ベニバナ
山形は最上紅花の古里、平成4年の紅花国体のPR一色の市内には、昭和57年に県の花
に指定されたベニバナのドライフラワーが芭蕉の

      まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花

の句とともに街のあちらこちらに飾れていました。

ベニバナの名はベニ(紅)の原料取るところから付けられた名で、物の本では古名をクレ
ナイまたはスエツムハナとも呼ばれ、ヨーロッパは小アジア辺の原産で古く中国に渡り、
それが日本へは6世紀の終りから7世紀の始めにかけて推古天皇の頃に渡ってきたとあり
ました。 山形県には寒河江に紅花博物館が設けられているようですが、残念ながらそこ
までは足を伸ばせませんでした。

ベニバナは4月上旬頃に播種し、7月上旬頃から花摘みが始まるようですが、紅花餅に加
工するまでには、花摘み、花振り、花もみ、水洗い、花ねせ、花ねり、花ふみ、花干し、
花餅と多くの工程が必要のようです。

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紅花と言えば、通勤電車の中で眼を通している本、「農業博物誌2」、筑波常治著の中に
ベニバナに関連し「紅花摘唄」として、こんな歌詞が紹介されていました。

      明けぬうちから畑辺に行きて   見れば美し花あかり
      世にも賑わし紅花摘みよ     此処も彼処も唄の声
      村の六月それきた咲いた     摘んだ花から恋がでる
      暗い畑辺に仲よい同士が     花を摘み候花のかご
      花を摘むのもそもじとならば   いらが刺すのもなんのその
      おらも行きたや青馬にのって   紅の供して都まで

この歌詞の間に著者の所感がそれぞれに記されていますので、この歌詞が紅花摘唄のすべ
てかどうかは判りません。 また、順序もこの通りかどうかも判りません。

ただ、この唄の中で、ベニバナはアザミに似た植物で刺があることから、朝露に濡れて刺
がやわらかいうちに摘むと肌に触れても痛くないこと。 そんなことから、歌詞の「明け
ぬうちから畑辺に行きて」という、農民の知恵を紹介していました。

NHKの園芸のテレビ番組の中で、山形への花の旅としてベニバナが紹介され、ベニバナ
摘みに汗を流した娘達は「指から赤い血をながして働いたが娘達はベニバナで染めた着物
には手を通せなかった」というような言葉で結んでいました。

確かに、指を赤い血で染めて摘んだベニバナだったのでしょう。 しかし、紅花摘唄をみ
ますと、苦しい労働の中にそれなりの知恵、喜びが表現されており、農民のたくましさを
知ることが出来ます。
                         うめだ よしはる


   夏の花へ