和運動と広く連携することによって、再び「戦争する国家」作りを目指す教育基本法と憲法の改悪を全力で阻止することを、ここに宣言します。

2006年3月31日 集会参加者一同

(教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会ホームページ   http://www.kyokiren.net/ より転載)

週刊墨教組 No.1488  2005.12.14
「立憲主義」を否定する 改憲要件の緩和
国家権力を縛る改憲要件
 何度でもくり返しますが、近代憲法の本質は、個人の権利を尊重するために、国家権力へ歯止めをかけるというところにあります。
 つまり、近代憲法は、国民を守るために、国家権力を縛る存在としてあるのです。
 現行憲法は、改憲要件を、両院の総議員の三分の二以上の賛成による発議、国民投票の過半数の賛成と規定しています。
 事実、現行憲法制定後、この国の国家権力の暴走を制御する装置として、この規定は機能しつづけてきました。
 この厳しい改憲要件こそ、国家権力を制限して、国民の自由と権利を保障する「立憲主義」の真髄を体現した規定なのです。


改憲要件の緩和
 ところで、自民党案は、改憲の要件を、「各議院の総議員の過半数の賛成で国会が議決」と大幅に緩和しています。
 このことについて、山口二郎(北海道大学)は、次のように的確に洞察しています。(『週刊金曜日』十一月四日号)

「今回の自民党案における最大の変更点は、九条よりも九六条の改正手続きにあると私は考える。自民党案では衆参各院の過半数で改憲を発議できるようになっ ている。国民投票という追加手続きがあるが、これでは基本的には普通の法律と同じように国会の多数派が憲法をいじれるようになる。また、九月の総選挙でお きたような民意の揺らぎがそのまま憲法に反映されることになる。それこそが自民党の本当のねらいだと私には思える。」

国民を縛る憲法へ
 もし、「自民党案」が憲法として決定されたとしたら、空恐ろしい未来図が予想されます。
 緩和された改憲要件をもとに、政府与党は、法律をつくるように、個人の自由と権利を否定し制限する改憲をくりかえすにちがいありません。そして、国民に責任と義務を強制する規範を押しつける改憲をくりかえすにちがいありません。
 いずれの日にか、時の国家権力が、思いのままに改憲をもてあそんだ結果、憲法は、国家を守るために国民を縛る存在へと転落してしまうのです。

憲法は国民を守る
 「立憲主義」を否定する国家権力の暴走は、必ず戦争につながります。そのための国民精神の涵養が、改憲要件の緩和によって、憲法の名のもとに行われることになります。
 明治憲法をつくった伊藤博文は、「立憲主義」のなんたるかを充分にわきまえていました。国家権力の暴走に歯止めをかけるために、人類の英知を結集したものが、憲法であることを知りつくしていました。
 為政者は、おのれのもつ権力について、もっと謙虚に自戒しなければならないのです。
 憲法は、国民を守るために国家権力を縛る存在としてあります。

  第九章 改正

自民党改憲案
第九十六条 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議に基づき、各議院の総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体であるものとして、直ちに憲法改正を公布する。

現行憲法
第九十六条 @この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。



週刊墨教組 No.1487  2005.11.28
「立憲主義」を否定する
   「義務」「公益」「公の秩序」


義務が少ない理由
 現行憲法の第三章は、「国民の権利及び義務」として、第一〇条から第四〇条まで、主として、基本的人権について規定しています。
 「国民の義務」として規定されているものは、たった三つだけです。二六条「教育の義務」・二七条「勤労の義務」・三〇条「納税の義務」にしかすぎません。
 近代憲法の本質は、個人の権利を尊重するために、国家権力へ歯止めをかけるところにあるのですから、義務の規定が少ないのは当然といえます。
 そして、「納税の義務」にしても、「国民主権」という大原則に裏打ちされたものなのです。国家は国民を守るためにあるのですから、国家が支出する費用は、国民が自ら負担しなければなりません。納税の義務とは、国民に主権があることの裏打ちでもあるのです。
 国民は、国家による税金の使途が、国民を守るために支出されたのかどうかを、しっかりと監視する「主権者意識」をもたなければならないのです。

国民に「義務」を押しつける
 国家権力を制限して、国民の自由と権利を保障するための憲法に基づいて政治を行うことを、「立憲主義」といいます。
 憲法に、義務の少ないのは、前述したとおりですが、「自民党案」の一二条には、「義務」が突出して、「立憲主義」を否定するつぎの文言があります。

「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う。」

 国家が、国民に「義務」を押しつけることなど、「立憲主義」をはるかに逸脱しています。憲法の何たるかをわきまえない愚かな所業といえます。

「公共の福祉」から
    「公益及び公の秩序」へ
 「個人の尊重」を最も上位におく憲法の理念からすると、個人の人権を制限できるのは、別の個人の人権しかありえません。
 現行憲法のいう「公共の福祉」とは、ある個人それぞれの人権と人権が対立しせめぎあったときに、折り合いをつける原理として編み出されました。
 あくまでも、根底には、「個人の尊重」があります。
 それに比べて、自民党案にある「公益及び公の秩序」とは、個人の人権を、国家的なるものに従属させようとするものです。
 これも、「立憲主義」の否定にほかなりません。

「立憲主義」に立ちもどって
 現行「憲法」は、人間の幸福の根本には、「個人の尊重」があるとしました。
 まず国家があって個人があるのではなく、個人の幸せを守るために国家があるとしたのです。
 めざすべきは、一人一人が自分を、そして周囲の人を大切にして生きられる社会です。国民に義務を課して締め付けを厳しくする監視国家になることは、この国を悪くするばかりです。
 もう一度、憲法が、国民を守るために国家権力を縛る存在としてある、「立憲主義」に立ちもどってみなければなりません。

 

 自民党案
第十二条(国民の責務) この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならな いのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う。
 
第十三条(個人の尊重等) すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 現行憲法
第十二条【自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任】
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第十三条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。



週刊墨教組 No.1486  2005.11.16

「立憲主義」を否定する「新憲法草案」

 十月二八日、自民党は、「新憲法草案」を決定しました。
 「論点整理」や「要綱」・「原案」に見られた、古めかしい物言いは抑制され、一見、ソフトな物言いに変わりました。それだけ、自民党が「改正」に執着している証しともいえます。
 たとえ、物言いはソフトであっても、改憲の本質はなんら変わるものではありません。
 その本質とは、「立憲主義」の否定に他なりません。

「立憲主義」とは
 近代憲法の本質は、個人の権利を尊重するために、国家権力へ歯止めをかけるというところにあります。
 つまり、近代憲法は、国民を守るために、国家権力を縛る存在としてあるのです。
 国家権力を制限して、国民の自由と権利を保障するための憲法に基づいて政治を行うことを、「立憲主義」といいます。
 意外かもしれませんが、明治憲法においても、「立憲主義」は貫かれています。
 明治憲法の第二章「臣民権利義務」をめぐる枢密院での「伊藤・森論争」において、森有礼への反論として、伊藤博文はつぎのように述べています。
 「そもそも憲法創設するの精神は、第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保護するにありー」

憲法は国民を守る
 国家の暴走による侵略戦争への深い反省から誕生した現行憲法が、より強く「立憲主義」に貫かれているのは、言うまでもありません。
 現行憲法には、つぎのような規定があります。

「第九九条 天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」

 天皇や国会議員や公務員など国家権力に属するものは、憲法遵守義務が課されています。一方、国民には憲法遵守義務は課されていません。ここにも、国民が憲法を守るのではなく、憲法が国民を守るという「立憲主義」が貫かれています。
 また、現行憲法の第三章が「国民の権利及び義務」として、第一〇条から第四〇条まで基本的人権を規定しているのも、憲法が国民を守るという「立憲主義」の見地からすれば、当然すぎることなのです。

「国を愛情をもって守る責務」
 自民党案の前文には、「立憲主義」を否定する、つぎの文言があります。

 「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、・・・」

 ソフトな物言いですが、憲法が、「国民が国を愛情をもって守る責務」があるといっているのです。
 なによりまず国家。国民よりも国家が優先されるのです。
 憲法が国民を守り、憲法が国家を縛るという「立憲主義」が、根底から否定されています。憲法の性格が、百八十度転換してしまいます。
 あわせて、「愛情」とか「責任感」とか「気概」とかの用語は、法として憲法にはふさわしくない、まったく次元のちがう、個人的で感情的な用語です。

「立憲主義」を手離してはならない
 「立憲主義」に貫かれた現行憲法の前文には、つぎの文言があります。

「諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

 草案の文言と比べれば、その差異は明白です。
 わたしたちは、憲法が国民を守り、憲法が国家を縛るという「立憲主義」を、たやすく手離してはならないのです。

 自民党案  前文
 日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。
 象徴天皇制は、これを維持する。また、国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する。
 日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその実現のため、協力し合う。国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う。
 日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす。

日本国憲法  前文
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自 由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲 法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民が これを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの 安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある 地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


教育基本法の改悪をとめよう!全国集会
 五月七日 代々木公園 前回を越える参加者が結集!
集会アピール
 教育基本法の改悪が行われようとしているな か、本日、私たちは組織・団体の枠を超えて全国から集まりました。教育基本法の改悪によって「愛国心」の強制、家庭教育への介入、教育行政による教育支配 が進めば、教育は国家権力によって支配され、私たちの自由は奪われてしまうことになるでしょう。また改悪は、子どもが教育を平等に受ける権利を奪い、エ リートとその他大勢に分ける差別を強化します。

