B子さんの勧誘者が証言

1997.12.14登録

 12月10日午前、原告B子さんの「青春を返せ裁判」が開かれ、B子さんの勧誘者(統一協会でいう「霊の親」)であるM子(=統一協会側証人)に対する証人尋問が行われました。M子は、前もって陳述書を提出していて、被告(統一協会側)弁護人と原告弁護人は、その陳述書に基づいて尋問し、M子は次のように証言(概要)しました。

被告弁護人(和島)からの尋問に対する証言
 私はT子からクリエイト(ビデオセンター)に誘われた。「ここに通っていることは言わないほうがいい」と言われていたが、特に気にせず、母に話すと母は「あんたよりも聖書のことはよく知っとるんだから」と言った。
 ライフトレーニングを受けていた1987年6月に、統一協会であることを明かされたが、よく分からなかったので、特別なにも思わなかった。最初から「統一協会」とか「宗教」たか聞いていても、宗教に関心があったので、問題はなかった。
 2デイズでは、講義の後で班長に質問できた。後で輪になって、1人づつ感想を言い合った。いっしょに来ていた岡大の友人と私語することもできた。夜9時ごろ講義が終わり、感想文を書いたり入浴したりして、11時ごろ寝た。班長との10分くらいの面接が1回あった。眠かったり疲れたりすることはなかった。
 新生トレーニングを5カ月受けた。岡大で部活(ギターアンサンブル)をしながら通っていた。私の場合は、土曜日以外は教会に泊まらなかった。お昼には、電話で予定を話したが、お昼が過ぎて授業の後になったこともあった。
 高2のときに父がなくなった。
 B子さんが1カ月家に閉じ込もったとき、体の弱いTチームマザーが訪問したことで、B子さんは感動していた。私も手紙を書いた。
 B子さんをクリエイトに誘ったときは、「喫茶店」と騙したんではなく、「うちのサークルに来てね」と言った。B子さんは「ほんとに落ちつくところね」と喜んでいた。クリエイトに入会して喜んでいた。
 万物復帰とは、「騙されて買った人でも救われる」という教えではない。
 アベル・カインの関係は、絶対服従関係ではない。アベルの立場では、愛して尽くしていくこと。私は、絶対服従しないこともあったし、アベルの立場でもそんなに簡単に服従させられない。
 祝福の条件は、神を信じ、文先生をメシアを認めること。信者になって7年とか、霊の子3人とかの条件は、それが望ましいが、必ずしもそうではない。私の祝福は5年目で、霊の子は3・4人いた。
 手紙は他の人によく書くが、B子さんには特によく書いた。手紙のマニュアルはない。
 学生の家は、午前2時ごろまで訪問したが、それは明かりのついている家だけだ。
 呉服などを展示販売するブルー展には、お客を紹介したことがあるが、その中の詳しいことは分からない。
 120人を目標に知人のリストを作って、救われるようにお祈りをした。私は40人のリストを作った。そのリストのコピーをアベルが持っていたということはなかった。
 勝共連合の指示で、政治的なカンパも集めた。
 私は、過労で体をこわしたことはなく、入会時に特別献金したこともなく、統一協会が差別意識が激しいことはなかった。
 私は、津倉荘に何年かいたことがあったが、暖房は各部屋にストーブがあり、3階にはクーラーがあり、各部屋には扇風機があった。風呂には週3・4回入った。洗濯はいつでもできた。ざこ寝の状態はなかった。
 水行として、お椀の水を左肩に4杯、右肩に4杯、・・・と、合計40杯を掛けるよう指示したことがある。
 B子さんの弟さんのことは何も聞いていない。
 ハンカチは、しんぜん会に原価と寄付金を払っていたので、売上げは自由に使っていた。
 山陽文化会館は、信者の組織であるサークル会が借りていた。
 入会時の決意文は、何も手本を見て書いてはいない。
 3デイズの講義の後では、友だちと講義内容を確認したり、どんな感じだったかを聞いたりした。B子さんは、はっきり言う人で、顔にも出る人だ。

