控訴人意見書

名古屋高等裁判所御中
                                       控訴人・羽佐田美千代
                                            外 五 名
 私たち控訴人の六名は、昭和五九年から平成三年の間にそれぞれ数年間ずつ、統一協会の活動に従事いたしました。 そして家族により保護され、牧師のカウンセリングを受けて、統一協会を脱会することができました。
 脱会して初めてわかったことは、統一協会はお金を集めるために、多くの人をだましたり、苦しめたりする団体だったことであり、その統一協会の悪事に私たちも無自覚のうちに加担させられていたということでした。
 なぜ私たちは統一協会の違法な活動に加わってしまったのでしょうか?最初から「霊感商法をしなさい」とか「偽募金を集めて来い」と言われたなら、その場で断ったことでしょうし、そんなことを命令されること自体を異常に感じたことでしょう。
 しかし私たちは、街頭アンケートヘの回答や、姓名判断、友人のサークル見学の誘いに、安易に了承したばかりに、底無し沼に沈みこんでいくようにして、次から次ぎへと出される統一協会からの要求を断ることができないまま、いくつかのセミナーやトレーニングに参加してしまいました。訪問販売や街頭伝道など統一協会の信者の活動の一部を実践させられるようになった頃には、統一協会の考え方に染まり、統一協会以外の社会が汚らわしい罪に満ちた何の希望もないところであり、統一協会から離脱すれば、私のみならず私の家族・先祖・子孫に至るまで地獄に落ちて救われないものと信じるようになっていました。
 そして統一協会の中で実績を上げることのみが、自分や氏族を含め、この人類が幸せになれる唯一の方法だという言葉に抵抗できなくなっていました。
 原判決では私たちが従事させられてきた難民救援募金や因縁トークを用いた印鑑の販売活動に「道義上の問題はなしとはしない」としながらも、「原告を右諸活動に従事させたことは、その目的、方法、結果を総合して判断するとき、いまだ社会的相当性を逸脱したとは言えない」としています。
 私は一年一カ月にわたって、難民の子どもたちにミルクを送るためにと募金を集めました。毎月一日だけは三時間、他の日は土日も休むことなく、朝六時から夜一〇時まで、昼食を食べる一五分を除いてずっと一軒でも多く回れるように、玄関から玄関まで走って、お金を集めました。過疎の村で、家と家が何キ口も離れていても、地図を頼りに休むことなく走っていきました。夜になって真っ暗な山道が怖くてたまらない時も、一人で泣きながら走っていきました。警察署と法律事務所以外は一軒もとばしてはいけないと言われていましたから、暴力団の事務所にもおそるおそる入っていきました。若い女性が一人で尋ねてきたからと、男性から抱きつかれたり、抱き抱えられて奥に連れ込まれそうになった控訴人もいます。平均睡眠時間は三〜四時間でしたから、呼び鈴を押しながら眠ってしまったことも多くありますし、どぶに落ちたこともあります。犬に足をかまれて七針縫った時も、手術が終わってまだ麻酔が覚めていない足を引きずって、出血でどす黒く染まったジーンズのまま、泣きながら募金活動を続けました。運転手の居眠りでワゴン車がガードレールに激突し、額を切って、出血がとまらなくなった時は電話で事故の報告を隊長にし、その指示どおり、警察に知らせることも、救急車を呼ぶこともせず、現金カンパの道具を隠してから山奥の現場までタクシーを呼んで、それから病院に連れていかれました。病院についた時には二枚目のスポーツタオルが血で重くなっていましたが、交通事故でこれほどの怪我をしながら、警察も呼ばないことや、保険証ももっていないことが怪しまれて、なかなか治療してもらえませんでした。
 平均一日に三万五千円位、一年一カ月で一三〇〇万円を集めたことになります。一台のキャラバン車に六名、一つの隊には四〜五台のキャラバン車があり、当時は東北、関東、中部、関西、中四国、九州の六つの隊がありましたから一カ月に一億円以上の募金を集めていました。それでも本当に難民に送っていたのは、半年に一〇〇万円位でした。
 裁判所は本当にこういったことが「社会的相当性を逸脱していない」と考えているのでしょうか?一カ月に四五〇時間以上働かせても、何の問題もないというのでしょうか?難民のためにと六億円も集めながら、一〇〇万円しかそのために使わなくてもいいのでしょうか?
 また原判決では「各段階ごとに宗教的決断をしている」としていますが、ここでやめると家族や先祖が地獄に落ちると言われて、とてもやめることができなかったということを裁判所は宗教的決断というのでしょうか?私たちが逡巡した期間は統一協会の呪縛と必死に闘った時であり、その挙句に次の段階に進んだのは、力尽きて、統一協会に押し切られたからにほかなりません。これを自らの宗教的決断というのは一時代前のセクハラ裁判の判決に等しいものです。
 私たちは日本国憲法によって保障されている基本的人権を、統一協会によって著しく侵害されました。しかしこのことを「社会的相当性を逸脱していない」とする原判決によって、再度そして徹底的に私たちの権利が傷つけられたことに強い憤りと深い悲しみを感じます。宗教とさえ名乗れば、人の青春を踏みにじることが許されるのでしょうか。統一協会によって辱められた私たちの尊厳を、ぜひこの場で回復していただきたいと思います。
                     (「青春を返せ」裁判をささえる愛知の会会報NO.15から転載)
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