 二〇〇五年一月十八日、日本経団連は「これからの教育の方向性に関する提言」を発表し、教育基本法改悪の方針を打ち出しました。同日、同団体が発表した 「わが国の基本問題を考える」で、憲法第九条第2項の「改正」、具体的には自衛隊保持の明確化と集団的自衛権の明記が提唱されていることは、教育基本法改 悪と憲法改悪の一体性を示しています。政府は憲法「改正」のための国民投票法案の国会提出を目指しており、自民党は二〇〇五年十一月に憲法「改正」案を作 成する予定です。財界・政府・自民党ともに、「戦争する国家」づくりへ向けて、教育基本法と日本国憲法の改悪を急ピッチですすめようとしています。
 教育基本法改悪の先取りは、既に、差別・選別を推し進める「教育改革」や、卒業式・入学式での「日の丸・君が代」強制という形で、全国で実施されていま す。東京都では、教職員への「君が代」起立・斉唱の強制はもとより、生徒に「君が代」の起立・斉唱を「指導せよ」との項目を加えた校長の教職員への職務命 令が出されました。これに対して、保護者、市民、地域の労働組合による教育委員会、学校への申し入れ、校門前でのビラ撒きなどが、現場教職員の職務命令阻 止.撤回の運動と連帯して取り組まれました。子どもたちからも、卒業式での「先生をこれ以上いじめないでください!」という発言など、強制や処分に対する 批判の声があがりました。そして今年も、処分を覚悟で六十名以上の教職員が不起立・不伴奏を貫きました。これらの運動は、教育基本法改悪の先取りを許さな いたたかいであるとともに、自由と民主主義を否定する石原都政のファシズム的支配に対する貴重な抵抗運動であるといえます。北九州においては、既に二十年 前から強制が実施され、教職員によって「ココロ裁判」が続けられていましたが、四月二十六日、福岡地裁は、学習指導要領は「大綱的基準」に過ぎず、卒業式 の細目にわたっての拘束力をもつものではない、教育委員会の細部にわたる指導と実施状況の監督は「教育基本法十条1項にいう不当な支配」にあたるとし、減 給処分について、「直接、生活に影響を及ぼす処分をすることは、社会通念上著しく妥当性を欠き、裁量権の範囲を逸脱した」として、処分の取り消しを命じま した。私たちは、各教育委員会、文部科学省が、この司法判断を真摯に受け止め、直ちに「不当な支配」をやめ、処分の撤回をすることを求めます。しかし、こ の判決においても不当に認められていない憲法第十九条「思想及び良心の自由」を真に獲得し、人権がおびやかされない社会を実現するため、私たちは、さらに 良心のたたかいを続けます。
 自民党は二〇〇五年度の運動方針案に教育基本法「改正」を明記しました。しかし私たちは二〇〇三年三月二十日に中教審答申が出てから二年以上たった今日 にいたるまで、「改正」法案の国会上程を行わせていません。この情勢は、「日の丸・君が代」強制への反対運動、二〇〇三年に行われた「教育基本法改悪反 対!十二・二三全国集会」以降、新たな連帯を生み出しながら広がっていった多彩な運動の展開、憲法改悪に反対する運動・世論の大きな広がりなどによって生 み出されたものだといえます。しかし、政府.与党は教育基本法改悪法案の国会上程をあきらめてはいません。また二〇〇五年四月五日には、近代日本の侵略戦 争と植民地支配を賛美する「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史・公民教科書が検定を通過しました。「つくる会」教科書の検定合格と採択へ向けての動き は、教育基本法と日本国憲法の改悪と密接に関係しています。私たちは「つくる会」教科書の採択に反対します。それは「つくる会」教科書の検定合格、小泉首 相の靖国神社参拝、日本の急速な軍事大国化などに対して立ち上がった中国・韓国をはじめとするアジアの市民の訴えに誠実に応答し、彼らと平和に基づく連帯 をつくっていきたいと考えるからです。そのためには過去における日本の侵略戦争の責任を明確にし、学校教育の場で子どもたちに教えていくことが必要不可欠 です。二〇〇五年七月から八月にヤマ場を迎える「つくる会」教科書採択を阻止すること、それは教育基本法改悪法案の国会上程、さらには改悪そのものを阻止 することにつながります。
 私たちは、教育における自由と平等と民主主義の理念を守り、実現し、今また繰り返されようとしている侵略の歴史にストップをかけるために、教育基本法の改悪を全力で阻止することを、ここに宣言します。
二〇〇五年五月七日       
   教育基本法の改悪をとめよう!  五・七全国集会参加者一同




週刊墨教組 No.1471 2005.4.27

五月七日 代々木公園へ
 子どもは「お国」のためにあるんじゃない!
 教育基本法の改悪をとめよう!全国集会へ

 今国会での教育基本法「改正」案の提出は、「愛国心」をめぐっての与党内の調整がつかず、提出は困難となりました。だからといって安心はできません。自 民党内には、憲法改悪と教育基本法改悪を連動させるという志向は根強く、今年十一月にまとめる自民党の憲法「改正」案を踏まえて、憲法改悪と教育基本法改 悪とい目標を、一挙に突破しようとしています。今こそ、「憲法改悪・教育基本法改悪」阻止の大きなうねりを全国的な規模でつくりあげていかなければなりま せん。五月七日の全国集会は、この点で大きな節目となります。

 新憲法起草委員会
一月二十四日、自民党の新憲法起草委員会には、検討項目別に、十の小委員会が設けられています。
 「前文に関する小委員会」がまとめた中間集約の例文には、「国民の義務」について、「基本的人権を常に公共の利益のために行使する責任を負う。公共の義務を進んで果たし、国家及び社会のために能力に応じて寄与する」とあります。
 また、「安全保障に関する小委員会」は、九条を「改正」し、軍事組織保持・集団的自衛権行使と国際貢献に伴う海外での武力行使の容認で一致しています。
 さらに、「国民の権利と義務に関する小委員会」は、靖国参拝を想定し、政教分離緩和の方針を打ち出しています。

 改憲と連動する教基本「改正」
 自民・公明、民主三党は、憲法「改正」の手続き法となる国民投票法案の今国会提出をめざして調整することで合意しました。三党の合意により、改憲に向けた動きが、現実のものとなっています。
 いうまでもなく、侵略戦争への深い反省から、憲法・教育基本法は、統治機構や行政機構の暴走を制御するために制定されました。つまり、憲法・教育基本法 は、国家を縛るためにあるのです。戦後日本の規範としての戦争否定の姿勢を絶対放棄してはならないのです。私たちは、ひるむことなく、憲法改悪と教育基本 法改悪阻止の闘いをつづけていくのです。

 最大規模の全国集会を成功させよう
 教育基本法改悪反対の一点で、組織・団体の枠を超え、全国集会が過去二回開催されてきました。二〇〇三年一二月二三日集会は四〇〇〇人以上、二〇〇四年 一一月六日には五五〇〇人にもの人々が全国から参加しました。今回、全国各地のとりくみを結集し、これまででの最大規模の全国集会を開催します。多くの方 の参加を呼びかけます。

教育基本法の改悪をとめよう!全国集会
5月7日(土) 代々木公園
11時〜14時 交流の広場
13時〜14時 ライブ ソウル・フラワー・モノノケ・サミット
14時〜15時半 決起集会
呼びかけ人スピーチ 大内裕和・小森陽一・高橋哲哉・三宅昌子
全国からの発言 憲法・教科書問題からの発言
16時 デモパレード
 2003年12月23日に4000人以上で開かれた「教育基本法改悪反対全国集会」は、2004年11月6日には5500人もの人々が集まりました。与 党は2005年通常国会に教基法「改正」法案を提出する準備を着々と進めています。これがなされれば、東京の「不当な支配」は法的にも正当化されるでしょ う。そして、全国化するでしょう。
 教基法をめぐる攻防は山場を迎えています。国会上程阻止に向けて、東京の教育行政による権力濫用=教育支配をきっぱりと否定するためにも、全力でとりくみましょう。




週刊墨教組 No.1465 2005.2.7

教育基本法「改正」案 今国会提出は見送り
    改憲と連動する教基法改悪


 一月二一日、第百六十二通常国会が、六月十九日までの百五十日の会期で、召集されました。
 小泉首相は、衆参両院本会議で施政方針演説を行い、「教育基本法の改正については、国民的な議論を踏まえ、積極的に取り組んでまいります」と強調しました。
 しかし、二十六日、「愛国心」をめぐっての与党内での調整がつかず、今国会での教育基本法「改正」案の提出は困難となり、見送る方針が決まりました。

性急に結論を出す必要はない
 二十六日、公明党の神崎代表は、記者会見で、「教育基本法は準憲法的な性格で、憲法改正と連動して結論を出した方がいい。この国会でやらなければいけない、と性急に結論を出す必要はない」と、「改正」案提出に否定的見解を示しました。
 だからといって、安心はできません。

改憲と連動する教基法「改正」
 自民党内にも、憲法「改正」と教育基本法「改正」を連動させるという志向は根強く、例えば、教育基本法改正の与党検討会座長を務める保利耕輔元文相は、「憲法と基本法の合わせ技でいかないと矛盾が出てくる」と明言しています。
 今年十一月にまとめる自民党の憲法改正案を踏まえて、改憲と教基法「改正」という目標を、一挙に突破しようとしているのです。
 小泉首相も、施政方針演説の中で、「戦後六十年を迎える中、憲法の見直しに関する論議が与野党で行われております。新しい時代の憲法の在り方について、大いに議論を深める時期であると考えます」と強調しています。

新憲法起草委員会
 このような情勢に呼応するように、二十四日、自民党は、新憲法起草委員会の初総会を開きました。森喜朗委員長は、「自主憲法制定は立党以来の党是。国民の関心が広がっているこの機会に、党を挙げて改正草案を取りまとめたい」とあいさつしたといいます。
 起草委員会には、検討項目別(前文、天皇、安全保障・非常事態、国民の権利・義務、国会、内閣、司法、財政、地方自治、改正手続き・最高法規の位置づけ)に、十の小委員会が設けられています。三月までに報告書をまとめ、森委員長による試案として集約されます。いつものことですが、凄まじい拙速です。
 昨年末の党憲法調査会がまとめた改憲大綱素案は、あまりに杜撰で、白紙撤回されるという醜態を演じました。そのことに懲りて、小委員会委員長には、中曽根康弘(前文)など、重厚な面子を揃えています。
 油断できません。あなどれません。
 私たちも、左記の区民の集会などに参加して、ささやかでも、抵抗しつづける力を結集しなければなりません。


 学習会へのお誘い

子どもたちの教科書は今・・・・?!
〜教育をめぐる危機と教科書採択の行方〜
2・19講演学習会へ!!!
 講演:三宅晶子さん(千葉大学教授)
&  リレートーク


何が目的? 学校教育改革・・・
「新しい歴史・公民教科書」で何を教えようとしているの?
国のため、戦場に送るための子どもじゃない!

