名古屋「青春を返せ」訴訟控訴審意見陳述書

第一章 はじめに

1、原審は、現代社会における病根を直視し、紛争を解決する機関であるとの自覚のもとに原判決を下したのであろうか。宗教団体が「薬物の使用」や「物理的、身体的な強制力」を用いない限り、その勧誘(伝道)活動や信者を利用して違法な活動をさせても違法とは言えないとの原判決の判断は、あまりに形式的であり、現代社会におけるカルト的宗教の違法行為の実態を無視するものである。
2、また、原判決は、「宗教の自由」を侵してはならないという点にとらわれ過ぎたかも知れない。もちろん、 「宗教の自由」は尊重されるべきであって、それが内心に留まる限りはいかなる教義であろうと自由に信じることはできる。しかし、宗教活動、宗教行為については、何をしても許されるものではないことは当然である。まして、現代社会においては、「宗教」を名乗る団体による犯罪や悪徳商法が後をたたない。宗教という名に惑わされることなく一社団ないし財団の行為として違法判断に踏み込むべきである。
3、一方、原判決は、統一協会が、その信者が役員となった会社や信者の団体等種々の法人ないし法人格なき社団と思われる団体を作っていたとの主張に対し、これを形式どおりに受けとめ、その実体を見あやまったのではないか。統一協会は、税金を免れるために信者に会社を設立させ、また、物品販売に関しては委託販売員を経由した販売形体を使ったりした。
 しかし、実態としては、統一協会が資金集めのために仕組んだものであって、形式を見誤ってはならない。

第二章 違法性論

第1 統一協会の実態

1、統一協会は、少なくとも日本では、文鮮明のために資金を集めるための組織と化している。
 いわゆる霊感商法・インチキ募金・定着経済・HG・サミット等老人等弱者から多額の金員を奪って、本部を通じて文鮮明に送金を繰返してきた。その額は月額数億ないし数十億円といわれている。
2、このような点から、一般の宗教団体と同視することはできず、少なくとも詐欺・脅迫的言辞をろうした違法な資金獲得活動についてまで「宗教の自由」のもとに特別保護を与えるべきではない。

第2 信者の被害者性

1、控訴人らは、統一協会が上記資金獲得活動をするための道具として利用されたという意味で真に被害者である。
2、統一協会は、信仰の名の下に信者を献身させたうえ、24時間心的・物的に管理・支配して、専ら詐欺まがいの資金獲得活動・伝道活動に従事させるというカラクリ(ないしシステム)の中に信者を巻き込んだのである。
3、統一協会が行ってきた霊感商法及び献金活動が違法であることは、これまで刑事・民事の判例で明らかにされてきたところであり、控訴人らはこのような違法な行為につき、宗教活動の実践と信じ込まされて道具として利用されてきたものであって、その被害者性は明らかである。
4、この間、統一協会が信者(もしくは信者として勧誘されている者)に対して行った個々の欺瞞ないし脅迫的行為は、一つ一つをとればそれ自体違法性は弱いものかも知れないが、全体として一連の行為をその目的と照らして見たとき、その違法性の重大さは十分把握しうるはずである。

第3 宗教活動とその違法性の判断

1、宗教を名乗る団体であっても、外部の人に対する関係で違法な行為をすれば、宗教活動であるが故に違法性を減免されるものではない(責任の減少は考えうるとしても)。
2、控訴人ら統一協会の信者は、信仰を持ったという点では宗教団体の内部の者と考えられなくもないが、統一協会の実態を知らされず、単にその手足として道具のように利用されていた者に過ぎない点で、外部の者と同視しうる立場にあった(この意味で、暴力団のなんたるかを知って加入した構成員とは質的に異なる)。
3、宗教上の教義それ自体は裁判所でその適否を判断すべきではないとしても、勧誘・教化の過程や宗教活動上の行為に関し、教義の内容がどのように用いられ、その結果がどうなったかという面における裁判所の判断・認定は不可欠である。
4、統一協会は、教義により原罪の観念を植え付け、それに従えば原罪から解放され、従わなければ信者のみならずその一族もろとも地獄におちるという恐怖感を生じさせて信者を支配するという手段を用いた。
5、以上の点は、控訴審で当然判断・認定されるべきである。

第4 原判決の違法性論の誤り(各論)

