男女平等教育


両性の自立と平等をめざす教育研究会に参加して 投稿 (三吾小分会)

「暴力の 世紀から支えあう 世紀へ」
 私は、八月九、十日に開催された日教組の「両性の自立と平等を目指す教育研究会」に参加しました。
まず、千葉大教授で日教組両性研共同研究者である佐藤和夫さんが講演されました。佐藤さんはアメリカでの生活体験を通してアメリカ合衆国を構成する暴力について話され、暴力の撤廃を目指す 世紀の文化をつくるためにはどうすればよいかを話されました。講演の中で、「暴力とは、構造的な力関係によって、人間としての尊厳を侵害する強制的な力である。それには、身体的、精神的、性的なものがある」だから、「自己決定権を保障し合い、自立概念の組み替えと支え合いのための話し合いの文化の再建が必要である」と強調されました。

互いの意見を認め合いながら違いを
 講演の後に行われたシンポジウムでは、「支えあう 世紀をどう創る」というテーマで四人のパネラー(中島通子さん・宮淑子さん・佐藤和夫さん・木村涼子さん)が登場して活発な討論がされました。討論の中で心に残った話は、
 「自立とは他者との関係の中で、お互いに支えあう中で創られていくものである。」
 「身近な人間関係の中で、それぞれが好きなことをやればいいのではなくて、違うけど共通のものがあって、相手の話を聞くことによって共感し、その中で多様化を認める。」
 「強い者に対して感情的に一体化するのではなく、ファシズムを防ぐためにも違いの中での共通するものを見つけ共感し支えあうことが大切である。そのための話し合いの方法として、お互いの意見を潰しあい、攻撃するのではなく、お互いの意見を認めあいながら違いを出していく訓練が必要ではないか。」
 「自分のことが言えない。自分の意見が言えない。自分はこうしたいんだということが言えない。考えたことを聞いてもらえる土壌がない。こういう状況を変えていく必要がある。自分に対する信頼がないと主張的な自己ができないということもある。」
 お互いの自己決定権を尊重し自分の生き方を自分で決められるような教育のあり方を探っていかなければならないと強く感じました。

労働の基本は基本的人権
 二日目は、分科会でした。「ジェンダーフリーの教育」「多様な働き方と均等待遇」「ジェンダーの視点からの教科書問題」「暴力の連鎖を考える」の四つの分科会の中から私は、「多様な働き方と均等待遇」の分科会に参加しました。
中学校の先生から「リストラと労働組合」という実践報告がされました。その中で、「労働の基本は、基本的人権であり、憲法 条と 条は絶対に子ども達に教えてもらいたい」という話がありました。
奉仕活動の義務化が認められました。また、不況の中で、個人を重んじたら企業がやっていけないということで多様な働き方というのが出てきています。知らないことでどんどん自分で自分の首を絞めていく法律が出てきているので、是非情報を収集して自分達を守ってくれる法律を探していかなければなりません。
 学校の中でも非常勤職員・パート・講師と多様化してきています。弱いところから合理化が加速度的に進んできている状況下では、それぞれの人たちの就業条件を検証しなおしていくことが急務であり、すぐにとりくまなければならない課題だと思いました。

 全国からたくさんの参加者があり、積極的な意見発表があり、大きな拍手が湧き、参加したことでたくさんのエネルギーをもらいました。来年はもっと多くの仲間と参加したいなあと思いました。

「ナンバーワンではなく
     オンリーワンの人生を」
ー密度の濃い夏の学習会に十人が参加ー

 今年は「教科書・靖国問題」で特別に暑い夏でした。女性部では、東京教組・日教組主催の教研が例年夏に集中的に開かれることを受け女性部委員を中心にできるだけ参加して学び合おうという呼びかけを行い、十人の人が参加をしました。その中から早速巻幡さんが報告を寄せてくださいました。 
 この他、東京教組の学習会では、弁護士の吉峰さんの教職員を守る法律の話や、セクハラ防止のワークショップなどの学習。全国母と女教師の会では、暉峻さんの「子どもたちに平和な未来を」と題する、子どもを主人公にしたドイツの戦後教育と日本の教育の比較を通して教育のあり方を考える話や、沖縄出身の盲目の歌手、新垣勉さんの「ナンバーワンではなくオンリーワンの人生を」というメッセージとともに響き渡った素晴らしい歌声。そして、関東ブロック母女では、石井弁護士の少年犯罪の弁護活動を通して「人権感覚の大切さ」に集約される講演など、密度の濃い学習ができました。
 学んだことを職場に、広げ、深めていきましょう。参加された皆さん本当にご苦労様でした。
女性部長 森本孝子