みんなの声で「つくる会」(扶桑社)の教科書採択にストップを!
皆さんの「?」や「ひとこと言いたい!」をぜひこの集いに寄せてください!

三宅晶子さん
1955年生まれ 千葉大学教授
著書
『「心のノート」を考える』(岩波ブックレット)
『ちょっと待ったぁ!教育基本法「改正」―「愛国心教育」「たくましい日本人」「心のノート」のねらいを斬る』(共著、学習の友社)など

2月19日(土)午後1:00〜
生涯学習センター(ユートリア)和室
京成・東武曳舟駅5分
資料代:500円
連絡先:教育を考える墨田ネットワーク

週刊墨教組 No.1458  2004.11.16
さあ もういっぺん  日比谷野外音楽堂へ
日教組の旗のもと
 教育基本法改悪ストップ!
 十一・二一全国集会へ

      十三時二〇分開演

十一・六全国集会
 『教育基本法の改悪をとめよう! 十一・六全国集会』は、組織・団体の枠を超えて全国から五千五百人の人々が結集しました。
 墨田区教職員組合は、この集会の賛同団体として、全力を尽くして臨みました。
 集会には、教育基本法改悪反対への熱い意思と力がみなぎっていました。
 それは、閉会にあたり、力強く採択された集会アピール(裏面参照)に、見事に反映しています。

緊迫する情況
 教育基本法をめぐる情況は、きわめて緊迫しています。九月十五日、自民・公明両党の教基法改正に関する協議会・第七回会合で、両党で合意した家庭教育や幼児教育の充実、私立学校の振興などの項目について、文部科学省が「改正」案の条文作成作業に入ることを正式に確認しました。
 また、「愛国心」に関する文言をどう盛り込むか、宗教教育の在り方など、両党間で意見が異なる項目は引き続き検討会で議論を深めることを確認しています。
 文科省が改定作業に入った今、次期通常国会への法案提出は必至です。
 何としても、法案提出をくい止めるために、力を奮いおこして、幅広い運動をつくりださなければなりません。まさに正念場のたたかいとなります。
 十一・六全国集会の大きなうねりを、日教組の旗のもと、十一・二一全国集会につなげなければなりません。

十一・二一集会へ
 十一月二十日は、「子どもの権利条約」が採択された日です。
 集会では、子どもたちが意見表明します。
 子どもは「お国」のためにあるのではありません。
 いうまでもなく、侵略戦争への深切で痛苦な反省から、憲法・教育基本法は、統治機構や行政機構の暴走を制御するために制定されました。つまり、憲法・教育基本法は、国家を縛るためにあるのです。私たち個々が、国家に対して、行使するために、憲法・教育基本法の規定があるのです。
 いま、まさに、その関係が、大逆転されようとしています。
 憲法・教育基本法の理念は、生きて行使されなければなりません。
 墨田教組とゆかりの深い、集会で講演される大内裕和さんは、次のようなメッセージを寄せています。

教育基本法の改悪が狙われています。
教育基本法はこれまで政府によって十分に尊重されてきたとはいえません。しかし教育基本法がその意味を失ったわけではありません。個人の尊重と平和主義を唱え、国家権力に規制をかける法という性格をもつ教育基本法は、国家主義と軍事大国化へ向けての力が急激に増大しつつある現在、むしろますますその意義を高めているといえます。教育基本法の改悪を阻止するために、この集会をぜひとも成功させましょう!

 教育基本法の改悪をとめよう!
           11・6全国集会集会アピール


 本日、私たちは組織・団体の枠を超えて全国から集まり、教育基本法の改悪がどのような問題をもっているのかをお互いに確認しました。教育基本法が2004年6月16日、「与党教育基本法改正に関する協議会」から出された中間報告の方向で改悪されるならば、教育は国家が私たち一人ひとりを支配するための手段へと変えられてしまいます。
 与党中間報告は、前文の「憲法の精神に則り」の扱いが検討事項となっていることからもわかるように、教育基本法の精神そのものを解体する内容となっています。第1条(教育の目的)において「個人の尊厳」と「平和的な国家及び社会の形成者」という部分が削除され、個人主義と平和主義という教育基本法の根本理念が否定されています。また第10条(教育行政)は、「教育は、不当な支配に服することなく」から「教育行政は、不当な支配に服することなく」へと書き換えられています。これによって教育現場は教育行政によつて全面的に支配され、その自由は奪われることとなります。さらに子どもや親の教育の権利を保障するのではなくその責務が規定され、国家権力に規制をかける法から私たち一人ひとりを拘束する法へとその性格が180度転換しています。与党中間報告は2003年3月2日に出された中央教育審議会答申以上に、現行の教育基本法の理念を根本から否定するものだといえます。
 すでに教育現場の状況は極めて悪化しています。日の丸・君が代」の強制は、国旗国歌法制定時の「強制するものではない」という政府答弁にもかかわらず、全国各地の教育現場で猛威を振るい、多数の教職員が処分されています。現場で地道に積み重ねられてきたれてきた性教育やジェンダー・フリー教育の実践に対しては、これらの意義をねじまげる政治家や教育行政によって不当な介入がなされ、激しく攻撃されています。国立大学の法人化は、研究と教育に対する政府の管理・統制を強めると同時に、経営体としての「自立」か強制されることによって、各大学は苦しい運営を余儀なくされています義務教育費国庫負担の削減・廃止への動きは、教育における地域間格差を一層拡大し、・教育の機会均等を奪う危険性をもっています。これらは教育基本法の改悪を実質上先取りした動きであるといえます。
 その問題性を最も鮮明に示したのが東京都の教育行政です。2003年10月23日に東京都教育委員会は、「入学式・卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」通達を出しました。この「10・23通達」に基づいて「職務命令」を出し、それに従わない教職員を300名以上処分しました。そこには国歌斉唱時に不起立であった者から、生徒の不起立を理由とする者までが含まれています。こうした東京都教育委員会による教育行政は、教育基本法第10条の定める「不当な支配」そのものであり、教職員と子どもの「思想・良心の自由」(日本国憲法第19条)を侵害する暴挙であるといえます。これに対して多くの教職員か処分を覚悟で不起立を貫いたことは、教育現場の自由を守る貴重な闘いであると同時に、教育基本法改悪の実質的なな先取りに対する抵抗運動であるといえます。彼らの闘い、教育基本法の改悪を阻止する運動そのものであり、私たちは心からエールを送ります。来年の卒業式・入学式へ向けて、「10・23通達」反対!「日の丸・君が代」強制反対!子ども中心の卒業式・入学式を!教育基本法改悪反対!という声をさらに大きくし、連帯・支援の輪を全国に広げていこうではありませんか。
 教育基本法はこれまで政府や教育行政によって十分に尊重されてきたとはいえません。しかもそれを無視する傾向は近年、一層強まりつつあります。しかし教育基本法が意味を失っているかというと全くそうではありません。個人の尊重と平和主義を唱え、国家権力に規制をかける法という性格をもつ教育基本法は、国家主義と軍事大国化へ向けての力が急激に増大しつつある現在、むしろますますその意義を高めているといえます。
 教育基本法か改悪されることになれば、私たちが大切にしてきた教育の自由と平等はその防波堤を失い、状況がさらに悪化することになるのは確実です。それだけにとどまらず、これは戦後における教育や社会の原理・原則を転換することにつながります。「国を愛する心」=「愛国心」が教育基本法に盛り込まれれば、国家に従順な「心」や「内面」をもつことがあらゆる教育の場で強制されます。学校現場ばかりでなく、家庭や地域を含めた社会全体で、国家・政府に従うこと、最終的には命をも投げ出すことが善だという規範がおしつけられることになります。それは国家の交戦権を否定し、人々が国家のために犠牲となることを否定した日本国憲法9条の改悪とも直結しています。
 こうした教育の国益中心主義は、子どもたちを国家や企業にとって役立つかどうかで差別・選別する状況をもたらします。近年の教育改革によって、学校現場に市場原理が次々と導入され、教職員と子どもたち、そして保護者もこれまで以上に激しい競争に巻き込まれています。それに加えて小学校・中学校における学校選択、習熟度別指導、中高一貫校など、子どもたちを「能力」によって早期に振り分け、格差を拡大する政策が進められています。教育基本法の改悪はこの方向を固定化し、教育の平等はさらに奪われることになるでしょう。
 戦後初めて自衛隊の戦地への海外派兵が強行され、「戦争のできる国家」へ向けての転換が急速に進みつつある現在、「戦争する国家」を支える「国民精神」を教育の場で育成することが狙われています。教育基本法の改悪は、この社会の原則そのものを「平等と平和」から「差別と戦争」へと大きく転換させるものにほかなりません。
 本日の集会に参加した私たちは、このような教育基本法の改悪を全力で阻止することをここに宣言します。
                  2004年11月6日
教育基本法の改悪をとめよう! 11・6全国集会参加者一同

刊墨教組 No.1456   2004.10.26

日比谷野外音楽堂へ

 教育基本法の改悪をとめよう!