1、判断の遺脱ないし原告の主張に対する誤解
@原判決は、「薬物の使用」や「物理的・身体的な強制力」の有無のみに拘泥し、詐欺的勧誘や心理的強制の分野に立ち入っておらず、この点全く判断を放棄している。
 しかし、「薬物の使用」や「物理的・身体的な強制力」を使用する例は、現代社会では極めて稀であり、それがなければ違法とは言えないという論理は、現代社会の宗教犯罪や悪徳商法のほとんどを許容するに等しいことになる。
 控訴人らは、本来不実表示による詐欺的勧誘ないし心理的強制についての違法性の判断を求めてきたのにかかわらず、原判決はこの点につき明確な判断をしておらず、判断の遺脱があった。
Aまた、原判決は、違法性の判断につき、原告側の主張を
(1)マインドコントロールによる勧誘・教化行為による人格権(自己決定権)の侵害
(2)勧誘・教化行為により自由な意思決定を阻害されて違法な経済活動に従事させられた結果、人格権を侵害
(3)勧誘・教化行為により自由な意思決定を阻害され、精神的身体的自由を拘束されて、労働を強制された結果、人格権を侵害
(4)勧誘・教化行為により、献金、物品購入等の出損をさせられた財産権を侵害と形式的に分類したうえ、個別的にその当否を判断したに過ぎず、これらを一連の行為としてその目的・結果と照らして総合的に判断しようとしなかった点で、違法性の判断方法に誤解があった。
2、「マインドコント□ール」の概念の誤解と審理不尽
 スティーブ・ハッサン著には「個人が自己自身の決定を行うときの人格的総合性を切り離そうとするシステム。その本質は、依存心と集団への順応を助長し、自律と個性を失わせることである。行動、意思、感情、情報をコントロールすることによって達成される」とある。原審の「一定の行為を繰り返し積み重ねることにより、相手に一定の思想を受け付える概念」というように単純に定義づけられるものではない。
 控訴人らは、統一協会に所属していた間、常識では考えられない違法とも評価しうる活動に従事させられたが、このような活動をすることになった心理的メカニズムの解析なくしては、本件の判断はできなかったはずである。
 マインドコンド口ールの概念が多義的であり、効果につき疑問があれば専門家の証拠調べは不可欠であるが、これを怠った原審は審理不尽と言わざるを得ない。
3、「インフォームド・コンセント」に関する判断の遺脱
 原判決は、原告らのインフォームド・コンセントの欠如の主張に対して具体的な判断をしておらず、この点でも重大な事項に関して判断の遺脱があった。
 原判決が認定した控訴人らの信仰の受容や宗教的な判断が、はたしてインフォームド・コンセントを備えていたかは極めて疑問である。控訴人らは、入教・献身時における意思決定や、その後の活動における宗教的な個別の決断をするに際して、どのような宗教であるか、どのような活動をするのか等々個別具体的な情報を十分説明を受けることなく、次々とその決断(同意)を迫られてきたのである。
 このような状況下における決断(同意)がインフォームド・コンセントによるものとはとうていいえない。 4、入教プロセスにおける違法性について
@原判決は、「連絡協議会の系列下にあるセミナーなどにおける勧誘、教化行為は、被告法人の教団名、文鮮明の名前を明かさない点においてやや道義上の問題を残すとしても、前記(略)認定の目的及び勧誘、教化の方法などを総合考慮するとき、いまだ社会的相当性を逸脱したとはいうことができない」とする。
Aしかし、自らが宗教団体であることや当該行為が宗教的行為であることを殊更に秘して布教活動を行うことは、その方法自体において不公正である。
 また、控訴人らは統一協会に入教・献身後どのような生活を強いられるのを全く説明を受けることなく、入教・献身という彼女らの一生を変えるような判断を強いられている。これは、インフォームド・コンセントを欠く違法な勧誘と言わざるを得ない。
 このように、実質的にも手続的にも不当・違法な方法により入教・献身させられているが、これが統一協会の資金獲得活動の手足として利用されるためのものであったという目的・結果からみても違法性は重大と言わなければならない。
B原判決は「教義自体の当否判断する」ことと、「教義を用いて心理的強制、詐欺的勧誘をした」ことの違法性を判断することを混同し、入教プロセスの実態につき踏み込むことを避け、外形的自由意思論により実質的な違法性判断を放棄している。
 宗教を名乗らない段階における活動に殊更に宗教活動の自由についての保護を与える必要はない。
C原判決は、多数勧誘してごくわずかの人しか入教・献身してないことをもって、勧誘が違法でないことの根拠の1っとしている。
 しかし、詐欺の場合、ひっかかる人の方がひっかかからない人より少ないのはむしろ通常のことであり、善良であるが故に詐欺にあった場合にひっかかる人が少ないことをもって詐欺的勧誘の違法性を減免させる根拠とはなり得ない。
D福岡・高松・奈良・東京判決にも反する。