墨田教組執行委員会声明
石原都知事の「性差別発言」に抗議し、
男女共同参画社会に向けた真摯な行政推進を促す

@ 度重なる差別発言
 石原都知事は、就任以来、その人権感覚を疑問視されるような、言動を繰り返してきました。いわゆる「三国人」発言や、「障害者」施設視察時の「あの人たちには、人格があるのかね。」という「障害者差別発言」、そして、どの自治体も採用しなかった「つくる会教科書」への賛同と採択誘導行為、都の養護学校への採用(正式には、都教委が採用)、「中国人は遺伝子からして、凶悪」という民族差別など、国際的にも問題にされています。NGOからは、人種差別撤廃条約の実効状況を報告する政府報告書に、石原都知事の「三国人」発言などが触れられていないことを批判され、独自の報告書が提出されました。

A都の福祉会議での発言
 こうした中、さる十月二三日の東京都の「少子社会と東京の福祉」会議において、石原都知事は、かねてから賛同している、会議の委員のひとりである、松井孝典東大物理学教授の言葉を引用し、次のように発言しています。「この間すごい話をしたんだ、松井さんが。私は膝をたたいてその通りだと。女性がいるから言えないけど・・・。本質的に余剰なものは、つまり存在の使命を失ったものが、生命体、しかも人間であるというだけでいろんな消費を許され収奪を許される。特に先進国にありうるわけだ。でね・・・・・、やっぱりやめようか(笑い)。あれが実は地球の文明なるものの基本的な矛盾を表象している事例だな」(都政新報 十月二六日版より)

B生殖能力の無い女性は、生きる価値なし?
 存在の使命を失った余剰なものといわれているのは、次の発言を読めば明らかになります。十一月六日号の「週刊女性」の本誌女性デスク「代表質問」と銘うって、【石原慎太郎都知事吠える】というメインタイトル、副タイトルに「東京で、日本で、世界で、いま何がおきているのか」という記事です。この記事の意図は、「報復テロや炭疽菌への恐怖、狂牛病発症であらためてわかった危機管理の日本の甘さを、身近な不況、少子晩婚、子どもの未来などの不安について、石原都知事に聞く」というものです。その中では、相変わらずの好戦的姿勢で、「テロで二五人プラスアルファの日本人が殺されたんだから、アメリカ支援なんかじゃなく、自衛のスタンスが取れなくてはいけないのに、憲法解釈論ばかりやっている国会の論議は、要するに理性が欠けていて、アタマが悪いんだよ。感性がニブイんだよ・・・。」という調子。その後に「今、世界で起きていることをわかりやすく教えてほしい。」という記者の質問に答える中で、極めて問題の次のような発言が出てきます。「今何が起きているかって?人類は滅亡に向かって進みつつあるんですよ。・・・松井教授が『人間圏が構えられてから地球はどんどん滅亡へ急いでいる』といっているけど、そのとおりなんだ。人間圏というのは、文明ってことですよ。・・・・・これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど、『文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア』なんだそうだ。『女性が生殖能力を失っても生きているってのは、無駄な罪です』って。男は八十、九十歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって・・・。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)まあ、半分は正鵠を射て、半分はブラックユーモアみたいなものだけど、そういう文明ってのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね。・・・・」このあと、自分の息子が結婚しないことを嘆き、「結婚して、自分の存在の証を残さなきゃ。」とか、「ストイシズム、禁欲ってのは、僕はそろそろ必要かなって、かねてから思っていた。・・・僕は結ばれずに愛し合っている人間の心のおののきのほうが、はるかに美しいと思うんだけど・・・。」など。