  十一・六全国集会へ

十二・二三集会の熱と力

 私たちは、昨年十二月二三日、四千人を超す人々が結集した日比谷公会堂での『教育基本法改悪反対全国集会』の熱と力を、しっかりと記憶しています。

 四人の呼びかけ人の方が、身体の疲労をいとわずに、全国を縦横無尽に奔走され、教育基本法改悪反対運動のうねりを先頭になって牽引されたことによって、この集会が成立したのでした。

 今年も、四人の方が、左記のような、清冽な意思のこもった呼びかけを行っています。

 私たちは、呼びかけに応えなければなりません。

規範としての戦争否定の姿勢

 国家が犯しうる「悪」の最も凝縮されたものは、戦争にほかなりません。

 恐るべき悲劇を国民に強いる戦争と、それを遂行しうる国家権力の全能性や恣意性を規制するために、戦争の痛苦の体験をもとに、人々は教基法十条や憲法九条の規定を選びとったのです。

 戦後日本の規範としての戦争否定の姿勢を、絶対に放棄してはならないのです。

グローバル化の中の「愛国」教育

 ところが、どうでしょう。

 五月十七日、安倍前幹事長は、自民党の都道府県連に、各地方議会で教育基本法改正推進の決議をあげる動きを強めるよう指示しました。

 六月十一日には、民間臨調(「日本の教育改革」有識者懇談会)と教育基本法改正促進委員会(自民・民主・無所属の国会議員三三五人)が合同総会を開催し、「新教育基本法大綱」を決定しています。「大綱」には、「社会・国家、ひいては世界に貢献する日本人を育成することが目的である旨規定する」とか、「伝統と文化の尊重、愛国心の涵養・道徳性の育成が重要である旨規定する」などの文言があります。

 新自由主義と新国家主義は補完しあい結託して、グローバル化の中の「愛国」教育をおしすすめ、この国を「戦争ができる国」にしようとしています。まさに戦争前夜です。

日比谷野外音楽堂へ

 なによりもまず平和を。

 子どもは「お国のため」にあるのではありません。

 私たちは、教育基本法の改悪に反対します。

 四人の呼びかけに応えて、一人でも多くの方が、日比谷野外音楽堂での集会に参加されることを、心から強く願うものです。

11.6全国集会への呼びかけ

今、私たちは、大きな岐路に立たされているのではないでしょうか。「戦争か平和か」、「差別か平等か」という根本的な選択が、私たちに迫られています。

すでに教育現場の状況はきわめて悪化しています。2003年10月23日東京都教育委員会は、「入学式・卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」通達を出し、春には教員自身の国歌斉唱時不起立のみならず、生徒の不起立をも理由として300名以上の教職員を処分し、さらには「再発防止研修」で「反省」を強制しました。これは教職員と子どもの思想・良心の自由(憲法第19条)を侵害するものであり、「教育は、不当な支配に服することなく」と書かれた教育基本法第10条に違反する「不当な支配」そのものです。しかし、まさにこの10条が、与党検討会の中間報告(6月16日)では、「教育行政は、不当な支配に服することなく」と、根本から書き換えられ、次の通常国会に出されようとしているのです。私たちに残された時間はわずかしかありません。

教育基本法が改悪されることになれば、私たちが大切にしてきた教育の自由と平等はその防波堤を失い、教育や社会の原理・原則そのものが、大きく転換されるでしょう。2004年2月、超党派議員連盟「教育基本法改正促進委員会」の総会で、ある国会議員は「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す」と発言しました。「国を愛する心」=「愛国心」が教育基本法に書き込まれるならば、家庭や地域を含めた社会全体で、国家・政府に従うこと、最後には命をも投げ出すことが善だという規範がおしつけられることになるでしょう。それは国家の交戦権を否定し、国家のために犠牲となることを否定した憲法第9条の改悪とも直結しています。

教育の国益中心主義は、子どもたちを国家や企業にとって役立つかどうかで差別・選別する能力主義体制としても既に進行しています。小学校・中学校における学校選択、習熟度別指導、中高一貫校などの「教育改革」は、子どもたちを競争させ、「能力」によって早期に振り分け、格差を拡大していきます。

このように、教育基本法の改悪は、「平和と平等」を目指してきたこの社会を、「戦争と差別」の社会へと大きく転換させようとするものです。私たちは、このまま黙って、「戦争と差別」の社会で生きていくことを選択するのでしょうか?子どもたちを、そのような社会へと追い込んでいくのでしょうか?

昨年12月23日の「教育基本法改悪反対!12・23全国集会」では、教育基本法改悪反対の一点で、組織・団体の枠を超え、4000人以上もの人々が全国から集まりました。集会では、各地の教育現場で苦闘する教職員、市民、子どもたちの発言とその毅然とした姿が、参加者の心を強く打ちました。その熱い思いは、「12・23方式」の集会となって、今、全国各地へと大きく広がっています。そして2004年4月24日、「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」が発足し、これまでで最大規模の全国集会を11・6に開催しよう!と決め、さらに連帯を広げ、自由と平等と平和を求める全国の人々の力で改悪をとめよう!と、様々な活動を続けています(詳しくはホームページhttp://www.kyokiren.net/をご覧ください)。

教育基本法の改悪に反対するすべてのみなさん、今こそ、声を上げましょう!

 そして、「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」および11・6全国集会に、個人・団体で賛同、連帯してくださることを、心からお願い致します。

教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会

呼びかけ人:大内裕和、小森陽一、高橋哲哉、三宅晶子

週刊墨教組 No.1447  2004.7.6
「平和」をうちすててよいのか
      教育基本法改正与党中間報告批判

与党中間報告
 自民党・公明党による教育基本法改正の検討会は、十六日、改正に盛り込むべき項目と内容についてとりまとめ、中間報告を行いました(資料参照)。
 メディアの注目は、「教育目標」のEとして、「郷土と国を愛し」(自民党)と「郷土と国を大切にし」(公明党)が併記されたことに集中していました。
 しかし、そのほかにも、看過できない根源的な欠陥が中間報告にはあります。

「平和」をうちすててはいけない
 とくに、与党中間報告の「教育の目的(第一条)と「教育の目標」(第二条)には、根源的な欠陥が露呈しています。
 現行教育基本法第一条と第二条は、「簡潔明瞭で、格調高い」、つぎのような条文です。

第一条(教育の目的)教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主の精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

第二条(教育の方針)教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

 読み比べれば、中間報告の欠陥は余りにも明らかです。
 現行の教育基本法にある「平和的な国家及び社会の形成者として」が、端的に示すように、憲法の理念に根ざした、「平和」への志向が、この条文には、熱くみなぎっています。
 ところが、中間報告の「教育の目的」「教育の目標」では、同じ言葉が羅列されていますが、「平和」への志向は、無残にも解体されています。

戦前のリプレイ
 贅言は要しないでしょう。
 「方針」を「目標」と歪曲してはいけない。
 ましてや「涵養」などという、天皇制イデオロギーに彩られた一九三〇年代に流行した言葉を使用すべきではありません。
 「道徳心」や「公共」には、「修身」と「国家」が投影しています。〈戦前〉がリプレイされています。
 戦前への回帰は許してはなりません。

教育振興基本計画
 「教育振興基本計画」について、世間の関心は深くありません。
 しかし、このことが、重要な焦点となります。
 墨田教組と信義と友愛で結ばれた大内裕和さん〈松山大学〉は、つぎのように指摘しています。

「教育基本法が改正されて教育振興基本計画の策定が根拠づけられれば、文科省は巨大な権限を得ることができます。閣議決定を得られれば、あとは文科省が、自由に基本計画を策定できることになります。文科省による教育政策を国会の審議を経ることなく実現できるのです。教育振興基本計画を教育基本法へ盛り込むことによる『改正』は、理念法としての教育基本法を行政施策法へと転換させ、文科省の権限拡大と教育内容への介入を促進することは間違いありません。」

資料
教育基本法に盛り込むべき項目と内容について(中間報告)

 与党教育基本法改正に関する検討会においては、これまで教育基本法に盛り込むべき項目及び内容について検討を深めてきた。検討にあたっては、次の4点を前提としてきた。
@教育基本法の改正法案は、議員立法ではなく、政府提出法案であること
A改正方式については、一部改正ではなく、全部改正によること
B教育基本法は、教育の基本的な理念を示すものであって、具体的な内容については他の法令に委ねること
C簡潔明瞭で、格調高い法律を目指すこと

教育基本法に盛り込むべき項目については、次のようにした。
○ 前文
○ 教育の目的
○ 教育の目標
○ 教育の機会均等
○ 生涯学習社会への寄与
○ 家庭・学校・地域の連携協力
○ 家庭教育
○ 幼児教育
○ 学校教育
○ 義務教育
○大学教育
○私立学校教育の振興
○教員
○社会教育
○政治教育
○宗教教育
○教育行政
○教育振興基本計画
○補則


各項目に盛り込むべき内容については、現時点でのとりまとめは別紙のとおりである。

 なお、それぞれの項目及び内容については、

・現行法前文中の「憲法の精神に則り」の扱いについて
・国を愛する心について
・宗教教育及び宗教的情操の内容と扱いについて
・義務教育制度について、特にその年限の扱いについて
・中等教育の意味と高等学校、大学の位置づけ
・職業教育について
・幼児教育と家庭教育について
・教育における国と地方の役割について
・私学振興と憲法第89条とのかかわりについて
・教育行政における「不当な支配に服することなく」について
・学校教育における学習者の責務について

などの論点があり、さらに検討を要するものである。


宗教教育
○宗教に関する寛容の態度と一般的な教養並びに宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されること。
○国・公立の学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならないこと。

教育行政
○教育行政は、不当な支配に服することなく、国・地方公共団体の相互の役割分担と連携協力の下に行われること。
○国は、教育の機会均等と水準の維持向上のための施策の策定と実施の責務を有すること。
○地方公共団体は、適当な機関を組織して、区域内の教育に関する施策の策定と実施の責務を有すること。

教育振興基本計画
○政府は、教育振興に関する基本的な計画を定めること。

補則
○この法律に掲げる諸条項を実施するため、適当な法令が制定されること。                                   
付記
・「教育の目標」中の「国を愛し」「国を大切にし」については、統治機構を愛するという趣旨ではないとの認識で一致した。
・「宗教教育」については、宗教が情操の涵養に果たす役割は教育上尊重されることを盛り込むべきとの意見があった。
・「教育行政」中の「不当な支配に服することなく」については、適切な表現に変えるべきとの認識で一致した。

幼児教育
○幼児教育の重要性にかんがみ、国・地方公共団体はその振興に努めること。

学校教育
○学校は、国・地方公共団体及び法律に定める法人が設置できること。
○学校は、教育の目的・目標を達成するため、各段階の教育を行うこと。
○規律を守り、真摯に学習する態度は、教育上重視されること。

義務教育
○義務教育は、人格形成の基礎と国民としての素養を身につけるために行われ、国民は子に、別に法律に定める期間、教育を受けさせる義務を負うこと。
○国・地方公共団体は、義務教育の実施に共同して責任を負い、国・公立の義務教育諸学校の授業料は無償とすること。