5、入教後の活動に関する違法性について
@原判決は、「難民救済募金や因縁トークを用いた販売活動に従事させたことは、その目的・方法・結果を総合して判断するとき、いまだ社会的相当性を逸脱したとはいえず、違法な勧誘・教化行為によって、自由な意思決定を阻害されたとはいえない」とした。
 しかし、インチキ募金や霊感商法によって金員を奪取することが被害者の幸福につながるものと信じ込まされ、これによって集められた金員がどのようなことに使われるのかさえ知らされることなく、これら活動を強いられたことが適法と評価されるべきではない。
 控訴人らは、統一協会の実体を知らされることなく、その教義の実践と信じ込まされて(編されて)種々の違法行為をさせられたのであり、これは明らかに人格権の侵害である。
A原判決は、「違法な勧誘、教化行為により肖由な意思決定を阻害されたとはいえず、また、働くことを違法に強要され、もって人格権を侵害されたともいえない」とした。
 しかし、控訴人らは、統一協会の不当な勧誘・教化行為により価値観を転換させられ、自らが氏族のメシアと信じ込まされたうえ、一般のマスメディアからの情報を遮断されて統一協会側からの情報を一方的に押しつけられ、脱会すれば地獄へ落ちると脅されて、連日早朝から深夜まで販売活動等に従事させられてきた。彼女らは2人1組もしくは単独で、所持金も昼食代程度に制限され、1日数回2時間おきに上司(アベル)への報告・連絡・相談をさせられ、服装・髪型もいわゆる原理ルックに統一され、とうてい脱会することを考える時間的余裕や、脱会して逃げるだけの物理的・心理的状況にない状態に追い込まれていた。
 このように、統一協会に心的・物的に支配された状況下で、ほとんど無給で金員を稼ぐ活動(資金集め)に奔走させられたことは、正に労働法ないしその精神に違反する。
 ことに、控訴人らの一部は、販売店の店員として労働していた時期もあり、少なくともこの期間中は労働法(賃金の直接払い、8時間労働制等)違反である。
6、献金・物品被害について
@原判決は「さまざまな教えを受け、自らも学習して信仰を深める過程において、献金、セミナー受講料の支払い、物品の購入をすることを、宗教上有意義なものと信じて、自ら決めて行った」とし「献金等の金額(個別及び合計額)、その頻度、その他をみても原告の年齢、知識、経験等にかんがみて、社会常識に反し、あるいは、合理性を欠くと見るべき特段の事情はない」として、「違法な勧誘、教化行為により、献金等の出損をさせられ、財産権を侵害されたとはいえない」とする。
Aしかし、統一協会の献金勧誘が違法であることはすでに最高裁(福岡事件)でも認めている。原判決は、単なる献金と控訴人らのような献身者の献金と区別して考えている感がある。しかし、統一協会の実態を知られていなかった控訴人らは、判断能力を減退された状況下で献金・物品購入等をさせられたのであり、区別して考える必要はない。
 また、金額の多寡や頻度についても、統一協会としては、若くて資産のない控訴人らのような信者に対しては主として労働力を提供させ、壮婦のように労働力は期待できないが資産を有する信者には主として資金(献金)を提供させる方針をとっていたものであり、その勧誘ないし入会までの過程はほとんど同様の方法がとられていたものである。
 とすれば、統一協会に不当かつ組織的に勧誘・入会させられ金員を奪われた点で両者は異なることなく、一方のみその違法性を否定する理由はない。

篇三章 組織論

I、原判決は、「被告法人と連絡協議会の全国組織体、その他及びハッピーワールド以下の企業群、その他との関係は、多数の法人格を否認してしかるべき一体的な組織であると未だ断定することはできない。しかし、前示した各県、各地方にまたがる複雑、頻繁な移動を伴う活動内容の変転は、双方組織間を統合する人事指揮者による何らかの統制なくしてできないことにかんがみれば、大別、二つの組織系列にある法人群間において、実質的に一体的な関係、あるいは指揮監督関係があるのではないか、と疑うことは根拠のないことではない」とする。
2、しかし、そもそも「全国しあわせサークル連絡協議会」なる団体は、原審の審理中である平成7年9月4日付の小柳定夫の陳述書(乙第155号証)が提出されて以降はじめて被告側で主張されるようになった団体であり、それが訴訟対策用にでっちあげられたものであることは原審の記録上明らかであり、この連絡協議会の存在を前提とした原判決の判断は明らかに事実誤認である。福岡、高松、奈良、東京の各判決ではこれらの一体性を認める判決がだされており、これと矛盾する。
                                             以上
                     (「青春を返せ」裁判をささえる愛知の会会報NO.15から転載)
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