C人類滅亡の危機に瀕して
 言いたい放題の発言が続きます。そこに見られるのは、狭量なエゴイズムと、浅薄な知識の引用による誇大主義、そして、他者に対するあまりにもひどい想像力の欠如でしかありません。人間の存在理由を生殖機能によってしか見出せないとは、怒りを超えて、あまりの見識のなさに呆れます。たしかに人類は、滅亡の危機に立っているかもしれないことは、事実でしょう。それも、愚かなエゴイズムと暴力の連鎖という、人間の所業によって。しかし、人間のなすことは、人間の叡智と努力によって、変えるしかないではありませんか。石原知事のような浅はかな人間によって差別されてきた女性たちは、一九七五年の国際婦人年を契機として、北京・ナイロビ・ニューヨークと国際会議を重ねながら、女性の人権確立に向けた確かな活動を展開してきました。少子化や、環境の問題、暴力の問題などは、国際的に共通する事も多く、各国では真剣に必死に政策化しています。

D日本の、東京の両性共生社会の実現を
 日本では、一九九八年に「男女共同参画基本法」が制定され、それにもとづき「男女共同参画基本計画」が策定されましたが、東京都はこうした動きの中で、担当者による政策立案はなされても、責任者である都知事の姿勢により、「東京女性財団」の廃止を提案するなど、決して、前向きとはいえない状況です。教育委員会の基本方針の第1に、人権尊重教育の推進を掲げ、「男女参画基本条例」のなかで、「男女が社会の対等な構成員として社会のあらゆる分野の活動に共に参画することにより、真に調和の取れた豊かな社会が形成されるのである。」と書かれていることについて、都知事は、どのように考えるのでしょか。また、特別区職員研修所発行の「研修のひろば」九八号「男女共同参画社会の実現」には、「二十一世紀の課題」と題する、百九十年間戦争をしなかったスウェーデンにおける男女共同参画社会の実現へのあゆみや、「ジェンダー・フリー」についての小論が掲載されていますが、こうした地道な自治体職員の研修にも水をさすような、今回の発言は、速やかに撤回し、真剣に、謙虚に男女共生社会に向けた都知事としての政策を実現されるよう、強く要望するものです。

 二〇〇二年一月二五日   
墨田区教職員組合 執行委員会



    リーフレット(抄)
  男女平等教育の推進のために
平成13年12月 東京都教育庁指導部
指導企画課
 学校教育は女性と男性が性別にとらわれることなく互いにその人権を尊重し,喜びも責任も分かち合いつつ,その個性と能力を充分に発揮できる男女平等参画社会の実現を進めるために,大きな役割を果たします。このリーフレットは、学校における男女平等教育の推進と男女混合名簿の導入をするための資料として作成したものです。
なぜ男女平等教育が必要なのでしょうか
 女性に対する偏見や性による固定観念は、多くの場合、これまでの長い歴史課程において形成されてきました。このような偏見や固定観念に気付き、それらを自ら克服して、男女平等にかかわる様々な課題の解決に向けて積極的に取り組む人間を育成することが大切です。
なぜ男女混合名簿の導入が求められるのでしょうか。
 男女平等参画社会の実現に向けて、学校教育においては,出席簿等の名簿の取り扱いによって、児童・生徒に男子優先の固定観念をうえつけることのないよう十分配慮することが大切です。そのために男女混合名簿の導入が必要です.
―以下次の項目がある(内容略)・・・引用者
なぜ男女平等教育が必要なのでしょうか
■なぜ男女混合名簿の導入が求められるのでしょうか
■学校における男女平等教育の進め方
■男女平等参画社会の実現へ向けた世界・日本・東京都の主な動き
■学校における児童・生徒へのセクシャル・ハラスメントについての相談体制、相談窓口
■男女混合名簿の導入・実施にはこのような配慮が必要です
■「東京都男女平等参画審議会答申」(平成13年7月6日)の紹介
■このような手順で男女混合名簿を実施しました
■男女混合名簿を実施した学校では、このように変わってきました

●性別による不必要な区別をしない学級が増えた。
・日常生活の場面で、「女子が・・・」「男子が・・・」という表現が少なくなった。
・「まず、男子から」という意識がなくなりつつある。
・名簿だけでなく、机、ロッカーの配置、入学式・卒業式の並び方など、学校生活における様々な場面において見直しが行われるようになった。
・男女平等にかかわる実態を見直し、改めて人権感覚を磨く機会となった。
●児童・生徒の氏名を表示する際に、男女別に色分けしたり、委員や係を決めるときに性別をもとにして決めたりすることがなくなり、性別による固定的な役割分担等の意識がなくなってきている。
●教科等の指導の中で、教員の男女平等の意識が深まってきている。
●男女平等教育の推進計画や授業実践について協議するなど、教員の研修の機会が増えてきた。