大学教育
○大学は、高等教育・学術研究の中心として、教養の修得、専門の学芸の教授研究、専門的職業に必要な学識と能力を培うよう努めること。

私立学校の振興
○私立学校は、建学の精神に基づいて教育を行い、国・地方公共団体はその振興に努めること。

教員
○教員は、自己の崇高な使命を自覚して、研究と修養に励むこと。教員の身分は尊重され、待遇の適正と養成・研修の充実が図られること。

社会教育
○青少年教育、成人教育などの社会教育は、国・地方公共団体によって奨励されるものであり、国・地方公共団体は学習機会の提供等によりその振興に努めること。

政治教育
○政治に関する知識など良識ある公民としての教養は、教育上尊重されること。
○学校は、党派的政治教育その他政治的活動をしてはならないこと。


別 紙
前文
○法制定の背景、教育の目指す理想、法制定の目的

教育の目的
○教育は、人格の完成を目指し、心身ともに健康な国民の育成を目的とすること。

教育の目標
○教育は、教育の目的の実現を目指し、以下を目標として行われるものであること。
@真理の探求、豊かな情操と道徳心の涵養、健全な身体の育成
A一人一人の能力の伸長、創造性、自主性と自立性の涵養
B正義と責任、自他・男女の敬愛と協力、公共の精神を重視し、主体的に社会の形成に参画する態度の涵養
C勤労を重んじ、職業との関連を重視
D生命を尊び、自然に親しみ、環境を保全し、良き習慣を身に付けること
E-1 伝統文化を尊重し、郷土と国を愛し、国際社会の平和と発展に寄与する態度の涵養
E-2 伝統文化を尊重し、郷土と国を大切にし、国際社会の平和と発展に寄与する態度の涵養

教育の機会均等
○国民は、能力に応じた教育を受ける機会を与えられ、人種、信条、性別等によって差別されないこと。
○国・地方公共団体は、奨学に関する施策を講じること。

生涯学習社会への寄与
○教育は、学問の自由を尊重し、生涯学習社会の実現を期して行われること。


家庭・学校・地域の連携協力
○教育は、家庭、学校、地域等の連携協力のもとに行われること。

家庭教育
○家庭は、子育てに第一義的な責任を有するものであり、親は子の健全な育成に努めること。国・地方公共団体は、家庭教育の支援に努めること。


週刊墨教組 No.1446  2004.6.29

今回は必ず投票しよう
改憲・「戦争できる国」にノー


改憲の危機
 参議院選挙は、六月二四日に公示され、七月十一日に投票が行われる。
 さて、第一五九通常国会が、六月十六日、一五〇日間の会期を終え、閉会した。政府提出の一二〇法と議員提出の十五法、あわせて一三五法が成立した。四十年ぶりの「大量」の立法であった。
 にもかかわらず、「自衛隊の多国籍軍参加」は、まともに国会で審議されることもなく、国会閉会直後に、「政府見解」を閣議了解して決定されたのである。
 ついに、憲法九条との整合性などは、全く説明されないままであった。言葉を弄ぶだけで、説明責任を果たさない、小泉首相の暴走は加速するばかりである。
 「国民そっちのけ」「市民をなめきった」小泉首相の姑息なやり口がまかり通る怖さ。
 小泉首相は、二〇〇五年の改憲を、はばかることなく明言している。所信表明演説・施政方針演説でも、くりかえし、教育基本法の見直しについて、明確な意思表示をしている。
 今回の参議院選挙のあとは、二〇〇七年まで選挙はない。このことを有権者はしっかりとわきまえなくてはならない。

多国籍軍参加政府見解
 「多国籍軍参加政府見解」には、つぎの文言がある。

 「六月三十日以降、自衛隊は、多国籍軍の中で、統合された司令部の下にあって、同司令部との間で連絡・調整を行う。しかしながら、同司令部の指揮下に入るわけではない。自衛隊は、引き続き、我が国の主体的な判断の下に、我が国の指揮に従い、イラク人道復興支援特措法及びその基本計画にもとづき、イラク暫定政府に歓迎される形で人道復興支援活動等を行うものであり、この点については、今般の安保理決議の提案国であり、多国籍軍及びその統合された司令部の主要な構成国である米、英両政府と我が国政府との間で了解に達している。」(朝日新聞十九日夕刊 ゴシック体は引用者)

 まず、「統合された司令部」という言葉は、国連決議にある「ユニファイド・コマンド」の訳語なのだろうが、通常、「統一された指揮」と訳すべきである。
 小泉首相は、自衛隊は日本の指揮に従うと、頑なに言い張ってきた。辻褄合わせのための、意図的でひとりよがりの「誤訳」と指摘されてもしかたないだろう。
 また、小泉首相は、米英両政府からも了解をとっていると強弁してきた。
 真相は、大使以下の公使レベルの口約束にすぎなかったのである。
 小泉首相は、公使が口約束したとされる英外務省高官や米国務省高官の名について、質問されても、口を噤んだままである。

平和憲法の意義
 また、「多国籍軍参加政府見解」には、つぎの文言もある。

 「なお、自衛隊は、これまで同様、憲法の禁じる武力の行使に当たる活動を行うものではなく、イラク人道復興支援特措法に基づき、いわゆる『非戦闘地域』において活動するものであり、他国の武力の行使と一体化するものではない。
 以上のとおり、自衛隊が多国籍軍の中で活動を行うことは、憲法との関係で許されないとしてきたいわゆる多国籍軍への参加に関する従来の政府見解を変えるものではない。」

 まがりなりにも、厳然として、憲法の存在が、「政府見解」を制約している。
 何よりもまず、平和を希求する、現行憲法の意義は大きい。
 このことは、しっかりと胸に明記しておかなければならない。
 改憲されれば、歯止めがなくなった自衛隊の武力行使は、青天井となるだろう。

日本を私物化する小泉首相
 小泉首相は、六月八日、サミットが開かれたジョージア州シーアイランドで、ブッシュと会談し、「暫定政府に歓迎される形でイラク特措法に基づく自衛隊の派遣を継続する」と述べ、多国籍軍への参加を表明した。
 小泉首相は、国会論議抜きで方針を伝えたのである。その上、どこまでもブッシュという権力に拝跪する小泉首相は、国連安全保障理事会の新決議について、「採択を歓迎する。これは決して米国の譲歩ではなく、米国の大義の勝利だ」と卑劣なおべんちゃらを言ったのであった。
 小泉首相は、イラク攻撃をまっさきに支持表明した前歴がある。
 イラク戦争とは、理不尽きわまりない明白な軍事侵略である。アメリカの単独行動主義が、国際ルールを無視して暴走し、肥大化した武力で、気に入らない弱小国を叩きのめしたのだ。正義などひとかけらもない、卑怯で愚劣な蛮行である。アメリカこそテロ国家そのものである。
 今に至るも、イラクの大量破壊兵器の痕跡すら発見されていない。米議会の調査委員会ですら、アルカイダとイラクの旧フセイン政権との協力関係を否定する結論を公表している。
 アメリカに大義など、露ほどもないのは明白だ。
 小泉首相は、日本をほしいままに私物化している。
 多国籍軍に参加しなくても、イラクの復興支援はできる。むしろ、参加しないことこそ、イラクの人々の信をえることができるのだ。

今回は必ず投票しろよ
 作家の小林信彦が、『敗戦時十二歳のつぶやき』というエッセイで、次のように記している(『朝日新聞』六月二十一日付夕刊)。

「薄暗い閉鎖的なトンネルといってもいい。小泉内閣が生まれたとき、そのトンネルを抜けた、とぼくは思った。まさか、そこから〈戦前〉のリプレイの恐怖が始まるとは思ってもいなかった。いや、軍歌の「ああ堂々の輸送船」に近いイラク行きの自衛隊の船をテレビで見ると、これは正に〈戦時〉であった。ただ、戦争を体験していない政治家・官僚が大半なので、このリプレイには歪みと滑稽さがあった。」
「いまや、弱者への見当違いのバッシングが、〈非国民〉 呼ばわりの代わりに存在する。戦時中に存在した大半の罰則はそろいつつある。」

「ぼくは会う友人に向かって、今回は必ず投票しろよと、がらにもなく語りかけている。」


六・二二、「日の丸・君が代強制、不当処分撤回」を求め、
都庁に一五〇〇人を越える教職員が怒りの結集


 東京教組、都教組、都高教の委員長が呼びかけ人となって、六月二二日、午後四時三〇分から「日の丸・君が代強制、不当処分撤回」、「教員給与水準確保・教育諸条件改善」を求め、集会が開催されました。教育関係労組九団体(東京教組、都教組、都高教、都障労組、都障教組、アイム89、校職組、都職労教育庁支部、都職労都立学校支部)から、この集会に一五〇〇人を越える組合員等が参加し、集会では、各代表から「一〇・二三実施指針」撤回、不当「処分」と教育介入に抗議し、その撤回を求める発言が続きました。
 この集会は、教育関係九団体が、共にこの闘いにとりくむことを鮮明にしたものであり、その意味からも意義あるものとなりました。

 支援し、共に闘い続けよう
 「日の丸・君が代強制」実施指針が出されて以来、三一五名が不当にも処分されました。この内14名が小中学校の教職員であり、8名が東京教組の組合員です。この8名の方は、処分を不当とし、まとまって東京都人事委員会に、審査請求書を提出し、処分撤回に向け闘うことを意志表示されました。私たちは共に闘う立場から、「『君が代』不当処分撤回を求める会」(東京教組内)に加入し、支援し、共に闘い続けるものです。
 今回の処分は、上意下達の管理体制を学校職場に徹底させ、学校教育を強権的に支配しようとするものです。それが到達するところは、「戦争ができる」国=憲法改悪・教育基本法改悪です。この策動を阻止するためにも、人事委員会への提訴は重要な意味をもつものと考えます。多くの方が、「君が代不当処分撤回を求める会」に加入されることを求めます。