原告弁護人(河田)からの尋問に対する証言
 先日まで、世界平和女性連合のボランティアでフィリピンに行っていた。困った人に古着をあげたり、ストリートチルドレンにお菓子をあげたりした。
 N子(A男さんの霊の親)とは、同じサークル会の青年部でいっしょにいた。サークル会には、岡山地区(その中に婦人、青年、壮年などがある)、中四国ブロック、中央本部(古田が責任者)があった。会の入会資格は、考えたことがない。岩井一正は、当時の青年部の団長だった。
 私が書いたアンケート用紙は、小さなカードのようなものだった。サークルの人が姓名判断をした。
 当時の「クリエイト」と、後の「カルチャーセンター」の内容は同じ。そこが原理講論を教えるところであるとは知らなかった。メシアがいることは、2デイズで知らされた。6月17日、メシアが文先生であることが知らされた。
 霊感商法対策弁連が結成(1987年6月)されたことなど何も知らなかった。いまも具体的なことは知らない。
 1987年7月、母と着物の展示会に行った。本振り袖の着物を買った。丸扇(呉服屋)の社員は統一協会の信仰を持っている人が多い。
 ライフトレーニングでは、クリエイトで、直接の講義を多く受けた。2デイズはクリエイトで、3デイズは広島の可部で受けた。
 新生トレーニングでは、ずっと講義を受けた。教会を借りて宿泊していた人もいた。2デイズと3デイズの間に受けるのがライフトレで、その後のが新トレだ。
 1990年1月、B子さんにアンケートをした。その時私は、サークル会の青年部に所属していた。自分としてのアンケートの目的は、ビデオセンターに入れ、信者になってもらうことだった。その目的は、最初は話さない。アンケート用紙は、自分で作ったものではない。手紙のマニュアルがあることは聞いたことがあるが、見たことはない。
 90年2月27日が献金を決断した日だ。B子さんには、大切な話しがあると伝えた。最高のもの(全財産)を献金してもらいたいと思っていた。万物とは、人間を除いた神の創造物で、お金も入る。(統一協会発行の『ファミリー』に教祖の言葉として、罪を犯してでも万物を神の元に返しなさいと書かれていることについて)記憶がない。献金を決意してほしいと思ってその日を設定し、そのために岩井が来ていた。ビデオセンターの講義室で、岩井から献金の話があった。私は大半祈祷室にいて、ほかにも人がいた。私は、尊敬している講師として、岩井を紹介した。その2人のやりとりは知らない。岩井が途中出てきたときに、状況を聞いていたと思う。話が終わったのは、10時は過ぎていたと思う。B子さんは、6時か6時半に来て、献金に関するビデオを見た。ビデオセンターを出たのは、12時くらいだったかも知れない。
 翌日、お金を作るために、F書店にいっしょに行った。預金や保険の解約のためにいっしょに行った。私が委任状を用意したかも知れないが、署名はB子さんがした。何かの窓口にいっしょに行った。献金が約束どおり行われるか見届けたかった。(生命保険の解約がすぐにはできなかったとき、)神様の前で言ったことを破ったと非難したことがあった。
 宝翔は、信者がやっている仏具店だ。

原告弁護人(近藤)からの尋問に対する証言
 妹も母も信者だ。私は、占いや生命判断が好きだ。
 B子さんの父親が亡くなったとき、あなたの身代わりになって死んだとは言っていない。

被告弁護人(鐘築)からの尋問に対する証言
 サークルは、人生の目的を学ぶところだ。
 アンケートの目的は、他人がどう思っているかは分からない。
 丸扇でも、着物の説明をする人は、協会員でない人だと思う。

 M子の尋問が終わり、双方から出されている証人調べの申請について、3人の裁判官が別室で合議をして、法廷に戻って、すべて却下すると宣言しました。原告側からは、社会心理学者の西田公昭講師ら、被告側からはT子が申請されていました。
 次回の裁判は、2月4日午後4時から開かれることになりました。

 閉廷後、支援者が懇談会を開きました。
 河田弁護士は、今日の裁判の特徴を述べ、次回は裁判の進行について決めることになる。結審が近づいていると話しました。
 B子さんは、彼女は自分の意志でやっていると思っているが、そうではありません。父がなくなったとき巡回師から、あなたが死ぬはずだったのを身代わりに死んでくれたといわれ、必死で活動するようになりました。万物復帰の教えの中で、死後の霊界では、生前に統一協会から買ったものを文鮮明に見せ、天国に行くか地獄に行くかが決まると言われていました、と話しました。
 高山牧師は、証人が最近の動きを知らなくて答えられない場面もありました。どれだけ命令に従うかがカルトです。11月の合同結婚式は3960万組を達成した、次は3億6千万だと言っています。誇大妄想もいいところだと話しました。


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