コブシとモクレン

今では実業家として有名になった、千 昌夫のヒット曲「北国の春」に

    白樺 青空 南風 コブシ咲く
    あの丘 北国の ああ北国の春

と歌われているように、北国の山の春の訪れはコブシの花で代表されるとか。
農村では、この花を農耕暦代わりとして「田打ざくら」とか「種まきざくら」
とも呼んで、農作業はじめの目安としていたといわれています。
そして、開花の時期ばかりではなく、花の咲き方、花が咲いている期間などに
も深い関心を寄せて、その年の作物季節の豊凶をも予測していたとも言われる
ほどに、生活に密着していた植物の一つでした。

昨日出かけた吉野梅郷でも、コブシの喬木が多く、天に向って枝を開き、白い
花を枝いっぱいに咲かせている景色は、車を運転している私には、なによりの
花見の対象でした。
アイヌの生物記のなかで、アイヌ達はこの植物を「オマウクシ」(良いにおい
を出す木)と普段は呼んでいるものの、その香が良いために、香に惹かれて、
病魔もやって来ると信じ、病気がはやる時には「オップケニ」(放屁する木)
と呼んだとか・・・・・館脇教授の「北方植物園」のコブシの一文を思い出し
たりしました。

    見はるかす山腹なだりに咲きている
          辛夷の花のほのかなるもの     斎藤 茂吉

コブシは日本全土と朝鮮南部に自生する植物で、モクレンとは違い、中国には
分布しない日本の植生を代表する植物の一つです。

真説か否かは別として、早春、山腹いっぱいに白い花を咲かせるコブシには、
こんな悲しい物語が付いているようです。(四季の花事典より)

   かつて、壇の浦で敗れた平家の落ち武者が、九州は熊本の山奥へと
   逃れたが、早春のある日、突然に全山が源氏の白旗で囲まれている
   のを見て、とてもかなわぬ、と覚悟し全員が自刃した。

白旗と見たのは、実はコブシの花だったということですが、ことほどさように、
コブシは日本の植生を代表する植物であり、また、花なのです。

コブシの花はまだ遅霜の来る前に咲き出しますので、時には霜に打たれて、花弁
を痛めてしまうことが多く、美しい花姿を一朝にして変えてしまいます。
そんなことから、「世にあって思わぬ妨げを受けるのは、ひとり、この花ばかり
ではない。先見の士は時に世に入れられず、聖者も棺を負うて後にようやくにし
て認められるのが、人の世の常であれば、霜に打たれて昨日の姿を失うのも、花
の世のつれなき習であろう。」などと、早春、さきがけて咲くこの花の勇気をた
たえている言葉もあります。

日本からヨーロッパに紹介されたのは、1804年のことで、庭園木として、か
の地では広く愛されるようになりました。
昨年、日本橋は江戸通りの街路樹がプラタナスからコブシ(ベニコブシ)に植え
代えられ、もう花を咲かせて、私達に親しみ深い植物になってきています。
そんなせいでしょうか、私の家の付近の苗木、樹木畠ではコブシの植え付けが多
く、隣の畠でも、コブシの花が今を盛りと咲いています。

二枝ばかり、裏口から出て切り取ってきた枝、備前焼の花入れから部屋の中に甘
い香を放っています。

コブシに辛夷という漢字をあてていますが、これは誤用とされています。辛夷は
モクレンに与えられた名称だとされ、中国の詩人、王維(701−761年)の
漢詩がよく引用されています。

       辛夷*     辛夷の花の咲く堤

    木末芙蓉花     木の梢に咲く芙蓉の花
     山中発紅萼    山中に紅き花を開く
     澗戸寂無人    澗(タニ)の家々は静かで人の気配もない
     紛紛開且落    ふんぷんとして開き且つ落つ


この詩の中で詠んでいる辛夷は紅い花のことですので、紫色のシモクレンを指し
たものとされています。


ハクモクレンとモクレン(シモクレン)は中国に自生していて、日本には古くに
渡来して、花の大きさ、豊かさなどが愛され、今では何処にでも見られる庭園木
として普及しています。

                         うめだ よしはる

春の花