教育基本法改悪がねらう 「国のために死ねる人を」
      ー西村真悟の発言を糺すー

教育基本法改正促進委員会
 自民党と民主党による超党派の議員連盟が、教育基本法改悪をめざして、露骨な介入をはじめました。
 朝日新聞(二六日付け朝刊)によれば、二月二五日に、「教育基本法改正促進委員会」(教基法「改正」促進議連)の設立総会が行われました。
 同議連の最高顧問である自民党の森喜朗前首相は、「教育基本法の改正をもうひとつ、前に進められない。(民主党が)ご協力くださるのは、大変ありがたい」とあいさつしたといわれます。
 また、同議連の会長に、亀井郁夫参議院議員が就きました。亀井は、広島の教育攻撃の急先鋒となってきた人物です。そして、『心のノート』の端緒をつくった人物としても記憶に新しい。亀井は、日本会議議連のメンバーとして、二〇〇〇年三月、国会で、道徳副教材を作れと要求し、それに応えて、同議連メンバーである中曽根弘文文部大臣が、すぐに作成に着手したのが『心のノート』だったのです。
 教育基本法改悪に向けて、周到に準備された人脈が、またぞろ臆面もなく、うごめきだしたのです。

西村真悟発言
 民主党の西村真悟衆院議員の設立総会での発言は、「愛国心」に関する教育基本法改悪のねらいを、怖しいほど単刀直入に、呆れるほど率直に述べたものです。
 朝日新聞は、西村の発言を、次のように伝えています。

「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる」

「お国のために命を投げ出すことをいとわない機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない。この中で国民教育が復活していく」

 「愛国心」の正体が、白日のもとに露呈してしまったのです。
 まさに、イラク派兵が強行されたことに象徴されるように、この国は「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいます。
 この重大な西村発言が、たった十四行二段の記事にしかならないところに、マスメディアの劣化は著しく、すでにして、この国は、ゆるやかに、ファシズムのなかにあります。

教え子を再び戦場に送るな
 現在の情況にあって、私たちは厳しく個を鍛えて、「教え子を再び戦場に送るな」という覚悟/決意をしなければなりません。
 なお、日教組は、三月一日午後、西村議員に対して、下掲の公開質問状を手交しました。

衆議院議員 2004年3月1日
西村真悟 様  
                    日本教職員組合 中央執行委員長 榊原長一
『朝日』2月26日朝刊記事「国のため死ねる人を・・・」発言の事実関係を確認する
公 開 質 問 状

2月26日付け『朝日新聞』によると、議員は、2月25日、「教育基本法改正促進委員会」の設立総会で、今後の教育のあり方に関連して「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる。」「お国のために命を投げ出すことをいとわない機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない。この中で国民教育が復活していく」などと述べたと報道されています。
こうした発言が事実だとすれば、かつての軍国主義が国民を戦争にかりたて、多くの尊い命を奪った戦争への反省がまったくありません。また、過去の反省からつくられた憲法や教育基本法、さらには、子どもの権利条約や世界人権宣言などの精神を無視したものです。国の進路に責任を持つ国会議員の発言としてあってはならないものだと考えます。
議員は、昨年12月19日、「建国義勇軍」や「国賊征伐隊」を名乗り、日教組の地方組織である広島県教職員組合事務所など3ヵ所を銃撃した疑いで逮捕された容疑者が所属する「刀剣友の会」の最高顧問を務め、政治献金を受けていたことも報じられ、こうした発言と行動を看過することは出来ません。
日教組は、2月25日の議員の発言に対して事実関係の有無と対処についてお聞きします。
3月15日までに文書でご回答ください。
【公開質問事項】
2月26日付け『朝日』朝刊報道記事にある、「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人たちがあって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる。」「お国のために命を投げ出すことをいとわない機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない。この中で国民教育が復活していく」という発言は事実ですか。事実であれば、発言を撤回する意思はありますか。もし、ないのであれば、自らの考えと理由を明らかにしてください。



週刊墨教組 No.1436  2004.2.18

教育基本法改悪反対の大きなうねりを


教基法改悪に反対する東部集会
 『教育基本法改悪に反対する東部集会』が、二月十四日一時四五分から、曳舟文化センターで開催されました。
 この集会は、東京教組東部五組合(足立・江戸川・葛飾・江東・墨田区教職員組合)が主催団体となり、昨年にひきつづいて、行ったものです。
 まず、実行委員長として、企画・運営・実務を担った加藤墨田教組委員長が、集会の意義について熱く語りました。

大内さんの明晰な論理と清冽な意思
 つづいて、大内裕和さん(松山大学・教育社会学)が、講演されました。
 高橋哲哉をして、「彗星のようにあらわれた」と言わしめた大内さん。大内さんは、昨年十二月二三日、四千人を超す人々が結集した日比谷公会堂での『教育基本法改悪反対全国集会』の四人の呼びかけの一人でもあります。
 身体の疲労をいとわずに、全国を縦横無尽に奔走され、教育基本法改悪反対運動のうねりを先頭になって牽引されています。
 講演『教育基本法「改正」とは何か―グローバル化の中の「愛国」教育』は、平易な語り口ながら、教育基本法改悪の危険なねらいと本質が、的確に、明晰な論理で解き明かされていきます。
 大内さんの教育基本法改悪阻止への、激しく清冽な意思が、参会者に熱くつたわりました。

反対運動の萌し
 その後、「日の丸・君が代」の強制攻撃のただなかにあって、苦闘する都高教第六支部からの特別報告がありました。
 つづいて、「地域からの発言」を、『「日の丸・君が代」の押し付けに反対する墨田ネットワーク』・『葛飾人権ネット』・『江戸川生活者ネットワーク』・『部落解放同盟墨田支部』が行いました。
 『「日の丸・君が代」の押し付けに反対する墨田ネットワーク』の戒能信生牧師(東駒形教会)は、戦前・戦中、絶対天皇制下で、日曜学校の牧師が、子どもたちに対して、無自覚に果たしてしまった役割について、厳しくその責任と罪を糺されました。
 部落解放同盟墨田支部長の藤本忠義さんは、静かな怒りをこめて、「大量・連続差別ハガキ事件」にふれ、差別を許容する社会の情況と、差別化をすすめる国家について批判されました。
 お二人とも、大内さんの講演への共感を表明されました。
 墨田の地に、教育基本法改悪反対運動は、確実に萌しています。
 集会は、左のアピールを確認して閉会しました。

  集会アピール文

 本日、私たちは、大内裕和さんの講演をもとに、教育基本法の改悪がいかなる問題をもっているのかをしっかりと確認しました。新自由主義・国家主義を越えていかなければなりません。とりわけ、グローバル化のなかの「愛国」教育はのりこえなければなりません。

 また、「地域からの発言」で指摘された様々な問題は、教育基本法改悪ともつながり、すでにして、この国が、ゆるやかに、ファシズムのなかにあることを物語っています。
 まさに、イラク派兵が強行されたことに象徴されるように、この国は「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいます。

 教育基本法は、戦争への深い反省から生まれた平和憲法の理念を実現するために、英知を結集して制定されたものです。
 何よりもまず、平和を。
 自分らしく暮らせて、二度と戦争をしない国。
 子どもは「お国」のためにあるのではありません。

 私たちは、教育基本法の改悪に反対します。
 いかなる困難な情況にあっても、ひとりひとりが、ひるむことなく、力を奮いおこして、声をかぎりに、はば広く深い運動を、この東部の地域からひろげていきます。

 本日の集会に参加した私たちは、教育における国家主義と差別化を推進し、再び戦争のできる「国民」づくりにつながる教育基本法の改悪を、全力で阻止することを、もう一度、 ここに、しっかりと確認します。
  二〇〇四年二月十四日
 教育基本法改悪に反対する東部集会



週刊墨教組 No.1432 2004.1.28
「教育の機会均等」が打ち捨てられる
イラク出兵

 昨年十二月九日、小泉首相はかたくなに自衛隊派遣に固執し、自衛隊派遣の概要を定めた基本計画を閣議決定しました。
 さらに、本年一月九日、石破防衛庁長官は、陸上自衛隊の先遣隊と航空自衛隊の本隊に派遣命令を出しました。
 そして、ついに、二六日夜、陸上自衛隊の本隊と、陸自の車両や装備を輸送する海上自衛隊に派遣命令を出しました。
 陸海空、三つの自衛隊すべてに、派遣命令が下されたことになります。
 理不尽な占領が不当につづく戦争状態の他国に、三自衛隊が本格的に展開することになったのです。
 この国は、「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいます。

改悪への意思表示
 政府・与党は、教育基本法「改正」案の提出を断念したと報じられましたが、十九日に召集された通常国会の「施政方針演説」で小泉首相は、次のように述べています。

 「新しい時代を切り開く心豊かでたくましい人材を育成し、人間力向上のための教育改革に全力を尽くします。」

 「教育基本法の改正については、国民的な議論を踏まえ、精力的に取り組んでまいります。」

 二〇〇五年の改憲を、はばかることなく明言するようになった小泉首相にとって、二〇〇四年中の教育基本法改悪は、緊急な政策課題です。
 昨年九月二六日、内閣改造後の所信表明演説で、「教育基本法の見直しについては、国民的な議論を踏まえ、精力的に取り組んでまいります。」と述べたのに対比してみると、「見直し」の文言が「改正」という文言になっています。より強く、教育基本法改悪への明確な意思を打ち出したものになっているのです。
 決して座視することなどできません。私たちは、気をゆるめることなく教育基本法改悪のねらいと問題点について、広範な人々に訴えつづけなければなりません。
 東京教組東部五組合(足立・江戸川・葛飾・江東・墨田区教職員組合)は、二月十四日、曳舟文化センターで、『教育基本法改悪に反対する東部集会』を行います。
 東京・日比谷公会堂で行われた『教育基本法改悪反対!十二・二三全国集会』の呼びかけ人であり、現在も、全国を縦横無尽に奔走され、教育の危機を訴えつづけている大内裕和さん(松山大学・教育社会学)が講演してくださいます。

教育基本法改悪がもたらすもの
 大内さんは、『情況』1月号所収の「教育基本法と教育改革」で、「教育基本法の改悪がなされると教育はどのように変わりますか」という問いに対して、つぎのように答えています。

