海部城

別名.   鞆城

形式.   平山城

築上年代.−

築城者. −

遺構.  石垣、郭

城の沿革

 元亀二年、長曽我部元親の弟、島弥九郎の舟が突風を避けて城下の入り江に入った。その時、海部城主の海部左近将監友光が舟を襲って弥九郎を殺してしまった。弟を殺された元親は激怒し、天正五年(1577)に海部城を攻略する。  江戸時代に入って、蜂須賀氏が阿波九城の一つとして土佐国への防備の城として鉄砲衆八十人を配した。 元和の一国一城令で城が廃された後も、郡代役所の名目で小規模ながらも近世城郭の命脈を保った。

 

考察・感想

 この城を訪れたとき、詳しくかかれた地図がなく、住所だけを頼りに探した。しかし、場所がよくわからず、うろうろしていたが、別名鞆城ということで、海沿いの湊のような地形の城ではないかと思い、上の写真の山に登ってみた。すると案の定、郭、石垣がしっかり残っており、ここが海部城跡だということが確信できた。

 

地図・住所

徳島県海部郡海部町

JR牟岐線海部駅下車 徒歩10分

「地図データは「Map Fan U」に収録のデータを使用しています。」

「MapFan U 東京23区版(C)インクリメントP(株)北海道地図(株)」

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