大内 これまでの教育改革の方向が徹底されていくことになるでしょう。まずは教育の悪しき多元化=差別化が進められていくことが予想できます。
 昨年三月に出た中教審答申のポイントは大競争(グローバル化)時代の国家戦略として教育を位置づけるということです。その点で教育を個人の尊重に基盤を置いたものから、経済競争に打ち勝つための人材育成へと方向転換することを狙っています。
 ここには財界の教育に対する意向が濃厚に反映しているといえます。『教育基本法改正論批判』(白澤社)でも論じたことですが、日経連が一九九五年に出した『新時代の「日本的経営」』という文書は、財界の労働力政策の転換を明確に示しています。ここでは長期蓄積能力活用型グループ、高度専門能力活用型グループ、雇用柔軟型グループと労働者が三つに分類されています。これまでの終身雇用、年功序列といった日本的経営のあり方を変えて、露骨な労働力の差別化政策を打ち出しています。こうした大競争時代に対応したコスト削減を目的とした労働力の差別化政策と現在の教育改革はリンクしているといえます。一部の「勝ち組」エリートの教育にのみお金をかけ、それ以外の「負け組」ノン・エリートの教育にはお金をかけないということです。「ゆとり」教育はそれをすでに行っているわけですが、教育基本法が改悪されればその方向はさらに明確となるでしょう。

 つづけて、「そうした競争力至上主義と愛国心教育とはどのような関係にありますか。」という問いに対して、つぎのように答えています。

大内 差別化を進める新自由主義改革と愛国心という国家主義が結びついていることが、教育基本法改悪のポイントです。
 こうした差別化を進めれば当然、社会の矛盾や不安定化がすすみます。雇用柔軟型グループというのは、失業者予備軍ともいえますからね。そうした分裂状況、不平等化が進む社会を統合するためにも愛国心という国家主義が国家・政府にとって必要になっているといえます。
 また失業率の増大や将来への希望のなさは、若者を国家主義・排外主義へと引き付ける原因の一つにもなります。

「大競争時代」の切捨て
 大内さんが批判する新自由主義の教育観が顕著に露呈した「『大競争時代』の切り捨て」については、最も信用できるジャ―ナリスト斎藤貴男も『構造改革とグローバル資本』(「現代思想」二〇〇一年六月号)のなかで、怒りをこめて、つぎのように書いていました。
 彼のインタビューに答えて、「三浦朱門―彼は教育課程審議会の前の会長で今度の学習指導要領を作った一番の責任者です」は、「今まで落ちこぼれのために限りある予算とか教員を手間隙かけすぎて、エリートが育たなかった、これからは落ちこぼれのままで結構で、そのための金をエリートのために割り振る。エリートは一〇〇人に一人でいい、そのエリートがやがて国を引っ張っていってくれるだろう、非才、無才はただ実直な精神だけを養ってくれればいいんだ、ゆとり教育というのは、ただできないやつをほったらかしにして、できる奴だけを育てるエリート教育なんだけど、そういうふうにいうと今の世の中抵抗が多いから、ただ回りくどくいっただけだ」とうそぶいたのでした。
 「教育改革国民会議の江崎玲於奈座長は、もっと恐ろしい。」「ヒトゲノム解析もできたし、人間の遺伝子が分かるようになると、就学時に遺伝子検査をしてできる子にはそれなりの教育をして、できない子にはそれなりの教育をすればいいんだ」とうそぶいたのでした。
 教育基本法三条「教育の機会均等」が、市場原理によって、なしくずしに打ち捨てられようとしています。
 見くだし、さげすみ、ひとをひととも思わない、弱肉強食の国家管理による競争と選別の教育政策をうけいれることなど絶対にできません。




教育基本法改悪に反対する声を大きくしよう
   ―二・一四集会への参加を呼びかけます―

 新聞報道によると、「政府・与党は九日、十日召集の通常国会への教育基本法改正案の提出を断念した。」(朝日新聞一月九日)とされています。今国会への提出は見送られるようですが、二〇〇五年には憲法改悪が明言されるように、政府・与党が教育基本法を改悪する意図と流れには変わりがありません。先送りしたに過ぎません。
 私たちは、昨年一月、江戸川船堀区民会館での学習会をはじめ、改悪反対のさまざまな集会や行動を起こしてきました。日教組も、全国五万ヶ所集会を呼びかけ、教育基本法反対の輪を広げていくことをめざしています。これに応じて、東京教組も。各単組・各ブロックでの教育基本法改悪反対集会を計画しています。私たちも、二月十四日、東部五単組主催で集会を開きます。
 参院選前に、この教育基本法改悪の危険な意図をできるだけ多くの人々と共有し、改悪法案の上程を許さないようにしなくてはなりません。
 教職員・教育関係者だけでなく、広く、保護者、市民、学生のみなさんにも呼びかけ、多数の参加により、集会を成功させるよう、取り組みを強めましょう。

 小泉首相は、二〇〇五年の改憲を、はばかることなく明言するようになりました。
 そして、昨年九月二六日、内閣改造後の所信表明演説で、「教育基本法の見直しについては、国民的な議論を踏まえ、精力的に取り組んでまいります。」と述べたのでした。
 「国民的な議論を踏まえ」とは、「中教審答申を踏襲して」ということになります。
 ついに、教育基本法改悪への明確な意思表示をしたのです。

 二〇〇三年三月二〇日、文部科学省の諮問機関である中央教育審議会が、教育基本法の改悪をもりこんだ最終答申を行いました。
 答申は、現在の子ども達をめぐるさまざまな問題の責任を、すべて教育基本法に押しつけました。
 そして、社会や国という「公共」を個人よりも優先させ、ことさらに「国を愛する心」とか「伝統、文化の尊重」を強調し、新しい理念として、教育基本法に明文化するよう提言したのでした。さらに、国家による教育行政の「不当な支配」を、国の責務として正当化することも提言したのでした。

 さらに、外交官二人が犠牲者になったにもかかわらず、昨年十二月九日、小泉首相はかたくなに自衛隊派遣に固執し、自衛隊派遣の概要を定めた基本計画を閣議決定しました。
 そして、ついに、本年一月九日、石破防衛庁長官は、陸上自衛隊の先遣隊と航空自衛隊の本隊に派遣命令を出しました。
この国は、「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいます。教育基本法改悪のねらいは、「戦争ができる国」にするために、国民の意識を変容させることにあることは明らかです。
 決して座視することなどできません。

 教育基本法は、戦争への深い反省から生まれた平和憲法の理念を実現するために、英知を結集して制定されたものです。
 前文には、憲法の理想の実現は、「教育の力にまつべきものである」として、「ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する」と高らかに宣言しています。
 いま、まさに、民主教育が総決算されようとしています。
 私たちは、教育基本法改悪に反対します。

 教育基本法改悪に反対するすべてのみなさんが、二・一四集会に参加されることを願ってやみません。
 二・一四集会への、個人・団体での賛同と連帯を、心から強く訴えるものです。

二〇〇四年一月
  東京教組東部五単組
     (足立・江戸川・葛飾・江東・墨田)

昨年12月23日教基法改悪反対の全国集会は日比谷公会堂から溢れるほどの参加者があった。呼びかけ人の一人として挨拶する大内裕和さん



鬼怒川 夏季合宿

 第二十五回墨田教組夏季合宿学習会を七月十九日・二十日に開催します。この学習会は、例年夏休みに入ってすぐの日程で行われています。
 現下の最重要課題について、十分に時間をとって集中的に学習、討議を行うものです。
 誰でも自由に参加することができます。組合内外を問わず多数の方の参加を期待します。
 今年の内容は次のようになっています。

□とき
七月十九日(土)午後一時四五分 開会
七月二十日(日)午後四時 解散
□ところ
鬼怒川温泉グリーンパレス
□内容
『労働運動の現状と活性化』
  水谷研次さん(元墨田区労連書記・東京連合書記)
『教育基本法改正論批判』
  大内裕和さん((松山大学助教授)

 例年、合宿の目玉は、集中講義と質疑・討論です。
 本年は、それぞれの課題について、現在、望みうる最高の講師の方が、集中講義を引き受けてくださいました。

 水谷さんは、かつて墨田区労連書記として、墨田教組とも深い縁のある方です。ともに過ごした、あの青春時代の熱い志をしっかりと持ちつづけて、さらに新たな労働運動を、広い構想力で模索されています。

 大内裕和さんは、一九六七年生まれで、専攻は教育社会学。語り口とともに風姿がじつに颯爽としています。
しかも、労働者であることをしっかりとふまえたお話は、しぜんと元気がわいてきます。
 近年、『現代思想』誌上で、教育について深い洞察力をたたえた所論を展開されています。
 高橋哲哉をして、「彗星のようにあらわれた」と言わしめた、巨きく明晰な論理で、教育基本法「改正」の問題性を追究されます。
 緊急出版された最新刊『教育基本法改正論批判』(白澤社刊)の帯には、「自由という名の統制、個性による画一化、そして民主から愛国へ」とあります。
 この書物をテキストとして、集中講義は行われます。
 私たちは、新自由主義、国家主義を超克しなければなりません。

 いまひとたびくりかえします。お二人とも、他では、ちょっと聴く機会をもてない方です。
 多くの方の参加を、強く願ってやみません。

週刊墨教組 No.1405  2003.5.16

教育基本法改悪に反対する緊急アピール

 『いやだ戦争・有事法制反対東京東部集会』が、五月十五日六時四〇分から、亀戸カメリアホールで開催されました。
 一部野党が妥協案を示し、国会ではない場で談合を行い、すでに、「有事法制」が衆議院を通過していたとはいえ、参会者は、ねばり強く「戦時法制」に反対して闘いつづける意思を確認しました。
 集会後、雨に打たれながらも、錦糸公園までデモ行進を行いました。
 集会では、墨田教組が、「有事法制」と深く連動する教育基本法改悪に反対する緊急アピールを行いました。

 墨田区教職員組合から、有事法制と深く連動する、もう一つの危機、教育基本法改悪に反対する緊急、ピールを行います。

明白な戦争犯罪
 イラク戦争とは、理不尽きわまりない明白な戦争犯罪です。
 ブッシュに普通に暮らしているイラクの人々を殺す理由など全く、りませんでした。
 アメリカ・イギリスの軍事侵略は、冷血な殺人者のしわざです。
 私たち一人一人は、個人のレベルで、このことを心に刻んで、絶対に忘れるべきでは、りません。告発し、断罪し、糾弾しつづけなければなりません。
 感情的で、思考力のないコイズミは、まっさきにイラク攻撃支持を表明しました。昨年十二月八日には、アーミテージ国務副長官の来日に合わせて、海外派兵=集団的自衛権行使の本格的第一歩となるイージス艦派遣が行われています。
 この国は「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいるように思えます。

中教審答申
 アメリカ・イギリスによるイラク攻撃が開始された三月二十日、文部科学省の諮問機関で、る中央教育審議会が、教育基本法の改悪をもりこんだ最終答申を行いました。
 答申は、現在の子ども達をめぐる様々な問題の責任を、すべて教育基本法に押しつけました。
 そして、社会や国という「公共」を個人よりも優先させ、ことさら「日本人としての自覚」を強調し、 「国を愛する心」とか「伝統、文化の尊重」を、新しい理念として、教育基本法に明文化するよう提言しています。さらに、国家による教育行政の「不当な支配」を、国の責務として正当化することも提言しています。

「公共」に隠されているもの
 答申のいう「公共」とは、いったい、何なのか。
 中間報告には、「社会や国という『公共』」とか「国や社会など『公共』」と、り、「公共」という用語は、「社会や国」の同義語として定義されています。個人よりも国家が優先し、明らかに国家が露出してきたのです。
 なお、二〇〇〇年三月、小渕内閣は、私的諮問機関「教育改革国民会議」を発足させました。結果として、やがて、この私的諮問機関が、教育基本法の見直しを提言することになります。これと連動して、「新しい教育基本法を求める会」(代表 西沢潤一)がつくられました。この会のメンバーには、西尾幹二、藤岡信勝、高橋史朗など、「つくる会」の中心メンバーが加わっています。二〇〇〇年九月十八日に出された「要望書」には、「公共に対する奉仕の精神が失われ」と、り、答申に、る「公共」という用語と奇妙に一致しています。
 「新しい教育基本法を求める会」は、今年の一月二六日、さらなる教育基本法「改正」を射程として「『日本の教育改革』有識者懇談会」(民間教育臨調)という組織に発展的に変貌し、各局面で政策提言を行おうとしています。

「伝統」と「愛国心」
 また、答申のいう「伝統・文化の尊重」とは、「教育勅語」への回帰にほかなりません。ちなみに、先頭になって教育基本法改悪を画策する河村建夫文部副大臣は、九九年八月、「自民党教育改革実施本部教育基本法研究グループ」の主査になった折に、「平成の教育勅語を念頭において議論したい」と発言しています。
 一九五三年、日本の再軍備を求める、メリカの対日政策の転換を契機として、池田、ロバートソン会議で、愛国心教育の必要が「覚書」として交わされました。それ以来、戦争を支持し協力する「国民精神」を育成するために、「日本人としての自覚」と愛国心教育が連綿として強調されつづけてきたのです。
 一九五三年の三回目の学習指導要領の改訂は、官報に公示され、「法的拘束力」をもつようになりました。この時、道徳の時間が特設され、はじめて学校に日の丸・君が代がもちこまれたのでした。
 一九九八年の七回目の学習指導要領の改訂では、一段と、道徳教育や愛国心が強化されました。社会科の学習目標には、「国を愛する心情」と「日本人としての自覚」がもりこまれ、このことが、「愛国心通知表」の根拠となりました。
 そして、ついに、「国を愛する心」が教育基本法に明文化されようとしています。誇張ではなく、最後の危機です。

『心のノート』の問題
 この動きと呼応するように、学校現場では、道徳副教材『心のノート』の問題が、らわれています。
 『心のノート』は、小学生は、一・二年生用、三・四年生用、五・六年生用の三種類、中学生は一種類の全部で四種類、ります。文科省は小学校入学から中学校卒業までに四冊の『心のノート』を無償で配布することになります。
 二〇〇一年度と二〇〇二年度、わせて十一億円もの巨費を投入して、ねらうものは何なのか。四冊の『心のノート』は、「自分のこと」「いろいろな人とのかかわり」「自然やいのちとのかかわり」「集団や社会とのかかわり」という四段階に類型化されて、心の形成がはかられるようになっています。
 共通しているのは、各ノートの最後に、いかにも唐突に「文化に親しんで国を愛する」(小学校三・四年生用)とか「郷土や国を愛する心を」(小学校五・六年生用)がでてくることです。
 『心のノート』作成協力者会議の座長は、ユング派の河合隼雄です。
 彼は、「二一世紀日本の構想」懇談会の座長も務めましたが、二〇〇〇年一月の最終報告書で、教育は「国家の統治行為」で、ることを明確に打ち出したのでした。
 『心のノート』は、国家が、からさまに子どもに「心」を強制するものです。彼のやり口は、教育基本法十条の立場を無視した、確信犯のやり口です。
 彼は、そのほうびとして、文化庁長官におさまりました。
 この国の不幸は、社会に起因する教育の危機が、曖昧な「心」の問題にすりかわり、名声欲にとらわれた、愚かな心理学者の手に委ねられているところに、ります。

「大競争時代」の切捨て
 答申に貫かれた新自由主義の教育観が顕著に露呈した「『大競争の時代』の切り捨て」についてもふれなければなりません。
 信用できるジャーナリスト斎藤貴男によれば、彼のインタビューに答えて、「三浦朱門ー彼は教育課程審議会の前の会長で今度の学習指導要領を作った一番の責任者です」は、「今まで落ちこぼれのために限り、る予算とか教員を手間隙かけすぎて、エリートが育たなかった、これからは落ちこぼれのままで結構で、そのための金をエリートのために割り振る、エリートは一〇〇人に一人でいい、そのエリートがやがて国を引っ張っていってくれるだろう、非才、無才はただ実直な精神だけを養ってくれればいいんだ、ゆとり教育というのは、ただできないやつをほったらかしにして、できる奴だけを育てるエリート教育なんだけど、そういうふうにいうと今の世の中抵抗が多いから、ただ回りくどくいっただけだ」とうそぶきました。
 「教育改革国民会議の江崎玲於奈座長は、もっと恐ろしい。」「ヒトゲノム解析もできたし、人間の遺伝子が分かるようになると、就学時に遺伝子検査をしてできる子にはそれなりの教育をして、できない子にはそれなりの教育をすればいいんだ」とうそぶきました。
 見くだし、さげすみ、ひとをひととも思わない、弱肉強食の国家管理による競争と選別の教育政策をうけいれることなどできません。
 このような教育基本法改悪が強行されたなら、それこそ「つくる会」の教科書が、最もふさわしい教科書として、大手をふって、まかりとおることになりかねません。

人心を「戦争ができる国」へ
 現在、コイズミが、、メリカ・イギリスのイラク攻撃支持をまっさきに表明したことに示されるように、この国は「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいます。「国家戦略」としての教育基本法改悪のねらいは、「戦争ができる国」にするために、国民の意識を変容させることに、ることは明らかです。
 戦前の近代天皇制国家は、「学校」と「軍隊」を通して、その国家意思を貫徹させました。
 近代天皇制国家の形成に、たり、一八七二年に学制が公布され、翌七三年に徴兵令が公布されています。国家がたち、げられ、その初期に、「学校」と「軍隊」はつくられているのです。国家が、「国民」をつくり、げる装置として、いかに「学校」と「軍隊」を重視したかを雄弁に物語る歴史の事実です。
 このことからも、「国家戦略」としての教育基本法改悪は、有事法制を下支えする「国民」の「心」、すなわち「戦時国民精神」をつくり、げることを、最終のねらいとしていることは明白です。
 肥大化した国家が、「国家の統治行為」として、露骨に教育に介入し、人心を「戦争ができる国」へと誘導していく。そうして、ついに、「有事法制」が、人をともなって機能することになるのです。

はば広く深い運動を
 このような危険きわまりない教育基本法改悪を、決して座視することなどできません。
 教育基本法は、戦争への深い反省から生まれた平和憲法の理念を実現するために、英知を結集して制定されたものです。
 前文には、憲法の理想の実現は、「教育の力にまつべきもので、る」として、「ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する」と高らかに宣言しています。
 いま、まさに、民主教育が総決算されようとしています。政府・与党は、今通常国会での教育基本法改悪法案の上程に向けて具体的な準備作業にとりかかろうとしています。
 私たちは、教育基本法の改悪に反対します。
 私たちは、反戦平和をめざして、うまずたゆまずに、はるかな道のりを、ゆみつづけます。

 いかなる困難な情況に、っても、ひとりひとりが、ひるむことなく、力を奮いおこして、声をかぎりに、はば広く深い運動をひろげていくことを、強く強く訴えます。

教育基本法改悪に反対する決議
三月二十日、文部科学省の諮問機関である中央教育審議会が、教育基本法の改悪をもりこんだ最終答申を行いました。
答申は、現在の子ども達をめぐる様々な問題の責任を、すべて教育基本法に押しつけました。
そして、社会や国という「公共」を個人よりも優先させ、ことさらに「国を愛する心」とか「伝統、文化の尊重」を強調し、新しい理念として、教育基本法に明文化するよう提言しています。さらに、国家による教育行政の「不当な支配」を、国の責務として正当化することも提言しています。
現在、コイズミが、アメリカ・イギリスのイラク攻撃支持をまっさきに表明したことに示されるように、この国は、「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいます。教育基本法改悪のねらいは、「戦争ができる国」にするために、国民の意識を変容させることにあることは明らかです。
 決して座視することなどできません。
 教育基本法は、戦争への深い反省から生まれた平和憲法の理念を実現するために、英知を結集して制定されたものです。
 前文には、憲法の理想の実現は、「教育の力にまつべきものである」として、「ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する」と高らかに宣言しています。
 いま、まさに、民主教育が総決算されようとしています。政府・与党は、五月の連休明けから教育基本法改悪法案の国会上程に向けて具体的な準備作業にとりかかろうとしています。
 私たちは、教育基本法改悪に反対します。
 私たちは、反戦平和をめざして、うまずたゆまずに、はるかな道のりをあゆみつづけます。